第六章
└四
『…それは…どうでもいいじゃないですか』
「え…そ、そんな…」
薬売りの一言は、冷や水を浴びせられたような衝撃を結に与えた。
"どうでもいい"
それはどんな理由よりも無気力で、無関心だ。
ぐらりと視界が揺れるような気がして、結は足に力を入れなおした。
『……長話しすぎましたね、もう休みますよ』
「あ……」
視線を逸らしたまま、薬売りはあらかじめ敷かれていた布団に潜り込む。
いつも窓辺に追いやられていた、形ばかりの衝立も今夜はそのままだ。
結は何とか重くなった足を布団に向ける。
"どうでもいい"
"どうでもいい"
"どうでもいい"
薬売りの言葉が頭の中でこだまする。
あまりにがっかりすると、涙すら出ないのだと結は初めて知った。
「…おやすみなさい…」
習慣的に呟いた言葉に薬売りの返事は無い。
仰向けに寝転がりながら天井を見つめる。
(…どんな答えだったら満足だったんだろう…)
自分で投げかけた質問なのに、答えが見つからない。
"結が好きだから"とでも言ってもらえば気が済んだのか。
どんな答えを求めても、もう覆らない。
"どうでもいい"
それが薬売り本人が口にした回答だ。
「…………っ」
結は衝立の向こうの、薬売りを見ることが出来なかった。
きっと背を向けているだろうし。
泣き出してしまわないように、唇を噛んで耐えるのが精一杯だったから。
『………』
…それは薬売りも同じで。
彼は衝立の向こうの結を見つめるように横になっていた。
何度も衝立をどかそうと手を伸ばした。
この邪魔な衝立を跳ね除けて、きっと打ちひしがれているだろう彼女の体を抱き寄せて。
自分の腕に閉じ込めて。
その柔らかい温もりを感じて…
『………っ』
しかしその手は虚しく空を掴んで力なく下ろされる。
きっと誰にも見せたことのないだろう、悲しげな表情を浮かべて薬売りは目を閉じた。
握り締めた掌にじんわりと滲む痛み。
(…きっと…結の痛みはこんなものじゃ…)
薬売りはそのまま拳を解くことは無かった。
さっきまで青白く照らしていた月に、いつの間にか薄い雲が掛かっていた。
きっと…
きっと明日は季節に似つかわない、冷たい雨の朝になるだろう。
この長い夜が明ければの話だけれど…。
― 第六章・小話 ―
あとがきに続く
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