第一章
└一
― 一ノ幕 ―
――とある城下町の宿屋。
「女将さん、おはようございます!」
「あら、結ちゃんおはよう」
割烹着姿の女将さんが忙しそうにパタパタと動いている。
私は着物の袖をまくると、女将さんの抱えていた桶を受け取った。
「手伝います!」
女将さんはにこっと笑うと、
「いつもありがとうね、結ちゃん!本当助かるよ!」
そう言って台所に慌てて戻っていった。
ここは城下町の宿屋「扇屋」。
私はもうここに二月ほど泊まっている。
さっきの割烹着姿の女性はここの女将さんの「絹江さん」。
朝は食事の準備や、お客さんのお見送りで忙しい。
「おぉい!お絹!朝食運んでくれー!」
「あいよー!」
奥の台所で朝食を作っているのは、旦那さんの「庄造さん」。
なんでも元々お屋敷で料理人をやってた人だったとか。
「旦那さん、私も手伝いますよ!」
めまぐるしく忙しい朝。
でも私はそんな朝が大好きだった。
「結ちゃん、お客さんなのにいつも悪いなぁ」
一段落して私達も朝食を頂く。
私は絶品のお味噌汁を啜りながら首を振った。
「いえいえ、私なんかで良ければ…本当にお手伝い程度しかできないけども…」
「とーんでもない!結ちゃんがいてくれていつもどんなに助かっているか!ねぇ、あんた?」
「そうだそうだ、特に朝なんかはこんなおっちょこちょいと二人じゃてんてこ舞いだ!」
戯けるように言う旦那さんの肩を、絹江さんがバシっと叩く。
「おぉ痛ぇ!まったく馬鹿力が!」
「何だってぇ!?その馬鹿力に惚れた大馬鹿はどこのどいつだい!」
いつもの二人のやりとり。
私は笑いながらそれを見ていた。
どんなに大きな声で喧嘩口調でも、この二人の言葉には暖かみがある。
きっとお互いが想い合ってないと、できないやりとり。
見ているこっちまで、なんだか暖かくなる。
(夫婦っていいもんだなぁー…)
庄造さんの焼いた魚を食べながら、そんな事を考えていた。
「でもね、結ちゃん。本当に無理して手伝わなくて良いんだからね?そりゃ客が入れば忙しいけどさ、元々私達二人でやってきた宿屋なんだ。それに第一結ちゃんはお客だろ?」
絹江さんが心配そうに言うと、旦那さんもうんうんと頷いた。
私はなんだか胸がいっぱいになってしまって、箸を置いて急いで口の中のご飯を飲み込む。
「庄造さん、絹江さん。私ね、ここのお手伝いとっても楽しいの。みんなの一日の始まりをお手伝いしているみたいで、とっても幸せなの。もちろん女将さんの邪魔になるなら大人しくしているけど…ここに来て二月、何も知らない私に旦那さんと女将さんがいろんな事教えてくれたのが本当に嬉しかったの。だから…」
一言一言、旦那さんと女将さんの目を見ながらゆっくりと話す。
ここに来た頃、私は本当に何も知らなかった。
そう、何も……
「迷惑でなければ、できる限りのお手伝いはさせてください」
心なしか旦那さんの目が赤くなっているように見える。
女将さんはこらえきれないと言うように私にガシっと抱きついた。
「なんてイイコなんだい!!お礼なんて…気にしなくて良いんだよ!」
「そうだぞ、俺らには子供がいねぇからな。結ちゃんが本当の娘みたいに可愛いだけなんだ」
旦那さんの大きな手が私の頭を撫でる。
「あ……」
ズキ、ン…
(あれ…?)
なんだろう、この違和感…
違和感…?
違う、なんかもっと別の…
「ここには長く泊まっているんだろう?」
女将さんの涙混じりの声に、ハッと我に返った。
「あ、はい。まだまだこの町でやる事が山積みだからって…」
「へぇ…やる事って何だろうね?」
「そういやぁ、まだ寝てるのかい?」
階段の方を指さしながら旦那さんが私に問いかける。
「あ、はい。昨日は夜半までかかったようで…」
「ふーん?薬売りってのも大変なんだねぇ?」
「あ、あはは……」
ドキッとなる胸をおさえながら私は作り笑いを浮かべた。
そして逃げるように
「でも、そろそろ起こしてきますね!」
庄造さんが指さした階段を駆け上った。
「…あんなに明るくて健気な子なのに…」
結が見えなくなると、庄造は小さく溜め息をついた。
「本当…ここに来るまでの記憶が一切ないなんて…」
絹江は目頭を袂で拭いながら頷く。
「きっと…耐えるに耐えられない出来事があったのかもしれないね」
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