番外章(五)
└二
「よし乃!結も誘って遊びに行こうぜ!」
物心ついた時から、私はこの町にいた。
父親は、いない。
母と二人、大店の秀太郎の家の離れに住まわせてもらってた。
「うん!結、もう起きてるかな?」
この町に子供はそう多くなくて、私と秀太郎、そしてすぐ近所に住む結の三人で、いつも一緒に遊んでいた。
小さい頃はあまりよくわからなかったけど、結は武家の娘で秀太郎は大店の跡継ぎ。
身分の違いで関係を絶たれなかったのは、周囲の大人が優しかったんだと、今ならわかる。
「よし乃ちゃーん!秀ちゃーん!」
「結ー遊びに行こうー!」
結の家に着くと、庭先から可愛らしい声。
中を覗けば、結とお父さんの惣介さんが笑っている。
「おじさん、おはようございます!」
「おー、秀ちゃんはいつも元気だなぁ!よし乃ちゃんもおはよう」
「おはようございます」
結のお父さんは体を壊してるって、秀太郎のおうちの女中さんが言っていた。
お侍さんだけど、都勤めはしないでのんびり出来るこの町に戻ってきたんだと。
「とても穏やかで優しい人なのよ」
みんなの話通り、おじさんは私や秀太郎にも結と同様に優しく接してくれた。
結はもちろん、私も秀太郎もおじさんが大好きだった。
「今日はどこに行くの?」
結が私たちの方に走り寄ってくる。
「秀太郎が、丘の近くで子犬を見つけたんだって!見に行ってみようよ!」
「子犬!?行きたいー!」
きゃっきゃ騒ぐ私達に、おじさんが軒先から声を掛けた。
「みんなまた泥んこになると叱られるぞー?」
「大丈夫ー!」
「ははは、結の大丈夫は反対の意味に聞こえるなぁ…みんなお昼までには帰って来るんだよ?」
「はーい!」
私達は元気良く返事をすると、一斉に駆け出した。
「待ってー」
少しだけ年下の結は、一生懸命に私と秀太郎についてくる。
私はその姿が可愛くて、まるで妹が出来たみたいで嬉しくて。
「ほら、結!おいで?」
立ち止まって結に手を差し出すと、彼女はパァッと笑顔を零す。
そして嬉しそうに私の手をキュッと握った。
「うん!よし乃ちゃん、ありがとう!」
みんなに愛されて育った少女。
そしてその愛情は、彼女の体中から振りまかれている。
私も秀太郎も本当に結の家族も結自身も大好きだった。
たくさん走り回った私達は、日が高くなる頃に空腹に気付いてそれぞれの家に帰ることにした。
「子犬可愛かったなぁ、父ちゃんに言ったら飼わせてくれるかなぁ?」
「秀太郎のうちは無理なんじゃない?お店の物もあるし…」
「結の家も、おばあちゃんにダメって言われそうだなぁ」
淋しそうに鼻を鳴らす子犬を見て、三人で溜息を吐く。
でも、少しすると遠くを見て激しく尻尾を振り出した。
「あ…!あれって…」
子犬に向かって一匹の犬が走ってくる。
そして子犬も嬉しそうに走り寄っていった。
「おんなじ模様だね」
「本当だ、お母さんかな?」
母犬の足元に縋るように、子犬が跳ねながら着いていく。
私達はその様子を見て、顔を見合わせて笑った。
「なんか…あの子犬、結みたい」
「えー?」
「あ、俺も思った!」
私と秀太郎の言葉に、結はちょっと拗ねたように唇を尖らせた。
「あんなに赤ちゃんじゃないもん…」
「ははは!そうかー?まぁ、いいや!お腹空いたし帰ろうよ」
そう言って秀太郎が結に手を差し出した。
でも、結はぷいっと顔を背けてしまう。
「結、よし乃ちゃんと手つなぐ!」
「え!何でだよ?」
「よし乃ちゃんがいいの!」
「きゃっ」
結は少し恥ずかしそうに笑いながら、私の手に自分の手を絡めた。
私も少しだけ照れ臭くてくすぐったい気持ちを感じながら、彼女の手を握り返す。
「秀太郎より私が好きなんだってー」
「ちぇー!何だよー二人してー!」
嬉しさと気恥ずかしさを隠すように秀太郎を茶化すと、彼は笑いながら肩を竦めた。
そして私達は童歌を歌いながら家路につく。
私の左手には、結の小さな温かな手。
時々横を見れば、結は嬉しそうに私を見上げて笑う。
その仕草が可愛くて、私の頬も緩みっぱなし。
「あのね、結ね」
「どうしたの?」
少しして結はもじもじしながら私を見上げた。
小さな手にぎゅうっと力を込めて頬を染める。
「ずっと、お姉ちゃんがいたらいいなって思ってたの」
「そうなの?」
「うん…でも、今はいいんだ」
「どうして?」
私が問うと、結はニコッと笑って背伸びをする。
「だってね、よし乃ちゃんがいるもん」
大事な内緒話をするように、私に耳打ちした。
「よし乃ちゃんは、結のお姉ちゃんだもん!」
えへへと笑いながら言う結。
どうしてだろう、何故か泣きたくなるような嬉しくて飛び跳ねたくなるような…
産まれて初めて味わう、不思議な感覚。
もう少し大人だったらわかったのかもしれない。
たぶん、こういうのを"幸せ"って言うんだと。
「…私も結は本当の妹みたいに思ってるよ」
「本当!?」
「うん、だって私達いっつも一緒じゃない。きっと本当の姉妹より仲良しだよ」
「うん!そうだね!ずっと一緒だもんね!」
結は嬉しそうに私の手をぶんぶんと振った。
私達の笑い声を聞いて、少し先を歩いていた秀太郎が振り返る。
「おーい!早く帰ろうよー腹減ったー」
「すぐ行くわよ!」
私と結はまるで大事な秘密を共有したかのように、顔を見合わせて笑った。
「ずっと一緒だもんね、大人になってもずっとずーっと一緒!」
にこにこと笑いながら結が言う。
―私だって、そう思ってた。
この小さな手がいつまでも私の手を握っていてくれる。
私達は幼すぎて、そう信じて疑わなかった。
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