第二章
└四
――すでに日が傾きかけた川べり。
少し肌寒いくらいの風が通り抜けて行く。
「あ、あのぉ…」
「ん??」
「やまびこって…あの、やっほーって言うと、やっほーって返ってくる…やつ?」
自分で言ってて、なんだか間抜けだなと思う…
でも目の前の男の子…心太(しんた)くんがそう言うのだから、他に聞きようがない。
私の質問に心太くんは大きく頷いた。
「俺、いつもは山の奥に居るんだ。たまに人間の声がしたら返したりもするし、山で迷った人間に道教えてやったりもしてる」
そう言ってにこにこと笑って、背後の山を指さした。
そんなに高くない山だけど、確かに森は深そうだ。
山頂に向かうにつれ、木々の緑が鬱そうとしている。
(う…うーーーーん…)
やまびこってモノノ怪なのだろうか?
"木霊"とも言うし、モノノ怪の類とは違うのかな?
「……薬売りさんに聞いてみようかな…」
明らかに訝しげな視線を投げているにもかかわらず、心太くんは変わらずにこにこと笑顔だ。
誰かと会話できた事がそんなに嬉しいのだろうか?
でも、その屈託のない笑顔を見ていると、私までクスッと笑顔になりそうだった。
(…悪い事しそうには見えないなぁ)
「ね、心太くん。いつもはもっと山奥に居るんでしょう?それなら、なんでこんな町の近くに?」
私が問いかけると、心太くんはビクッと肩をふるわせた。
「あ、お、俺、そ、そ、その…」
「……………」
明らかに慌てふためき、その顔は真っ赤に染まっている。
指先は所在なげにごそごそと着物をいじったり、髪をいじったりしていた。
「お、お、お、俺…あ、逢い…たくて…」
「え?誰に?」
「……お、おおおおお茶の…」
「おちゃ…あぁ!美園ちゃん!?」
私が美園ちゃんの名前を言うと、真っ赤になった心太くんは俯きながら小さく頷いた。
「…ぷっ」
「…な、な、なんだよ」
「だって…あはは!心太くん、美園ちゃんの事…」
言い当てられた心太くんは、ますます赤く染まって行く。
「美園ちゃん、可愛いもんね!」
私の言葉に、俯きながらもこくこくと頷く心太くん。
(ふふふっ、何か可愛いなぁ〜)
素直な心太くんの反応が面白くて、ついついからかってしまう。
「それなら美園ちゃんと居るときに話しかけてくれば良かったじゃない」
軽く肘でつつきながら言うと、心太くんは少しだけ顔を上げてまた俯いてしまった。
「…それは…無理だから…」
「え?」
「普通、人間は俺の姿が見えないし…」
「あ…!」
心太くんが最初に言っていた言葉を思い出す。
(だからあんなに俺が見えるのか?って驚いてたんだ)
「それに、俺の姿が見えない奴とは会話が出来ない」
「会話が出来ない?」
鸚鵡返しする私に、心太くんは頷いた。
「俺は…木霊だから。相手の言った言葉をそのまま返すしか出来ない」
そう呟くと、困ったように笑った。
「そ、そんな……」
さっきまでの明るい笑顔と打って変わって、もの悲しげな笑顔が余計につらそうに見えた。
山に響くやまびこ。
確かに違う言葉が返って来たら、おかしい。
「でも、それじゃぁ…」
心太くんは、美園ちゃんに声を掛ける事すら出来ない。
…いや、心太くんの存在すら、わかってもらえないのか…
「でもお前は俺が見えるんだな!すげぇな!」
「心太くん…」
またにこにこと明るい笑顔を浮かべて、ぽんっと私の頭を撫でた。
「俺、ずっと見てたんだ。川べりであの子が楽しそうにおしゃべりしたり、川に足をつけて涼んだり…いつも楽しそうで笑顔だった」
「そうなんだ……あ、でも…」
しまった、忘れてた。
美園ちゃんには好きな人がいるじゃないか…
(い、言えない…!!)
何で忘れてたんだ、私!!
ついさっきまで美園ちゃんの幸せそうな笑顔を、間近で見ていたのに。
(あぁ!どうしよう!言えない!でもこのままでいいのかもわからないよ!!)
一人悶々とする私を見て、心太くんは小さく溜め息を吐いた。
「…俺知ってる。あの子、好きな男いる」
「へ……知ってたの…?」
心太くんは頷く。
そのまま口をへの字に曲げて、眉間に皺を寄せた。
「でも、駄目だ。あの男は、駄目だ」
前髪から覗く澄んだ瞳に、うっすらと怒りが滲んでるように見える。
(…心太くん?)
彼の変わりように、私は何も言えないまま佇んでいた。
チリンッ
胸元で響いた音に、我に返る。
視線を下げると、天秤さんの鈴だけが懐から出ていた。
「もう日が暮れるな!」
心太くんの方を向くと、もう笑顔に戻っていた。
「俺、もう山に帰るよ!お前も気をつけて帰れよ!」
「あ、私、結だよ!結って言うの!」
私はすでに離れ始めた心太くんの背中に向かって叫んだ。
心太くんは振り返ると、大きく手を振りながら
「結!ありがとな!またなー!」
そう叫ぶと、また風のような速さで山の方へと消えていった。
「…速いなー」
リンッ
「さ、今度こそ帰ろうか、天秤さん」
リリンッ
私は夕暮れの道を、扇屋に向かって歩き始めた。
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