第五章
└八
「こ、こんにちは!」
仕事先の家に着くと、私は緊張で強張った声で挨拶をした。
こう言うのって、こんなにも緊張するものなんだ…
どきどきと弾む鼓動を抑えながら、私は家主が出てくるのを待った。
「―はい…」
戸が開きながら、女性の声が聞こえる。
「あ…あの、私、小松屋さんの紹介で…」
「あぁ!お花のお手入れしてくれる方!」
戸の影から覗いた女性は、形のいい唇をキュッと上げて笑った。
(き、綺麗な人……!)
色白で豊かな黒髪を揺らしながら笑うその人は、一瞬言葉を失うほどに美しい人。
今まで、珠子さんや市子さんもドキッとするほど綺麗だったけど…
きっと"息を呑む美しさ"ってこういう人のことを言うのかも知れない。
「どうぞ、入って?」
「あ、は、はい!」
ふと、横を見ると。
「弥勒くん?」
「……………」
弥勒くんは無言のまま、女性のほうをじっと見ていた。
「…どうかしたかしら?」
少し困った顔で首を傾げる女性。
「み、弥勒くん!」
慌てて彼の腕を引くと、ハッとして私を見た。
「ふふっ、さぁどうぞ?」
「すみません…お邪魔します」
(弥勒くん…どうしたんだろう…?)
あんまり綺麗な人でびっくりしたのかな?
(うーーーん…薬売りさんもそうだけど…)
どうやら男の人が綺麗な女の人に弱いというのは本当らしい…
「ここなんだけど…」
「わぁ……」
案内された庭に入ると、それはそれは見事な花が咲いていた。
「すごい…綺麗…」
「本当だなぁ…」
可憐な花びらを纏った大きな花が、所狭しと咲き乱れている。
感動に満ちた眼差しで弥勒くんと見入っていると、くすくすと笑う声が聞こえた。
「綺麗でしょう?牡丹(ぼたん)の花よ」
「へぇ…」
「遠目に見るにはいいんだけど、雑草や折れてしまった茎もあってね。そのお手入れをお願いしたいの」
確かによく見ると、少し荒れている所もあるようだ。
「自分で世話できればいいんだけど…どうも私には苦手みたいで」
彼女は少し悲しそうに眉を下げると、困ったように笑った。
「あ、あの!私、一生懸命お世話します!」
「え?」
「私もお花に詳しいわけじゃないけど…でも心を込めてお世話しますから、三日間宜しくお願いします」
勢いよく頭を下げると、彼女が声を上げて笑い出す。
「??」
困惑して頭を上げると、彼女の優しい眼差しと会った。
「ありがとう…あなたみたいな人が来てくれて嬉しいわ」
「あ…私、結です」
「結さん…愛らしい名前ね。私は、弥生(やよい)よ。よろしくね」
そう言って弥生さんは、私と同じように頭を下げた。
「…そちらの彼は?」
「あ…すみません、急に人を増やしてしまって…」
小松屋のご主人との話では、仕事を頼みたかったのは確か一人だけ…
それをいきなり二人で訪ねたのだから、もしかしたら迷惑だったかもしれない。
(でも…弥勒くんも心配して来てくれたんだし。ここは私からお願いしなくちゃ…!)
「あ、あの…!」
「俺は」
弥生さんにお願いしようとするのを、弥勒くんに遮られた。
「俺は、弥勒。仕事の手伝いはするけど、賃金が欲しい訳じゃないから。力仕事は結じゃなくて俺がする」
(弥勒くん…)
真っ直ぐに弥生さんを見る弥勒くん。
その真剣な様子を見て、弥生さんはにこりと微笑んだ。
「そう、じゃあ遠慮なくお願いしちゃおうかしら?」
「おう、任せとけ」
二人はあまり会話をすることもなく、軽く笑い合う。
「…??」
やっぱり、何だか弥勒くんの様子がおかしい…?
もしかしたらまたモノノ怪…!
(…ううん、でももしそうだったら弥勒くんは簡単に庭に入ろうとしないはず…)
「じゃあ早速だけど、初めて頂けるかしら?」
「あ、はい!」
私は少しだけ不安になりながらも、弥生さんの後を着いて行った。
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