最終章
└十一
『…前に…』
薬売りさんはフゥッと溜息を吐くと、寄りかかるように私の肩に腕を乗せた。
向かい合うように覗き込まれて、私は自然と彼の瞳を見つめる。
『白夜が"君の絶望は美しい"と言ってたようですが…』
「…………」
『…私は彼の気持ちがわかります、悔しいですけど、ね』
少し不機嫌そうに口元を歪めながら、薬売りさんが言う。
『いいですか?』
彼は改めて私を見つめながら続けた。
『…穢れを知らないことを、無垢だと言うのではありません。穢れや痛みを知って尚…自分は傷つかないと、信じるその気持ちが…無垢な心のように尊く美しいんです』
「……………っ」
『結…あなたは出逢った頃も、そして今も…十分に無垢で美しいです、よ』
…薬売りさんの言葉に、私はもう何も言えなくて。
ただ俯いて、しゃくり上げるしか出来なかった。
薬売りさんは、少し気まずそうに唇を尖らすと
ぎゅうっ
「いぃっ!?」
私の頬を抓った。
『…生意気なんですよ、人が話しているのに目を逸らしたりして』
「いひゃ…っだって…!」
『それから何です?さっきからびーびー泣いてばかりで…いい加減にしないと…』
薬売りさんは両手で私の頬を挟むと、無理矢理上を向かせた。
『口、塞ぎますよ』
「ふぇ!?」
『もしくは、噛みます』
「そんな…!!」
あたふたしている内に、ぐっと薬売りさんの顔が迫る。
「え、ちょ、薬売りさ……」
と、その時。
「結ちゃん!結ちゃーーーーーん!!!」
「!?」
ドタドタと階段を駆け上がる音と私を呼ぶ庄造さんの声。
『…ちっ』
…と薬売りさんの舌打ち。
勢い良く襖が開いて、息を切らした庄造さんが顔を見せた。
「結ちゃん!お絹が…!産まれるんだよ!子供が!!!」
「えぇ!?」
「もう産婆さんも来てるから!早く!!」
庄造さんが慌しく手招きする。
「え、何で、私!?」
「そう!お絹が呼んでくれって言ってるんだ!俺先に行ってるから!あ、薬売りさん悪いね、結ちゃん借りるからな!」
そう言って彼は再びドタドタと階段を下りて行った。
まだ状況が飲み込めなくて、私は呆然と開いたままの襖を見ていた。
『…行ってみなさい』
「え!?」
『私は少し眠ります。行って確かめてきなさい』
「た、確かめるって何を…」
薬売りさんはゆっくりと横になりながら、私の胸元を指差した。
『…まだ隠し持っている、気持ち、ですよ』
訳がわからず戸惑っていると、薬売りさんはニッと笑う。
『早く行っておやりなさい、産まれてしまいますよ』
「あ、は、はい!」
慌てて立ち上がって廊下に出ようとした時。
『結』
不意に呼び止められ、私は首だけ振り返った。
『…帰ってきたら首の包帯、取り替えてあげます』
そう言って、薬売りさんはヒラヒラと手を振る。
何だか拍子抜けするような彼の仕草と、さっきの言葉の意味に首を傾げながら、私は階下へ急いだ。
四ノ幕に続く
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