3日目

「おい真琴! なんで紅茶がないんだよ!」
「飲みたければお店へ行くし、茶葉も高いんですよ眉毛」
「眉毛ってなんだぁ!」

 ぽこぽこと顔を紅くしながらアーサーはあたしを怒る。理由は明白。紅茶がないから。

 今はまだ朝の八時。朝食も終わって、少しゆっくりして、窓からの陽気にうとうとしていた時だった。自分とは大きく違うアーサーのテンションに眉を顰めた。
 嫌いなわけじゃなくて、あたしはコーヒーも紅茶も大好きなのだ。ただ、飲みたくなればそこらへんの安いもの、もしくは喫茶店で飲むことが多いので基本家に茶葉や豆が置いてあることはない。そもそも淹れるものすらない。

 それにアーサーは大層ご立腹の様子だった。彼の生活の中では、この時間、紅茶を飲んでいないといけない決まりらしい。
 まったく、なんなんだこの子は、と思いながら日曜朝恒例の朝番組から渋々目を離す。いいところだったのに。

 アーサーは昨日買ったばかりの服を着て太い眉を潜ませながら怒っていた。あ、髪の後ろの方が跳ねてる、と小さく言えばわかってるよばかぁと更に怒らせてしまった。
 まるで子供みたいだな。

 そんなに茶葉がないのが不服か。仕様がないな、紅茶はアーサーの象徴だしね。しょうがないな、と未だぷすぷす怒っているアーサーを宥める。

「今日近くにあるお店に行こう、あそこならアーサーも満足するだろうから」
「本当だな?」
「その代わりあたしにおいしい紅茶を頼むよ」

 子供を宥めかす気持ちで言えば、アーサーは力いっぱい頷いた。どれだけ飲みたいんだ紅茶。
 「そうと決まれば早く行こう今すぐ行こう」と騒ぎ出したアーサーに背中を押され、玄関まで連れられる。

 まだ何にも準備していないと呆れた顔で振り向けば、昨日の財布が入ったままの鞄をアーサーが手に持っていた。
 まったく、手際がいいな。

 わくわくと顔を輝かせているアーサーが可愛いので言われるままに外へ出た。まだ8時半なんだけれども、お店が開いているか心配だ。大丈夫かな。
 アーサーは元気に外へ出るためのエレベーターへと向かう。

「真琴! 早く早く!」
「急がなくてもお店は逃げません」

 昨日はエレベーターに緊張して固まって動かなかったのに。機械音が鳴る中でもずそわそわと落ち着かない、よっぽどなのだろう。少しでも落ち着いてもらおうと声を掛けた。
 それにしっかりと「わかった!」返事をしておきながら、既に外へ駆け出そうとしているのはなんでなんだよ。

 まだ開いていないんじゃないのかな、と言っても大丈夫だ! と自信たっぷりに言っていた。何を根拠に言っているんだ。何が大丈夫なんだ。

 店まで五分ほど歩く中でも、少しでも目を離せばあらぬ方向へ行ってしまうのでないかと、気が気ではなかった。
 開店前の扉の前で落胆するアーサーを想像して、あまり期待しすぎるのも良くないと何度も声を掛ける。あまりに声を掛けすぎたのか、もし開いてなくても俺は待つぞ! と声高に宣言されてしまった。
 いったいどれだけの時間待つつもりでいるんだろう。


 そんな心配も必要なく、目的の店にはオープンの看板が掲げられている。アーサーの言うように目的の雑貨屋さんは開いていた。ふふん、と勝ち誇った顔のアーサーがうるさい。

 中へ入れば綺麗な鈴の音が迎えてくれた。明るく綺麗なこの店はいつ来ても落ち着く雰囲気がある。アロマやキャンドルの匂いがあまりしないからか、ここは気に入っている方だった。
 アーサーはいち早く、それはもう何かのセンサーがついているのか疑うくらい紅茶の茶葉を見つけ、早足でそれらの元へ向かった。
 少し見えた顔が素晴らしいほどに輝いていたので満足なんだろう。

 アーサーが茶葉を選んでいる間、あたしは雑貨を適当に見る。時折気になるものを手にとっては眺めて戻す。ちらりと横目で見たアーサーは緩む頬を押さえずに茶葉選びをしていた。

 可愛いキーホルダーがあったのでそれをついでに買ってもいいかな。終わったかとアーサーを探すと、今度はティーポッド選びに夢中になってしまったようだった。しょうがないのであたしも再び雑貨に眼を移す。

 あ、このバラの髪飾り可愛いな。アーサーに買ってやろうか。

「真琴真琴! 決まった!」
「はいはい、じゃ買ってしまおうか」

 効果音を付けるとしたら“キラキラ”以外にないであろうアーサーの顔を見て思わずあたしも笑った。

 買うか迷っていたキーホルダーは諦めた。アーサーが持っている買い物かごを見れば、ついでに買おうなんて気持ちは遠くへ旅立ってしまった。
 持っている茶葉の量が異常に多かった所為で店員のお姉さんは軽く引いていた気がする。あたしも引いた。

