見えない相手
10畳の居間に6畳の寝室。それに台所に風呂に厠。決して広くはないそこに美国という女は住んでいた。
天眼通の美国。
一昔前は天眼通として神の様に崇め奉られていた美国。
だが、ある事をきっかけにその地位は剥奪され妹の阿国がその座に着いた。
そんな訳ありの彼女が今住んでいるところはお世辞にも綺麗で良い場所、とは言い難く、古めかしい平屋の日本家屋。すきま風こそないが、廊下を歩けばギシギシと床が軋む。
同じ様によく軋む縁側にロッキングチェアーを置いて日がな一日ぼーっと動く雲を眺めるのが、この民家に追いやられた彼女の日々の日課となっていた。
『いい天気、今日は昼寝日和ね』
眩しく自分を照らすお天道様に美国は目を細めると脳裏にあの夢を思い出した。
もう見えなくなってしまった未来。
白い病が蔓延するあの悍ましい未来。
面白いぐらいに人がバタバタと倒れ、死に絶えていく…。
正直、その光景はあまりにも怖くて見えなくなって良かったとも言える。
だが、そんな光景は見たくなかったがあの人は見たかった。
病が蔓延る世界で、自分を愛おしそうに抱きしめてくれる男性。そして自分もその男を愛していた。
所詮未来を見ていたので確信的なものはないが、それでも理解したのだ。
自分はこの男を愛していると。
何故なら、抱きしめられあんなにも幸せだったのだ。胸が高鳴り鼓動が全身を走っていた。
だが、残念な事に未来が見える天眼通でもその男の顔を見ることは出来なかった。ただ覚えているのはその男の腕が愛おしかったこと、そして口付けを交わした唇の柔らかさ。
あんなにも愛し愛されていた未来がなくなってしまったと言うのはまさに悲劇で、美国は必死にあの続きが見たい、と願うと、木漏れ日の中、静かに目を閉じた。
「おーい、何時まで寝てんだよ美国」
『…ん?あぁ、全蔵』
「おら、今日の予定を忘れたわけじゃあるめー?」
『覚えてるわよ』
もう日も落ち、辺りは薄暗くなっていた。そんな中長い昼寝を堪能してしまった美国は未来が見れなかった事に少々落胆するとロッキングチェアーの上で少し身じろいだ。
今、庭にやってきたのは昔お庭番筆頭もしてた服部全蔵で、彼とはそこそこ長い付き合いだ。
美国は寝ぼけ眼を軽く擦ると猫の様に足音もなくやってきていた彼を見上げた。
『全蔵、寝癖ついてない?』
「大丈夫だ」
『ちゃんとアレ、持ってきた?』
「抜かりねーよ」
『ん、宜しい』
そう言うと美国は両手を大きく広げた。さながら抱っこを強要する子供の様だ。けれども、この表現は間違っていなく、全蔵はその手にすんなりと体を彼女へと寄せると、子供を抱き抱えるようにして彼女を抱き上げたのだ。
「落ちんじゃねーぞ」
『分かってるわよ』
美国を縦抱きにすると、服部は暗くなった空を見上げた。そして人一人抱えていると言うのに、ひょいと家の屋根に飛び移るとそのままの調子で民家の屋根から屋根へと飛び移っていったのだ。
高い所を猫の様に飛び跳ねているからだろうか?何だか肌寒く感じる。
ストールか何かを羽織ってくれば良かったな、と美国は手を袖の中に突っ込むと温かみを求めて服部の胸元に擦り寄った。
「何だ?どうした?」
『寒い』
「薄着で来たオメーが悪い」
『…その首に巻いてる襟巻き。貸してくれる優しさがあってもいいんじゃない?』
「俺が優しくしてやんのは美人だけだ」
『あんたの趣味可笑しいのよ。まぁ美人だって言われないで安心するけどさ!』
そう言うと美国は無理やり服部の襟巻きを引っ張った。だがこれがなかなか簡単に解けないもので、引っ張れば引っ張るほど彼の首を無残にも締め上げた。
まさかそんな暴挙に出ると思ってもみなかった服部は「ぐえっ!?」と蛙の潰れたような声を出すと飛び跳ねていた体を翻し、一旦地面へ降りようと着地の体勢にはいった。
………………のだが。
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