華蝶の交わり

第一章 華蝶の交わり

 春の陽気が穏やかに辺りを包むようになった季節のある日、陸議は朱家の屋敷を訪ねた。ここ数年の間ですっかり慣れ親しんだ門前を掃除していた下男に声をかけると、気のいい青年はすぐに陸議を屋敷の中に招き入れる。

「今なら多分お庭におられるはずですよ」
「庭、ですか……」

 今の時分なら花なども見事に咲いているだろう。来客者の目を楽しませるために客間に面した庭はずいぶんと広く、華美ではないが奥方が心を尽くした慎ましやかな美しさを誇っている。もうすっかり自分の家のように親しんでいるので案内は断っていた。
家主の方も彼がこの屋敷の中を断りなしに歩き回ることを許しているので、一人客間の方まで向かっていると耳慣れない声が届く。訝りながら庭を覗きおや、と目を瞠った。
陸議の目に飛び込んできたのは、10にはまだ満たないだろう少女と10を少し過ぎたばかりだろうといった少女が身の丈ほどの木の棒を振り回しているところだ。その様子を離れたところで見守る朱旦の姿と、遊んでいるようにはとても見えない彼女たちの姿に陸議は思わず息を飲む。自らよりもずっと年下の娘たちの覇気は武人のそれとなんら遜色ないほど怜悧に研ぎ澄まされ、容易に声をかけることが憚られるほどであった。

「……朱旦殿」
「ああ、陸議殿か。いかがなされた」

 意を決して声をかけるとあまり声を張らなかったにも関わらず、存外あっさりとこちらを向く。気配を殺していたわけでもないのだから入ってきた時から気づかれていたのかもしれない。打ち合いを止めさせ、こちらに歩み寄ってきた朱旦に礼を取る。

「いえ、特にこれと言った用は。近くに用があったものですから、立ち寄らせていただきました。お邪魔してしまったようですね」
「もう終いにしようとしていたところだ、構わない」

 来客者への礼を取っていた少女たちは次に師への礼を取る。それに応え、朱旦は侍女に何事か言付けて着替えの為に自室へ戻っていく。少女たちもまた片付けに屋敷の中へ入っていった。

「うちの娘のなまえに会うのは初めてだったか」
「ええ、あまり見てはいませんが奥方によく面差しが似ていらっしゃいますね。成長が楽しみです」

 すっかり知己となった朱旦の妻を思い浮かべる。夫と並んであれやこれやと世話を焼いてくるその人は格別に美女というわけではないが、温和で濃やかな人柄に惹かれるような人だと思う。嫁いだ女はあまり人前に現れないのが美徳とされてはいるが、この江南の地においてはその風潮は薄い。名士の一族の中で育てられた陸議は初めて顔を合わせた時大層驚いたものだ。

「もう一人の方は紫蘭と言うのだ。……先の戦で一家離散したらしく家で世話をしている」

 ぐっと、臓腑が掴まれるような心地がした。所作からうかがい知るに、あの紫蘭という少女もそれなりの家で生まれ育ったのだろう。その上先の戦、とは袁術から独立した孫策が呉郡に攻め入ってきた時の話だ。陸議からすればとても他人事とは思えない境遇である。先日の戦に呉郡太守、許貢の招聘を受けて参陣していた朱旦は戦地の後を見回っていた際に彼女を見つけたのだそうだ。己の娘とそう年の変わらない娘が憐れに思えて連れ帰ったのだという。
そして戦の結末はといえば、敗北した許貢は同じく孫策に対して反抗の意志を持つ厳虎の元へと逃亡したのだった。朱旦は幾人かの諸将と共に帰順したが孫策は呉郡土着豪族たちを警戒して、己の周辺から遠ざけているようである。しかし、それではこの揚州においてそれではいつか無理が出てくるだろう。勢いばかりは突出しているが、将来に関しては不安が多いというのが江東の小覇王に関しての先見に明るい者たちの言だった。何よりも、彼はこの揚州の地で多くの血を流しすぎた。人心が離れて行っては覇道も易くはない。

朱旦や陸議にとっては今は雌伏の時、というわけだ。

それにしても、厳格そうな言動の割にはこの朱旦という男は情に厚い。身寄りのない娘をわざわざこの家に引き取るとは。陸家への援助も細々としたものではあるがあの時から未だに続いていた。身内ですら裏切りも有り得る世では得難い縁であることは間違いない。

全てが陸家の名の恩恵であったとしても。

「娘たちに武芸を習わせていて、驚いたろう」
「いいえ、なにせこのような世ですから。身を護る術を学ばせるのは良いことだと思いますよ」
「息子でもいれば違うのだろうか……」

 この家には陸議が初めてこの家を訪れて暫くして生まれたあの娘以来子がなかった。妻と娘だけを屋敷に残して行かねばならないというのは心許無いに違いない。それでも、戦に出て武勲を上げねばこの家の存続は危ういのも明らかである。

「こども、ですか……」

 陸議が廬江から一族を引き連れ、この地に落ち延びてきてからもう7年になろうとしている。慌ただしく戴冠し一族の長を託されてからも。少年の時期を抜け、青年となった陸議もそろそろ伴侶を得るべき歳になる。一族の半数が飢えて命を落とし、再興のためにも陸氏の血を継ぐ子どもをゆくゆくはと思っているが。

 若き当主の悩みは尽きない。







あとがき
大して進んでないあれぇ…?

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