 そしてまたもアーサーは店員から荷物を受け取り当然のように荷物持ち。さらに扉も開けるという徹底された紳士振りを昨日から続けて発揮してくれた。
 店員さんの挨拶に会釈をして店から出る。

 店から出てゆっくりと歩きながら隣のアーサーを見る。心なしかほくほくしているアーサーが時折袋を見ながら楽しそうに笑っていた。
 そんなに嬉しいのか、と思いながら並んで歩く。うわあ、尻尾が見えそうだよ。かわいいな。
 どうせ早起きして時間も余っているし、今日はスコーンを作ってみよう。もしかしたら喜んでもらえるかもしれない。
 スコーンの事を言うと「俺も作れるぞ」なんてかなり危険なことを言われたので、丁寧に遠慮しておいた。

 もう少ししたら調教を始めよう。絶対にだ。炭の塊にしか見えなかったアレが目の前に出てくると思うと寒気がする。それを食べるのはあたしなんだろう? それに次にこの笑顔で言われれば断れない。

「真琴はダージリンとアールグレイどっちが好きだ? おすすめらしいピーチティーもあるぞ」
「なんでも良いよ。アーサーはスコーン、シンプルなやつでいいよね?」
「ああ」

 ふんふん、と持ち前のエロボイスで鼻歌を歌いながらアーサーは歩いている。本当に楽しそうで見てるこっちも嬉しくなる。
 子供を持つお母さんの気分だ。

「さあ! ティータイムだ!」

 家に帰ってから手を洗い、まっすぐキッチンへ向かう。未だ急いでどたどたとせわしく走るアーサーを落ち着きなさいと一括した。

 あたしを急かすアーサーには少し待っててもらい、スコーンのレシピを引っ張り出した。
 材料に足りないものがないかを確認する。幸い一昨日買い物に言ったばかりで足りないものはなかった。

 さらに言うなら近いうちにケーキを作ろうと思っていたから、生クリームもある。これ一緒に食べればおいしいだろうか。

 自分でもなかなかに手際よく、スコーンの生地を作っていく。お菓子作りは嫌いではない。寝かせるために冷蔵庫へ入れる。
 キッチンのドアのところではアーサーが不思議そうな顔をしながら冷蔵庫を見ていた。 まさかとは思うが作り方すら適当なのか?

「なんで冷蔵庫にいれるんだ?」

 あたしの嫌な予想通りだった。思わず変な所から息が零れた。マジかよ。
 生地を落ち着かせないといけないことを伝えれば知らなかったと驚かれた。驚いたのはこっちなんだが。

 生地を寝かせる三十分、買ってきた茶葉を袋から出して整理していく。随分沢山買ったなぁと呟けば、アーサーが少し目を逸らしてバツが悪そうにしていた。一応、買って貰ったということやハメを外しすぎたことはわかっているみたいだ。
 キッチンタイマーが三十分を知らせたところで、スコーンの生地を取り出して焼ける大きさに分けていく。

 アーサーは買ったばかりの可愛らしいティーポットを取り出してすぐそこの棚に置いた。とてもいいセンスだ、アーサーによく似合っていた。

「日本の水道水は軟水なんだよな?」
「そう聞いたことがあるけど」

 そうか、とアーサーは満足そうに水道水をひねり勢い良く水を出す。確かそうだと聞いていたが、果たして本当にそうなのか自信は無い。
 お湯を入れる鍋を出してやれば、アーサーはサンキューと言って受け取った。しばらく鍋をじっと見て、沸騰し始めたらポットに入れてそのまま流してしまった。たぶんポッドを暖めているんだろう。
 思わず驚いたがそうとわかれば気にせずスコーンをレンジへ入れる。

 温度を設定してボタンを押してしまえば、あたしのやることにはひとまず休息が入る。
 暇なのでアーサーを見ることにしたが一つ一つの動作がプロっぽいというか優雅で見蕩れた。手つきが一つ一つセクシーに見える。あたしが格好良いねと褒めると照れたのかうるさいと怒られた。

 レンジの中のスコーンを見ればそれらはだんだんと色を変えていっている。ほのかに香りもしてきた。アーサーの方の紅茶もポットから良い匂いが零れてきている。
 レンジが紅茶よりも一足早くスコーンを焼き上げて、ピーという機械音であたしを呼んだ。

「いい匂いがする」
「うん、上手くできた。テーブル持ってくね」

 「おお」と返事をしたアーサーの声を後ろに聞き、綺麗な狐色に焼きあがったスコーンをテーブルに置く。
 このテーブルが使われるのは本当に久しぶりだ。むしろ初めてかもしれない。

 アンティークなテーブルがスコーンを乗せるとやけにおしゃれに見えた。アーサーが楽しそうな顔をしながら持ってきた二つのカップが加わると、更に映えて見えた。
 そうか、このテーブルはお洒落だったのか。

