いつつめ
└三十一
それから二人は予想通り、仲睦まじい夫婦になった。
あの時、草むらから様子を窺っていた村の娘には気の毒だが、私なりに誠心誠意話をしたつもりだ。
涙を流す姿は胸に痛かったけれど、何よりもあの二人を応援したくなってしまった。
あの日、頬を染めた二人にどうしても幸せになって欲しかったのだ。
「こんにちは!」
「ああ、八重ちゃん!今日も働き者ねー!」
「もうすぐ船が帰ってくるよ、一緒に待ちましょう」
「はい!」
和生さんの誠実さと、八重ちゃんの健気さ。
それは村の人達にもどんどん伝わって、いつの間にか二人は誰からも「おしどり夫婦」と呼ばれるようになった。
和生さんは八重ちゃんを宝物のように大事にしてたし、八重ちゃんも和生さんを尊敬し大事にしていた。
「あ、和生さんだ!」
「あらーよく見えるわね!」
「貴女達って目も良いのね!私達にはまだ船の形しかわからないわ」
そんな二人の姿が、人間と人魚の蟠りも溶かしたと思う。
私からしたら感謝してもしきれない。
…でも、ひとつ心配事はあった。
八重ちゃんと一緒に来た人魚は、もうとっくに海へ還っている。
彼女達だけではない。
大きなお腹を抱えて嬉しそうに波の合間に消えていくのを、すでに何度も見送った。
しかしこればっかりはどうにか出来る事ではないし…
それに、子供が出来ない間はあの二人は一緒にいられる。
「………」
人魚との契約とか村の事とか、いろいろな事が頭を過ぎったけれど。
私はあまり考えないようにしていた。
しかし、それから少しして八重ちゃんの姿をあまり見かけなくなった。
和生さんはただの風邪だと言っていた。
見舞いに行こうとも、「そこまでではないから」「実は酷い出来物ができて…」といろんな理由で断られてしまう。
でも何となく心配になって、私はある日、悪いと思いつつも和生さんが漁に出ている間に彼らの家に足を向けた。
「八重ちゃん?ヒサです。体調はどう?」
「………」
声を掛けてからややあって、返事の代わりにゆっくりと戸が開く。
「八重ちゃん!」
そこから顔を覗かせたのは八重ちゃんだった。
しかし顔色は悪く、ここへ来たときよりも随分と痩せてしまった。
本当は風邪ではなく、もっと悪い病気なのではないかと不安が過ぎる。
八重ちゃんは少し周りを気にしながら、私を家の中に招き入れた。
「…八重ちゃん、大丈夫なの?ちゃんと食事摂れてる?お医者さまには?」
「ヒサさん…今、お茶を…」
「そんなのいいから!横になりなさい!」
私の言葉に促されて、八重ちゃんはヨロヨロと座る。
その傍らで彼女の肩を支えながら、改めて八重ちゃんの顔色の悪さに不安を覚えた。
「本当に大丈夫?もしお医者さまに見せるのが気になるなら…」
「……うっ」
「八重ちゃん…!?」
八重ちゃんは綺麗な瞳にいっぱいの涙を溜めていた。
桜貝の唇は、前よりも少しかさついて震えている。
そして小さな声で繰り返すのだ。
「お願い…ます…ごめんなさい、お願いしま…」
私の顔を見ると、震えながら床に手をついて頭を下げた。
「や、八重ちゃん、一体…」
突然の土下座に言葉を失っていると、背後で都が開く。
「八重!?」
そこには漁から帰って来た和生さんが…
彼は私と八重ちゃんを交互に見ると、すぐに八重ちゃんの隣に座り、同じように手をついた。
「和生さんまで…一体どういうことなの?頭を上げて説明してちょうだい」
頭を下げ続ける二人を起こしながら言うと、八重ちゃんはぽろぽろと涙を零す。
「ヒサさん…私…私、お腹に…」
「え…っまさか…」
八重ちゃんは小さく頷いた。
「まぁ…!それはおめでと…」
「ヒサさん!私!」
「八重!落ち着け!」
お祝いの言葉を言い終わらない内に、八重ちゃんは私に縋りつくように抱き着く。
そしていっそう涙を零して、つっかえつっかえこう言うのだ。
「私…海に還りたくない…!」
「え…!?」
「お腹の子を和生さんと育てたいんです…!和生さんと一緒に…」
「八重ちゃん…」
「約束を破るのは承知です、村を出て行けと言うなら出ていきます…私…」
しゃくりあげる八重ちゃんは、一度ぎゅっと唇を結ぶと、しっかりと私を見た。
「私、和生さんとちゃんと家族になりたいんです」
とても、とても強い目だった。
これほどの力が、彼女のどこから湧き出てくるのだろう。
本当に愛する人を見つけたから?
母親になったから?
(…両方なんだわ)
愛する人に巡り合って、育み、子に恵まれる。
そしてその子の成長を、愛する人とともに見守りたい。
この感情は、人間も人魚も関係ない。
子種だけ授受する関係こそがおかしいのだ。
そう、この村こそが、おかしいのだ…
「…和生さんも同じ考えなのね?」
「はい…!八重と子供と三人でいられるなら、何だってします」
そして改めて頭を下げる。
「お願いします、女将さん。俺達を見逃してください」
私は込み上げそうな涙をぐっとこらえると、ペシッと彼の肩を叩いた。
「馬鹿ね!何ですぐに相談に来なかったの!」
「え……」
「八重ちゃん、ちゃんと食べてないんじゃない?こんなに痩せちゃって…悪阻にしたって体力が必要なんだから」
「ヒ、ヒサさん」
「こんな生活じゃ赤ちゃんだって安心して育たないじゃない!」
私の言葉を聞いて、八重ちゃんは再びワッと泣き出した。
和生さんも涙を浮かべて八重ちゃんの肩を抱いている。
そんな二人に向き合って、私は声を潜めた。
「…今夜、みんなが寝静まった頃にうちに来なさい」
「でも船頭が…」
「私が何としてでも説得する。うちの離れで二人で暮らすの、和生さんは病気という事にしてずっと八重ちゃんと一緒にいなさい」
幸い、この村で食べ物に困る事はない。
いざという時は私の分を彼らに分ければいい。
今思えばなんて無茶な提案だったろうと思う。
でも、二人には一緒にいてほしかった。
これから生まれる赤ちゃんを、二人で迎えてほしかった。
きっと村人にばれれば、八重ちゃんと和生さんの人柄を持ってしても反感を買うだろう。
だったら二人で隠れて…いずれ時を見てこの村を出ればいいと思った。
そうだ、こんな村に縛られる必要はない。
この二人には、この二人だけには…
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