番外章(五)
└三
いつまでも子供の頃の関係が続くわけは無く。
私達は、一緒に泥んこになるのが気恥ずかしい年頃になった。
結のお父さんである惣介おじさんは病いに倒れ、聞いたところに寄ると多恵おばさんは再婚するらしい。
「それが、随分男前らしいわよー?」
「多恵さんも美人だもんねぇ。でもこれで跡継ぎが生まれればあの家も安泰よねぇ」
秀太郎の家の女中達は噂話に余念が無い。
もちろんこの家にお世話になっている以上、母と同じように私も秀太郎の家の手伝いをした。
「ね、よし乃ちゃんはいい関係な人とか、いないの!?」
「え!?私!?そ、そんなのいないですよ」
「あらお母さん譲りの美人さんなのに勿体無い!」
人のいい女中達がカラカラと笑う。
(そんな…だって私は…)
私は仕事の手を止めると、こっそりと暖簾の向こうで客と話し込んでる秀太郎を見た。
…変わってしまったのは幼馴染三人の関係だけじゃなく。
私自身、秀太郎の傍にいるのが最近はちょっと胸が苦しい。
物心ついた時から一緒にいたから、なんてありきたりな理由だけじゃない。
ううん、ずっと一緒にいたからこそ、私は秀太郎の良い所も弱い所も沢山見てきた。
だからこそ、なのだ。
「お、よし乃!」
「あ…秀太郎…」
「今、羊羹もらったんだ。休憩しながら食べようぜ」
子供の頃から変わらない笑顔で秀太郎が笑う。
「い、今ちょっと忙しいの!手が空いたら付き合うから…先に食べてなさいよ!」
私は照れ隠しで、つっけんどんに返事をしてしまう。
普段から自分の母と同じくらいの歳の人達に囲まれてた私は、少し生意気だったかも知れない。
「ったく、よし乃は冷たいんだから…じゃあ後で裏の縁側に来いよ!うんまいお茶用意しとくから!」
「わかったから…!」
でも、秀太郎は何も変わらずに私と一緒にいてくれていたから。
緩んでしまう頬を必死に隠しながら、私は仕事の手を慌しく動かした。
「美味しい!」
「な!これきっといい羊羹だぞー」
仕事がひと段落して、私は秀太郎と縁側に並んで羊羹を頬張っていた。
幼い頃より、ほんのちょっと離れた距離に座る。
それでも私とって、秀太郎と一緒に過ごすひと時は堪らなく幸せだった。
「なぁ。結の家さ…」
「…うん」
おじさんが亡くなってから、結は私達の前にちっとも姿を見せなくなった。
家に会いに行けば顔は見るものの、前のように一緒に遊ぶことは無い。
いつだか結にギュッと握られていた手を、私は無意識に結んだ。
「再婚なんかして、結、いじめられたりしないかな…」
秀太郎は心配そうに眉を寄せた。
そんな彼の姿を見ると、私の胸はいつもキリッと痛む。
結が塞ぎこんでから、秀太郎の話題は専ら結だ。
「…そんな悪い人じゃないみたいよ、新しい旦那さん」
「そうなんだ?よし乃見たの?」
「ううん、ただの…噂話」
秀太郎は肩を竦めると、ふぅっと小さく溜息を吐いた。
「…また前みたいに結の笑った顔が見たいなぁ…」
「……………」
たぶん、秀太郎に悪気も下心も無い。
だからこそ私の胸の痛みは、じわじわと沁みこんで。
「もう子供じゃないんだから…前みたいになんて無理よ」
「そんな事言うなよ…」
「それに秀太郎だってもう遊んでる暇なんて無いじゃない、お店の手伝いだってあるんだから!」
思わず大きな声が出てしまって、しんっと静まり返った。
秀太郎は目を丸くして私を見た後、お茶を啜って静かに続ける。
「…いや、さ。前みたいに泥だらけになって遊びたいわけじゃないさ。でも結がまた元気になって…ニコニコ笑う顔、見たいんだよ…」
「…………」
「よし乃だってそう思うだろ?」
…私だって、結の笑顔は見たい。
でも、私だって。
私だって、あの子みたいに秀太郎の心に残りたい。
ほんの少しで良い、秀太郎の心の隅でもいいから…
「…そう…ね」
どんなに望んでも、きっと秀太郎には伝わらない。
彼の心に住む、小さなあの子にはきっと勝てない。
結んだ手が、力を込めすぎて白く震えていた。
―――………
「…よし乃?」
「お母さん、どうしたの?」
それからしばらくした夜。
布団に横になってから、母に声を掛けられた。
「あなた…秀太郎坊ちゃんが…好きなの?」
「え……っ」
急に言い当てられた気持ちに、私の心臓はとくんっと跳ねた。
でも、母の声音はあくまで冷静だ。
「…そ、それは…」
「…違うならいいのよ…」
「…………」
「でも…もしそうなら、早いうちに諦めなさい」
「……っ!な、何で…」
母の言葉に私は思わず飛び起きる。
そんな様子を見て、母もゆっくりと体を起こした。
「…あなたには…私と同じ人生を送って欲しくないのよ」
「…え…」
「ここの人達はみんな優しいけれど、やっぱり身分の違いは大きいの」
…一度、小さな頃に母に尋ねたことがある。
「私のお父さんはどこにいるの?」
母は何も答えずに泣き笑いのような表情を浮かべて、私を抱きしめただけだった。
幼心に聞いてはいけない事だったのだと悟った。
「…お母さんと…お父さんが身分違いの恋愛をしたって事…?」
「………ここの大旦那様に拾ってもらわなければ、私達は今頃お布団でなんて眠れていなかったわ…ご恩があるの。よし乃だってわかるでしょう?」
母に返す言葉が無い。
でも、私の目にはじんわりと涙が浮かび始めた。
「何でよ…そんなの、お母さんの都合じゃない!それに秀太郎は…お母さんを捨てた人みたいに冷たくなんか無いわ!」
「よし乃!」
私は涙を見られたくなくて、夜の庭に飛び出した。
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