第九章
└二
「結!ほら、これあけび!あまいんだぞ!」
洞穴の隅に積んである荷物の中から、ベニちゃんが色んなものを私に出してくる。
でも、もうすでに私の目の前には食料が山積みになっていた。
「ベ、ベニちゃん!私こんなに食べられないよ!」
「えー。でも結、まえよりちっちゃくなったから…」
「ちっちゃくなった??」
ベニちゃんはくぅんと鼻を鳴らすと、私の前に伏せる。
「うん、まえからちっちゃかったけど…もっとちっちゃくてかるくなった」
「あ……」
(痩せたって事、かな?)
漸く意味がわかった私を、ベニちゃんはしょぼんとしながら見つめていた。
そんな姿が可愛らしくて、思わず頬が緩む。
「ありがと…ベニちゃんは優しいね」
そう言いながらベニちゃんの頭を撫でると、彼は気持ち良さそうに目を細める。
「ビャクも優しいよ」
「え…?」
「おれね、ビャクにひろわれたんだ」
どこかで聞いたことのある話に、どきんっと心臓が跳ねた。
「おれ、ずっとおちこぼれってみんなにいわれてた」
「おちこぼれって…狗神の?」
「うん…おれ、みんなのしているようにじょうずにできなかったから…」
ベニちゃんは悲しそうに耳を後ろに倒して続ける。
「みんなにもうなかまじゃないっていわれた…だからおれ、ひとりぼっちでにげたんだ。なかまのところからにげて、もりでかくれてた」
「そう……」
「すごくさみしかったけど、そこにビャクがきたんだ!それでおれになまえをくれた」
「紅星って、白夜が名付けたの?」
「うん!それからずっとビャクといっしょ。結とはじめてあったのはそのあとだよ」
ベニちゃんはパタパタと尻尾を振りながら、私に頬ずりした。
大きな体で甘えられた私は、苦笑いしながらまたベニちゃんの頭を撫でる。
「本当、白夜は優しいね…私のことも探してくれたし」
"君をひとりぼっちになんてしない"
何度も繰り返し私に言い聞かせるように、白夜が呟いた言葉。
きっとベニちゃんのことも関係しているのかもしれない。
私に頭を撫でられてるベニちゃんは、ぴすぴす鼻を鳴らして私の顔を覗き込んだ。
「でも、あのあおいきもののやつもやさしい」
「青い…薬売りさん、のこと?」
「うん、あいつもからすのやつもやさしい。おれ、においでわかる」
ベニちゃんはくんくんと私の匂いを嗅いでいる。
「ビャクはさわやかな、みずのにおい。結は、あったかいおひさまのにおい」
「…………」
「からすのやつは、がんばりやのもりのにおい」
「………っ」
「あおいきもののやつは、ちょっとこわいけど、やわらかいつきのよるのにおい」
(柔らかい…月……)
「結…?」
自分の手にぱたぱたっと雫が落ちる。
心配そうにベニちゃんが私を覗き込んだ。
「薬…売りさ……っ」
頬を涙が濡らしていくのがわかる。
柔らかい月の匂い。
…その通りだと思った。
いつも気がつけば、見守ってくれていて。
月のようにさりげなくて、でもその姿が見えないと…心細くて…
「…っう…ひっく…」
どうしよう。
薬売りさんに会いたい。
今まで四六時中一緒にいた訳じゃないのに。
それなのにこんなにも淋しい。
薬売りさんに、会いたい…
(で、でも…)
"結の狂気に魅入られたんでしょ"
白夜が言った時、薬売りさんは否定しなかった。
「…あ……」
きっと私はあの時、揺れた彼の瞳を忘れることは無い。
「結…なかないで」
ベニちゃんがそっと私の頬を舐めた。
それでも受け止めきれない涙が、私の手の甲に落ちていく。
…後悔。
後悔は、してない。
でも、きっと私には決定的に足りていない。
過去を忘れてしまいたいほどの幸せを、手放す覚悟が。
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