「いただきます」

 アーサーは紅茶に顔をにやにやさせながらも、紅茶よりも先にスコーンに手をつけた。

 真っ先に紅茶を飲み干すと思っていたから驚いたが、さっき以上に頬を緩ませて「おいしいな」と言ってくれたアーサーにさらに驚いた。
 あたしはというとスコーンよりも先に紅茶に口をつけていた。だって美味いこれ。お店で飲むのとは全然違う。
 「アーサーの淹れた紅茶もおいしいよ」と言えば、アーサーは嬉しそうに笑った。きっと私の頬もアーサーに負けないぐらい緩んでいるに違いない。

 それからアーサーは紅茶を飲んでおいしいと言ったし、あたしもスコーンをおいしいと言った。
 あたしは紅茶が淹れれないけどアーサーはスコーンが焼けないから、こんな幸せなティータイムは二人が居たからこそできたものなんだとひとり思った。乙女チックだ。

 もちろん言ったりしたらアーサーだけではなくあたしも照れるだろうから言えない。思っただけ。
 アーサーに聞こえないように、それでもアーサーに向かってありがとうと言えば、残念ながら聞いていたアーサーからこちらこそと返ってきた。

「真琴はスコーン焼くの上手いな」
「ありがとう、アーサーの紅茶もおいしいよ。」
「こっちに居る間はいつでも淹れてやるよ」
「それはいいね、アーサーが執事みたいだ」

 ふふ、と冗談交じりに言えばお嬢様って言ってやろうかと言い返された。嬉しいは嬉しいけど、照れるから止めて下さい。
 うつむいて小さく言えば楽しそうに笑う声が聞こえた。

 アーサーってツンデレなのに紳士ってずるいよね。萌えるけどさ。
 ヘタに女慣れしてるからこうやって人の事をからかえる。それに対してあたしは、もう何年も引きこもりみたいな事してるから、男慣れなんてまったくしていない。勝ち目が見えない。

 アーサーは顔を紅くしているあたしに、愉快そうに口の端を上げている。
 その顔があまりにも良い表情だったから、今書いている小説を終わらせたら次はアーサーを主人公に書いてみようかな。なんて、突然職業病みたいなのが顔を出した。

 アーサーの綺麗な容姿を表現するのに言葉は欠かないだろう。


 草原を思わせるような綺麗な緑の瞳。
 太陽の光そのものみたいな艶やかな金髪。

 今は日本語に聞こえているが本来は美しいキングスイングリッシュが発せられているであろう形の良い唇。

 日本人とはまったく違う、思わず触りたくなるキメ細やかな肌。


「アーサーの瞳はエメラルドみたいだよね」
「は? いきなりどうした?」
「傷のないエメラルドは珍しいけど、あなたの瞳にあったのね」
「ちょ、ちょっと待て、何言ってるんだ?」
「アーサーほど綺麗な髪をした人ってこの世界には居ないんじゃない?」
「ま、ちょ、真琴!!」
「ああ、ふわふわしてる。透き通って綺麗、光に触っているみたい……」
「ばかっ、真琴!!」

 がっしりと肩を掴まれて、ぐん、と体が押された。
 お陰で今まで考えていたことが全部口に出ていた事にやっと気付いた。

 口に出してるだけならまだ良かったのに。あたしは身を乗り出してアーサーの髪に触れていた。

 やばい、これはやばい。何してんの自分。
 あたしのすぐ目の前には顔を真っ赤にしているアーサーが居た。その表情を見れば自分がしでかした事を理解するのに十分だった。

 眼を見つめて、更にそれから髪に触ってしまって、顔がかなり近くって、あたしはテーブルの向こう側に座っているアーサーを半分押し倒していて。

 あたしは小説でどう表現しようか考えていただけつもりだったのに、ああああ! 何してんの自分!
 だんだんと頭がぐるぐるしてきていつか爆発してしまいそうなほどに顔が熱くなる。

「ご、ごめん!!」
「ばかぁ、近いんだよ!いきなり変なこと言い始めやがって」
「いや本当にごめん、ちょっと頭パーンしてました」

 どういったってやってしまったことを帳消しにはできない。ごめんとひたすら謝るほかに無かった。

「怒ってんのか? 俺が笑ったからか!? 俺がどんな気持ちだったか……」
「反省しております。今度やったら殴っていいから。いやむしろ殴ってください」
「今度って、またやる予定があるのか!?」

 精一杯の誠意で正座をしながらアーサーのお叱りを受ける。

 当然だった。

 今思い返してみれば、ヨーロッパとかって髪を触るって性的な意味もあるんだよね。嫌だったろうな。そう思いじんじんしている足をもう少し我慢する。

 もう誰にもするんじゃねぇぞばかぁ!という言葉を最後にアーサーの説教は終わったらしい。
 申し訳ないんだが今のは多くて週一で発生するからその言葉は守れそうにない。

 酷い時には神原君にも何回かやったし、編集社の綺麗な子に会う度やってる。でも触るまでいった事はなかったのに。

 いや、本当は綺麗な子に会う度って時点でやめなきゃいけなかったんだけど。これからはもっぱらアーサーだけに発生するだろう。
ならば先に謝っておこう。ごめんね。ばか! と何度目かわからないアーサーの怒声を目を瞑って受け止めた。

 でも実はやめる気も無いよ。
 それが一番悪いんだけど。


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