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「飼い猫を連れてくる」、と彼は言った。それが一人の男のことだったとは、まさか私は思わなかったが。


自宅兼仕事場の一室。最も私が仕事をする時の方が珍しいから、その用途で招くことはほとんどないと言ってよかったが。珍しくこの日はそれ目的の来訪であった。

「邪魔するぜ」

巨体を少し縮こまらせて彼…ハービンジャーが押し入る。ドアは一般的なサイズであるから、2メートルを超す彼は多少屈まないと頭を打つのだろう。彼が来ること自体は聞いていたが、彼の陰に隠れているその人影を呼び止める。「…彼は?」

「言っておいたじゃねえか。もう一人来るって」

勝手知ったる様子でソファに座り込んだハービンジャーがさも当然のように返す。
自分用に使っている一人掛けのソファを除くと、来客用にも使っている二人がけのソファは真ん中に座るハービンジャーが占領してしまったから、仕方ないとチェアを一つ持ってきて、ローテーブルを囲うようにしてソファの横に置いた。目線だけで指示すると説明の必要なく彼は理解してそこに座った。カップも一つ増やして、注いだコーヒーを各人の前に出す。

「きみは飼い猫、としか言ってなかったが」
「あー、じゃあ、こいつがそうだ」
「飼い猫なのか?俺って」

男は呆れたようにハービンジャーの方を一瞥してから、否定も肯定もせずにこちらに向き直った。ハービンジャーの相伴だから流石に成人はしているだろうが、アジア系の顔立ちだからだろうか、随分幼げに見える。体格も特に秀でているようには見えない、私よりも一回りほど小さいから横に座っているハービンジャーと比べると尚のこと非力に見える。およそ彼の横に立つには違和感のある容姿だ。

「お前がフドウだな。星矢だ、よろしく」
「私のことは、彼に何と?」
「何とも。ただ組織とは関わりがない、ってことだけは聞いてるよ」
「ああ…間違いはない」

ハービンジャーが現在率いている組織は元々、私の友人であったマルスが統括していた。尤も私はマルスのやっていたことに対して深く関知していたわけではなかったから、そのあたりの顛末は知ったことではないが。…ただハービンジャーの噂が台頭してくるにあたってめっきりマルスの行方を耳にすることがなくなったから、恐らく彼はもうこの世にはいないのだろう。そのことに友としての寂しさこそあれ、しかし盛りあるものは廃れゆくこともまた道理であるから、そのことに対して私はハービンジャーに何も抱いていないが。ハービンジャーと親交を持ったのは彼が組織を引き継いだ後だったから、彼は私に対して最初後ろめたさも感じていたようだったが。組織とは関わりないものの、友人として彼の必要とあらば色々と後ろ盾はしている。お互い、明るい身の上でもないもの同士。

「彼は飼い猫ということだが。ならば彼もきみの部下なのか?」
「いや、部下なら部下って伝えるがよ。何というか…説明しにくい感じでな。少なくとも組織の人間ではない」
「愛人ってトコかな」

からかうような微笑みを湛えて、星矢が口を挟んだ。どうやら説明しにくいというのは本当のことなのだろう。それが単に話が難しいだけなのか、それとも漏らしにくい話なのかまでは判別がつかないが。

「あー、まあ、それが一番近いかもな」
「腕のほどは?」
「知らねえ。もっとも、不死身じゃねえのかと疑うレベルだがな」
「一線は退いたからなあ。随分前に」

気に食わないように頭を掻くハービンジャーとは反対にからりと笑っている星矢に、しかしそのような恐ろしさは見えない。尤もそれが真実だとも思わないから、どのような間柄であれハービンジャーが彼を手元に置いていることから考えても相当強かなのは確かだろう。表の人間でないことも、確実として。

「今日は彼を?」
「ああ、頼めるか?」

「そうだな…本来なら断っているが。彼には少し興味が湧いた」ちらりと視線を星矢の方に向けると、星矢は繕った綺麗な微笑みで「光栄だな」と言った。言葉を交わさずとも、理解できることはある。その所作に、表情に、気に滲むもの。星矢のそれら全てが彼が尋常の人間ではないと表していた。不思議な人間だった。眩しくつめたい光のようでありながら、どこか濁ったような…あるいは深い闇の中にいるような隙のなさを窺わせる。その歪さに、私は些か惹かれた。

「図案は? 確かきみのときは、私が好きに彫った覚えがあるが」
「ああ。気に入ってるぜ」
「心臓にかけて走る猛々しい雄牛。こいつらしいだろう?」
「ということは、あの案は星矢が?」
「ああ。今回も、細かいデザインはお前に任せる」

お前のセンスは俺も信用してるしな、と平然とハービンジャーが言う。恥ずかしいことを言ってるな、と思うもののまあ悪い気はしない。「しかし彼はきみの所有物だろう?私が勝手に彫っていいのか」

「俺が決めてもこいつが臍曲げそうだしな」
「俺は別にお前が決めてもいいけどな。お前のモノって感じで」

星矢は完全に面白がっている。どこまで本当かはわからないが、どちらでもいいというのも本心だろう。そのとき私はふとハービンジャーの言葉を思い出しながら、確かに彼を表すのに飼い猫という表現は妙なのかもしれない、と思った。何というかこう…気まぐれな感じが。

「ああ…そうだな、じゃあ一つ」
「うん?」
「黄金の短剣を、どこかに入れてくれ。後は星矢とお前の通りに」

黄金の短剣、とハービンジャーが言ったとき。星矢の瞳が氷を落としたように一瞬鋭くなったが、それは瞬きほどもしない間に元の人好きのしそうな顔に戻った。私が気づいたのだから、私より彼のことを知っているハービンジャーも当然そのことには気づいているだろう。その言葉が彼とハービンジャーの間で何を意味するのか、私に知ろうという気はないが。

「じゃあ、こちらへ。ハービンジャーはどうしますか」
「帰るよ。お気に入りが弄られてんの見るほど物好きじゃねえ」

自分が話題にされているのに、星矢は愉快そうにくすくすと笑いを零していた。ハービンジャーは随分前に出したっきり手のつけていなかったコーヒーを、くっと一息に飲み干すと、ソファを立った。「星矢のことは任せる。邪魔したな」外していたストールを巻き直して、コートを肩で着ると、躊躇う様子もなく出て行った。


「可愛いだろ、あれ」
「彼を揶揄える人間は、そういないと思いますがね」
「だから面白いんじゃないか」

星矢の方は、いつの間にか飲み干していたらしい。「で、何だっけ。そっちは?」

「寝室です。そのソファもベッドになりますから、ここでも構いませんが」
「いや…そっちがいいな。ここはちょっと、冷える」

こっちは風が通るから、確かに少し冷えるのも事実だ。しかし星矢の口ぶりから本当にそれが理由であるとは思えなくて、私はふっと笑いが漏れた。
彼もずいぶん、手のかかりそうな猫を飼っているものだ。






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