ひとりじょうず | ナノ




番外章(五)
   └十四



――………

夕暮れに鳴く烏の子は、あの山に帰って行くのだろう。

それなら、私はどこに帰ろう?



星のお池のあの少年は、紅い狗神と私を迎えに来てくれるだろうか。




「君の世界を守ってあげる」




…嬉しかった。

その言葉が私の終わらない悪夢に光を灯した。


でも、私の世界は、どこにあるのかわからない…




(…お父さん……)



お父さんのいた、あの頃に戻りたい。

きっと私の世界は、お父さんの命と一緒に終わってしまったんだ。



お父さん。

どうして私も…


私も連れて行ってくれなかったの。






「……へぇ、今夜は起きているんだな」




この暗闇の悪夢に堕ちるくらいならば





「多恵に話しても、無駄だっただろう?」





お父さん、あなたと一緒に世界を終わりにしたかった。


未来など、いらない。

こんな歪んだ、薄汚い未来。






「お前は…俺のものだ」




反転していく景色の端に、薄っすらと矢絣の着物。

ややしてその着物は再び闇の中に消えていく。




(…お母さん…)




打ち付ける背中の衝撃に、瞼の裏で夕暮れの橙色が踊った。





逢う魔が刻……

辻を通る魔物は誰の元に行ったのだろう。





お父さん?


お母さん?



それとも、この男?






「逢う魔が刻…」

「な、何を…」

「マ、モノ……」

「え……ひぁっ…」




夜明け前の空気は、身を切るように冷たい。

体にかかった赤い鮮血が、生温くて心地よかった。



初めて手にした刀は、何の違和感もなく私の手で光る。



きっと、私はどこかが歪んでしまって。

何かがどうしようもなく穢れてしまったのだ。




怯える母に、何の情けもかけられず。

それなのに、涙は止まらなかった。


ただただ、父の優しい笑顔だけが脳裏に浮かんでいた。



―――……


よろめきながら出てきた庭先。

引き摺る刀の切っ先の音が、妙に耳障り良く思えた。




「……逢う魔が刻…?」




周囲を染める朝焼けは、禍々しいほどの赤。

湧き上がる寒気に、私は足を止めた。


手にしていた刀が、甲高い金属音を立てて地面に落ちる。






「…………お父さん…」




幼い頃、父は"逢う魔が刻には辻を魔物が通る"と教えてくれた。

辻を外れた魔物は、誰かの元に行って悪さをするのだと。


魔物に魅入られたのは、一体、だれ?





病に臥せっていたお父さん?



新しい家族に縋ったお母さん?



自分の欲に屈服させようとした邦継?





一体だれが魅入られて、だれが泣いたんだろう。

魔物は、一体、何なんだろう。






りん…


「………?」




劈くような耳鳴りの中、鈴の音が聞こえた。

私は導かれるように振り返る。





「………あ…」




そこには一点の青。

一歩近づくごとに、鈴の音が鳴った。


この赤い景色の中、唯、彼の纏う色彩だけが優しい。






『…来なさい』




彼は流れる水のような声で私に手を伸ばす。

全てを見透かすような藤色の瞳が私を見つめていた。





『私と、来なさい』



(…あぁ、そうか…)





彼の瞳を見た瞬間、私の世界の歪みが直った。

ようやく見えた朝日に、私の足は力が抜けていく。



それでも私は笑みを浮かべながら、彼の手に自分の手を重ねた。





お父さん、わかったよ。


辻を外れた魔物は…





私だ。



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