ひとりじょうず | ナノ




第七章
   └十九



夜の更けた扇屋は、しんと静まり返っていた。

当たり前のことなのだが、今はその静けさがやけに心許なかった。


薬売りと八咫烏は急ぎながらも、他の客に気取られないように部屋へ向かう。

しかし忍び足はすぐに絹江に見つかってしまった。




「あら、薬売りさんお帰りなさ……―結ちゃん!?」



薬売りに抱かれる結を見て、絹江は目を見開いた。

ちらりと薬売りに視線を投げる八咫烏に、彼は小さく頷いた。




『…女将、すみませんが結の着物を着替えさせて下さい。それから布団を余計に何枚か…』

「わ、わかったけど、一体どうしたの!?それに、弥勒くんよね?怪我してるの?あなた達何を…」

『―女将!』

「……っ」



顔を青ざめる絹江に、薬売りが一際大きな声を出した。

絹江はビクッと方を揺らした後、ハッとして薬売りを見る。




『…後で説明しますから、今はとにかく結を…』

「えぇ…!えぇ!そうね!」



絹江が薬売りに向かって手を伸ばしたとき。




「お…かみ…」



八咫烏の背中からか細い声が聞こえた




「…弥勒くん!」

「俺は、だいじょぶ…早く結を…結をよろしく、な…」

「うん…!任せなさい!」



少し涙で詰まったような絹江の返事に、弥勒は柔らかく笑った。




「さ、薬売りさん!早く着替えさせないと弥勒くんにも怒られちゃうわ!」

『…………』




絹江の言葉を聞いて、薬売りは自分の腕の中に居る結の顔を覗き込んだ。

透き通るような青白い頬に、髪から零れた雫が滑っていく。




『………』

「薬売りさん……」




薬売りはもう一度、ギュッとその細い体を抱いた。

その仕草に絹江の胸に切なさがじんわりと広がる。


そして腕を解くと、絹江の背中に結を託す。

大きなお腹ではあるものの、力強く結を背負った絹江は、ニコッと笑うと奥の部屋へと消えていった。




「さ、俺達も早く部屋行こ」

『……えぇ』



そう囁き合うと、音を立てずに階段を上がっていった。






「う…っ」



傷口に薬を塗られた弥勒が顔を歪める。




『…我慢しろ』

「いやぁ…それは無理やんかぁ?」



傍で見ていた八咫烏が痛そうに目を細めた。



―部屋に戻って、まず八咫烏が弥勒の怪我を見た。



「…こりゃぁ、狗神やんね」

『狗神?』



薬売りが聞き直すも、八咫烏は答える事無く、二本の指を口元に持っていくと小さく何かを唱えた。

そしてそのまま弥勒の傷に手をかざすと、さっきまで荒かった弥勒の息がフッと緩やかになる。




「…っはぁ…びっくりした…」

「何がびっくりしたや。こっちの台詞や」




軽く弥勒の頭を小突きながら、八咫烏が笑う。




「この傷は狗神に付けられたもんや。しかもだいぶ浅い」

『…その割には出血が多いようですが』

「んー。まぁ掠った程度でも狗神は大きいからなぁ。妖気に中てられながら、よう耐えたやんか」




薬売りは薬箱をかたかたといじると、ひとつの薬壷を手に取った。




「まぁ…お仲間言うのもあって、本気で噛めなかったんやろ」

「…そう言えば…あいつが本気だったかどうかは…微妙かも」



考え込むように首を傾げる弥勒を見ながら、薬売りはしれっと壷からたっぷりと薬を手に取った。




『…で…』

「え…いだだだだだぁああ!!!」

『…喧しい…』



急に薬を塗ったくられた弥勒が叫ぶ。

しかし薬売りはふんっと鼻を鳴らすと、更に薬を塗りこんでいった。




『これは止血薬。狗神に付けられた傷なら、化膿止めだって必要だろう』

「ちょ…いで!お前もっと優しく…!う…っっ!!」

『…古くから狗神は獣憑きとして疎まれていた。元々は呪詛なんかに使われていたものだ。もっとも人間を依代にしているだろうから"本体"で出歩いてるのは珍しいが…』




薬売りは説明するように話しながら器用に弥勒の傷を手当した。

八咫烏はその話を聞きながら、さすがやねぇと呟く。



「まぁ、そうは言っても"神"は"神"やんね。俺ら使神と立つ場所がちょびっとちゃうってだけや」



かたん、と薬壷の蓋を閉めながら薬売りが改めて弥勒に向き直った。




『…弥勒』

「……うん」

『横になったままでいい…何があったか…結に何が起こったか』



薬売りの言葉に、弥勒はキュッと唇を引き結んだ。




『全て、話せ』



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