第四章
└二
目を覆ったままの私の両手に、薬売りさんの手が重なった。
少し掠れた薬売りさんの声が静かな部屋に、やわらかく響く。
『…唇を噛むんじゃありません。せっかく薬を塗ってやったのに』
「ご、ごめんなさい…」
薬売りさんは、小さくため息を吐くとやんわりと私の手をつかんだ。
『そんなにぎゅっと抑えたら、眠れなくて当然でしょう』
解かれた手がどかされて、そっと前髪を撫でられる。
ゆっくりと目を開けると、まだ覚束ない視界の中に薬売りさんの影が揺れた。
だんだんと合っていく焦点。
(…薬売りさん…)
ぼんやりと彼を見つめていると、少しだけ目を細めて笑った。
(薬売りさんって…こんな風に笑ったりするんだ…)
「………ん??」
ぼーっとする私を横目に、薬売りさんはいそいそと私の布団に入ってきた。
「え?ちょ、薬売りさん!?」
『何ですか、寒いんだからさっさと入れなさい』
「入れなさいって、何……痛っ!?」
びしっとおでこを弾かれて、私は思わず目をつぶった。
『…多少ながら霊障が残ってるんでしょう。祓ってやるのは簡単ですが、もう眠いんですよ、私は』
「……霊障…?」
『霊と交流を持てば、いろいろと影響を受けやすいんですよ』
「…………」
そっか、私、市子さんと会話したりしたし…
『私が触れていればそれなりに祓えますから。寝ながら祓えてしかも暖も取れて』
「は、はぁ…」
『効率がいいでしょう?』
薬売りさんは完全に布団にもぐりこむと、にやりと笑った。
「〜〜〜〜〜っ」
混乱する頭のまま私はおずおずと身を引いた。
『これ』
「!」
薬売りさんに肩を掴まれて、引き戻される。
『触れてなければ祓えないと言っているでしょう、聞き分けのない』
「う、あ、だ、だからって…!」
すっぽりと薬売りさんの腕に納められて、まったく身動きができない…
それよりも…
(心臓が持たない…!!)
『…何を考えてたんですか』
「へっ!?」
『さっき…結らしくもない』
「あ……」
顔を上げると、薬売りさんと目が合った。
「…………」
普段なら…
普段なら、絶対にしてない。
こんな優しい目…
「あ、の…」
私は薬売りさんの眼差しに促されるように口を開いた。
「私…」
でも、頭の中にあの黒い穴が思い浮かんでしまい、無意識に薬売りさんの胸に顔を埋めた。
『…………』
薬売りさんは何も言わずに私の髪を指で梳く。
「…私、もしかしたら…兄弟がいたかもしれません」
『…兄弟?』
「はい…藤次さんと市子さんを見ていて…なんか懐かしいというか…」
…それだけじゃない。
胸の奥が疼くような…なぜか無性に泣きたくなるような気分になる。
「………」
言い様のない感情が怖くて、私は薬売りさんの浴衣をぎゅっと掴んだ。
薬売りさんは、ため息を吐いた後、私の背中をぽんぽんっと撫でた。
『…まるで子供ですね』
「…………」
『いいからもう寝なさい。薬は明日塗ってやりますから』
「……はい…」
薬売りさんの吐息が私の髪を揺らす。
(このまま…)
ずっとこのままでいたい。
そしたら、きっと正体のわからない恐怖も、思い出せない過去も、全部全部消えてしまう気がする。
髪を撫でる薬売りさんの手が不意に止まった。
『…ふっ』
「………?」
『結は本当に子供みたいですね、体温が高いから湯たんぽ代わりにちょうどいい』
「な…っ!失礼な!!」
埋めていた顔をぱっと上げる。
「薬売りさんの体が冷たすぎるん…」
ちゅ。
『…はいはい。寝なさい寝なさい』
「…………」
柔らかい感触が残ったままの、おでこに熱が集まる。
「ゆ…油断しました…」
『ふっ…結が油断しているのなんで日常茶飯事でしょう』
(あ…でも…)
胸は高鳴るのに、なぜか不思議と意識はまどろんでいく。
「…子供じゃ…な…です、から…」
薬売りさんが髪を弄ぶ感触に身を委ねながら、私はそのまま眠りに落ちていった。
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