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金属でできた頼りないドアを開ける。それだけで築何十年の安アパートはギイと不安な音を立てた。誰もいないはずの部屋へただいま、と声を掛ける。長く染み付いた習慣はなかなか抜けないもので、牧村家を出て一人暮らしを始めてからもしばらくは無意識に発してしまっていた。もちろん、返事が返ってくるわけはない。はずだった。

「おう、おかえり」
茶の間で知らない男3人がお茶を飲んでいた。思わず腰からひっくり返ってしまった。



「だ、誰だお前らっ!」
「まあまあ、落ち着けって、お前も飲むか?」
その言葉でもう1人の男が急須からお茶を注いだ。これではまるでおかしいのは俺の方ではないか。だいたいこの状況で落ち着いていられる奴がどこにいるっていうんだ。
「とりあえず座れよ。説明は今からする」
「何でお前のほうがそんなにえらそうなんだ」
仕方がないので男の言う通りソファに座った。もし盗人だったとしたらこんなに優雅に茶は飲まないだろうし、見かけで判断するのもよくないだろうが男達は全員俺と同じ年頃のように見えた。最悪逃げるとか暴力を振るってくるようだとしても、悪魔と合体した俺が生半可なものでは力負けするはずがないという裏付けもあった。
「前提から話すべきだな。俺たち全員不動明なんだ。お前もそうだろう」
「…は?」
何を馬鹿な、と言おうとしたがよく考えたら俺はこいつらの前で名前を言っていない。表札に書いてあるのも苗字だけのはずだ。
「それで、どういう理屈なのかは知らないが、俺たちが住んだ部屋がそのままここに繋がるようになっているらしい。まあ、住めば慣れる」
「慣れるかッ!」
でも確かに言われて見ると、さっきは焦っていて気が付かなかったがこの部屋の内装はどう見ても俺の住んでいたアパートではなかった。というより造りからそのものが違かった。くるくると部屋を見渡す俺を無視して、"不動明"は話を続ける。
「2人のときはまだ明と呼んでもよかったんだが、3人4人ともなるとそうもいかないだろう。で、俺たちは渾名を付けあってそれで呼びあっている。俺がアモン」
「サイ」
「クラ」
「クラと俺が最初にここにいたんだ。しばらくしてサイが転がり込んできた。全員牧村家を出て一人で暮らし始めたタイミングだった」
「まき…、え?」
「俺たちの身辺状況はこわいほど同じなんだ。飛鳥了、牧村美樹。あと俺たちはこの部屋の外で会うことはできない。おそらくドッペルゲンガーみたいなものなんじゃないかと思っている。」
「…」
「夢じゃないぞ。なんなら俺がつねってやろうか」
言うやいなや俺がつねった方と逆の頬に痛みが走った。こいつ、本気でつねりやがった。
「頭が痛くなってきた…。完全にキャパオーバーだ」
「ベッドならあるぞ。場所はわかるだろう」
たしかにここのどこに何があるかはふしぎと理解していた。ふらふらと部屋を出て布団に横になる。何故だか落ち着く匂いがした。

朝起きると昨日の3人が俺の横で寝ていた。昨日のことはやはり夢ではなかったのかと絶望して、もしくは俺の気がちがってしまっていると言われても信じられた。
空間は昨日よりも明確に認識できた。昨日横になった時点で何時だったのかは知らないが、すでに朝になっていた。窓から見える空は憎らしいほど涼しげな水色で、白い光が差し込んでいた。
シャワーだけ軽く浴びて、服はその辺にある箪笥から適当に拝借した。認めるつもりはまだなかったがさすが同じ人間を名乗るだけあるというか、大きさはぴったりだった。身を清めるとなんだか頭までさっぱりした。
朝ごはんは無意識に4人分作っていた。俺は自分のぶんだけ作ったつもりだったのに、食卓に並ぶ4つの朝食を見て俺自身がいちばん衝撃を受けた。そのうちに他の3人も起きてきて、驚くほど穏やかに食事はなされた。不思議な縁だが兄弟や肉親のように思えた。食器を洗うのはアモンがやってくれるとわかっていたので、使い終わった食器を水に漬けて俺はそのまま荷物をまとめて学校に向かうことにした。制服も教科書も俺が俺ならば置くだろうところにしっかりとあった。


そういえば学校の人間や美樹ちゃんにさえこの事を話そうと思うことはなかった。受け入れていることを認識できないと言ったほうが正しい。それが当然のことのように思えた。例えば地球が回っている事を友達に報告しないように、俺もこの事を相談しようと思うことはなかった。



とはいえ家についてドアを開けるとすぐ正気に戻る。自分の発した「ただいま」が似たこわいろの男に返されることにはまだ違和感を持てた。
「今日はお前しかいないのか」
「サイはバイト。クラは部活」
「へえ、あいつは部活やってるのか」
「陸上部だってよ。たいそうおモテになるらしい」
アモンがたのしそうにくつくつと笑った。俺も一緒に笑う。ふと、自分があいつ"は"という言葉を使ったことに気づいて、瞬間ぞっとした。

課題や復習をこなしているとやがてサイやクラも帰ってきて、夜ご飯は一緒に食べた。こうした家族みたいなご飯は牧村家にいたとき以来だった。今日飯を作ったのはアモンのようで、普通に美味しかった。






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