第四章
└一
― 一ノ幕 ―
町中から賑やかな声が溢れる。
威勢のいい男の人、楽しそうに笑う女の人、そしてはしゃぐ子供の声。
「すごい賑わいですねー!」
「あ、ほら結ちゃん!動かないの!」
窓の方に体を傾ける私を、絹江さんが強引に引き戻す。
「もう、帯が曲がっちゃうでしょ!」
「はぁい」
私の背後に回って座り込んでいる絹江さんは、クスクスと笑いながら手際よく飾り帯を結んでいく。
「はい!できた!」
ぽんっと絹江さんが私の肩を叩いた。
「ほら、見てごらん?」
そう言って部屋の端から姿見を引いてくる。
「わぁ…!」
淡い紫の浴衣。
帯は黒地で、色とりどりの見事な刺繍がされている。
「すごい…!綺麗!」
「でしょう?私もお気に入りだったんだから、この浴衣!」
得意気に絹江さんは胸を張った。
「でも、こんな大そうな物…本当にいいんですか?」
私がおずおずと尋ねると、絹江さんは大げさに手を振る。
「いーのよ!私が娘時代に来ていた浴衣だもの!もう私には着られないんだから!」
そして鏡越しに私を見つめた。
「それにね、結ちゃんが着てくれるなら私も嬉しいわ。結ちゃん色が白いからねー!この色がよく似合うわよ」
「ありがとう、絹江さん…」
絹江さんの笑顔にじんわりと心が温かくなる。
「それに!今日のお祭りは薬売りさんと行くんでしょう?」
「…っ!そ、それは…!」
ニヤリと笑う絹江さん。
「まぁ、絶対に弥勒くんに邪魔されるでしょうけどねー」
「あ、あははは…」
「ふふ、でも本当、結ちゃんの体調が回復してよかったわ」
そう、今日はこの町の秋祭り。
先日の風邪から回復した私は、薬売りさんの許可をもらってお祭りに出かけられることになった。
「でも薬売りさんも案外優しいのね?あの様子じゃ外出なんて大反対しそうだったけど…」
「…へ?」
「結ちゃんには甘いんだからね〜」
「き、絹江さん!」
ぼっと頬が熱くなる。
でも、それは絹江さんのせいだけじゃなくて…
(うぅ…思い出してしまった…)
熱を出していたあの日。
私自身の意識がぼんやりしていたから確信もないけど…
『私を見なさい』
そう言って、薬売りさんは私に…
(し、したよね…)
私の勘違いでなければ…その…たぶん、薬売りさんは私に口付けを…
「う、うわああぁぁぁ!!!」
「ぎゃー!!!な、何、急に!!」
急に声を上げたもんだから、絹江さんはびくっと跳ね上がった。
「いやいやいや…違うんです…ごめんなさい、きっとあれは気が立ってる猫をなでる程度の話でして…いやもう本当…だからってってのはありますけどきっとその程度なんです…」
「ちょ…だ、大丈夫?結ちゃん…」
ぶつぶつと繰り返す私に、絹江さんが引きつった笑顔で問いかける。
「いえ、大丈夫です…はい…」
私が頼りない返事をしたとき、襖が勢いよく開いた。
「おおおおぉぉ!!!結!!!すげー綺麗だなー!!」
「あ、弥勒くん…って!!ちょっと!!」
言葉の勢いのまま、弥勒君が私に向かって突進してくる。
「結、超可愛い!!俺と祭りいこうぜえぇぁあああ!?」
ドターン!!
「ああぁ!!弥勒くん!!」
弥勒くんは、私に手を広げながら走ってきたものの、一歩手前で盛大に転んだ。
「いってぇぇぇ!!!」
したたかに畳に顔を打ち付けたようで、少し涙目になりながら体を起こす。
「てめぇ!!薬売り!!!」
後頭部を抑えながら振り返る弥勒くん。
『……………』
「あ…薬売りさん…」
そこにはいつもの冷ややかな視線の薬売りさんがいた。
「てめぇっ何か投げただろ!!」
ちりんっ
「あ、天秤さん!」
弥勒くんの傍で、天秤さんがゆらゆらと体を揺らしていた。
『…ふん、騒がしい』
薬売りさんは吐き捨てるように呟くと、視線を私に向けた。
「…っ!」
『………』
(な…何か言って…)
沈黙が気まずい…
あの夜のぼんやりした記憶だけが頭をぐるぐると掻き回していく。
『…支度が出来たなら出かけますよ』
「あ…は、はい…!」
私の緊張も虚しく…
薬売りさんはいつも通りの無表情で、階段を降りて行ってしまった。
「なぁんだよ、愛想のない奴!なぁ、そんな事より俺と…」
「ああぁあ!!そうだ、弥勒くん!今日さ、うちの手伝いしてよ!うちも露店出すことにしたから人手が足りなくてさぁ!」
「え?女将ちょっと…」
絹江さんは弥勒くんの首根っこを掴むと、ズルズルと引き摺るようにして行く。
「じゃあ結ちゃん、楽しんでおいで!」
「あ、はい!ありがとうございました…!」
「ちょ、ま、結ーーー!!」
明るく手を振る絹江さんとは対称的に、弥勒くんは涙目…
「てゆーか、女将さっき俺に足掛けなかった…?」
「えー?まっさかー!」
お祭りにも負けないくらいの賑やかな二人の声は、やがて階下に消えていった。
「だ、大丈夫かな…」
私はそう呟きながら、もう一度姿見で自分の浴衣姿を確認する。
鏡の中の自分は、いつもと少しだけ違って…
表情が照れ臭さと緊張で硬くなってるのが自分でもわかる。
「…普段通り、普段通り!」
ぺちぺちと自分の頬を両手で叩くと、私は急いで薬売りさんの元に向かった。
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