いつつめ
└一
― 一ノ幕 ―
ざざーーん…
「……っ!」
ざざー……ん
『…はぁ』
ああ、ごめんなさい。
言いたい事はわかるんです。
でも、今は薬売りさんの溜息も耳には届かない。
「こ、これが海なんですね…!」
何せ生まれて初めて見る"海"とやらが、今目の前にあるのだから。
「すごい…すごい!!」
『…結』
「だって薬売りさん、向こう岸が見えないんですよ!?なんでこんな繰り返し波が…!?」
見渡す限りの青い水。
規則正しく繰り返される波の音が辺り一面に響き渡る。
時折聞こえてくる鳥の声も、故郷のものとは全然違う。
この圧巻の景色は、海とは無縁の土地で育った自分にはひとたまりもなく…
(水は冷たいのかな…?波って触ると引っ張られるのかな…!?)
「……っぐ!」
急に喉をギュッと絞められて、おかしな声が出た。
『遊びたい気持ちはわかりますが、少し落ち着きなさい』
「は、はい…」
『結が思っているほど海は甘くないですからね。いいですか…』
薬売りさんは呆れ顔のまま、掴んでいた襟を離す。
そして滔々と海の危険さを私に説明したのだった。
『…なので、海は美しいと同時に人の命を奪う危険なものでもあるんです』
「はい…」
『何です?そのうんざり顔は』
「いえ…っ勉強になりました」
ふんっと鼻を鳴らす薬売りさん。
でも、変わらず耳に届き続ける波の音は、やっぱり私の心を浮き足立たせる。
どうにもそわそわした雰囲気を隠せないままの私を見て、薬売りさんは観念したかのように小さく笑った。
『…波打ち際で、足だけ…ですよ?』
「!!いいんですか!?」
『草履は脱ぎなさい、流されますから』
「はーい!!」
『返事は短く』
私はささっと荷物を降ろして草履を脱いで、砂浜を駆け出した。
(わ、わ、変な感じ…!)
足に纏わり付くような砂は不思議な感触で。
こんなの故郷には無かった。
一歩一歩が少しだけ飲み込まれそうで、足の裏に伝わる熱までもが新鮮だ。
「きゃー!」
ざー…ん
小さな波が足元で弾ける。
冷たい水しぶきが着物を濡らしそうで、慌てて裾を持ち上げた。
そして波が戻る時の、引っ張られるような感覚ときたら…!!
「すごい…すごーい!!」
これをはしゃがずして、何ではしゃげばいいと言うのか。
…何て言ったら少し大袈裟だろうか。
でも私にとってはそれくらいの衝撃だったのだ。
→1/37[*前] [次#]
[目次]
[しおりを挟む]