ひとりじょうず | ナノ




番外章(二)
   └一



― 番外章・君を想う ―

「あー!気持ちいい!」

「本当、なんだか得した気分です」





ある午後の昼下がり。

結は扇屋の風呂で手足をぐんと伸ばしていた。





「こんな風に客が途切れることなんて最近無かったからね、特別特別!」



同じように絹江が両手をぐっと天井に向ける。





―珍しく客足が落ち着いた扇屋。

こうして大きな客用の風呂で、日の高い時間からのんびりできるなんて、まさに特別。



格子窓から差し込む日の光に、二人は気持ち良さそうに目を細めた。





「ほら、結ちゃん!髪、梳いてあげるからおいで」

「あ、はーい」



風呂椅子を前後に並べて腰掛けると、絹江が丁寧に結の髪を梳いた。





「結ちゃんの髪って柔らかいのねー!子供みたい!」

「う…」

「ん??」

「いえ…最近薬売りさんにも子供みたいって言われたなーと…」




苦笑う結を尻目に、絹江は声高に笑った。






「まぁた薬売りさんったら素直じゃないんだからねー」

「えぇ?」

「あはは!まぁ、天邪鬼の相手も楽じゃないわよね」



はい、おしまい!と言う言葉と共に、絹江が結の髪を器用にまとめる。




「ありがとうございます!じゃあお礼に背中流しますね!」

「え!本当?じゃあお願いしようかな」



前後を入れ替わると、結は手ぬぐいで絹江の背中をこすり始めた。





「あー、気持ちいい!若い女の子がやってくれてると思うと更に気持ちいいわ」

「もう、絹江さんったら…」




働き者の絹江の背中は綺麗に締まっていて、結は羨ましさと照れ臭さが入り混じったような不思議な気持ちがしていた。

実際、結にとってこんな風に誰かと風呂に入ることなんて初めてに近くて。






(…私も昔はこうやって誰かの背中を流したりしてたのかな…)



憧れにも懐かしさにも似た気持ちで、手を動かしていた。







「ん??」




不意に外からの物音で結は手を止めた。





「ん?あぁ、薪割りの音?今ね、弥勒君と薬売りさんに薪割りしてもらってるのよ。あの人が町に買い物に行ってるから代わりにね」

「あ、なるほど」

「でもきっと実際に手を動かしてるのは、弥勒君でしょうね」




絹江が笑いをこぼす。





「薬売りさんはそばで煙管吹かしてるでしょう」

「あぁ…想像つきますね…」




二人は顔を見合わせるとクスクスと笑った。





「ありがとう結ちゃん。さ、体が冷えない内に湯船に浸かりましょう」



絹江に促されて、二人は湯船でゆったりと足を伸ばした。







「…そういえばさ」

「はい?」




きらりと好奇心を瞳に光らせて、絹江が結を見た。




「今朝、薬売りさんと同じ布団で寝てなかった?」

「えっ!!!」




ぎくっと肩を揺らした結を見て、絹江はカラカラと笑い出す。




「あ、いやね?別に見たって訳じゃないけど…片方の布団が妙に綺麗だなーなんて…」

「そそそそうでしたっけ!?」

「ぶふっ」




結の白い肌がみるみる内に真っ赤に染まる様を見て、絹江は堪らないと言った風に吹き出した。





「やっだ!結ちゃん!そんなにうまく乗せられないでよ!」

「え…え???」

「薬売りさんの布団が綺麗なんていつもの事よ!寝相が悪い彼なんて想像できる?」

「あ…あーーー!!絹江さん!!」

「もー!結ちゃんったら可愛いんだから!」





結はしてやられたといた風に軽く絹江を肘で突いた。





「あはは!ごめんごめん!でもこんなカマかけにまんまと引っかかるようじゃ、薬売りさんの心配もまだまだ耐えないわねー」

「う…しょ、精進します…」



絹江は笑いながら風呂の縁に腰掛けた。





「ふー…笑ったら暑くなっちゃったわ」

「絹江さんがからかうか…ら…」





チラっと見上げた結が、一点を見つめたまま言葉を途切れさせた。

その様子に気づいた絹江は自分の脇腹を見ながら、あぁ、と声を漏らした。





「これ?びっくりした?」

「あ、いえ…ごめんなさい…」




結が慌てて視線を逸らす。




「いいのよ、普通、こんな傷がある人なんて滅多にいないんだから」




絹江は自分の脇腹に残った傷跡を指差した。

それはすでに古傷と呼んでいい位の…でも、明らかに刃物でついた傷だった。





「あの…」



結が気まずそうに口を開く。






「…どうしたんですか?その傷…」



絹江はそれに答えるように、小さく笑うと





「そうねぇ…ちょっと昔話でもしようかな」



そう言って指先で傷跡を撫でて、ゆっくりと語りだした。



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