「あれ、シマくん」
「はい」
「彼女でもできた?」
「え、出来てないけど、なんでですか」
大学の最寄り駅から歩いて数分の商店街にある古本屋でバイトを始めたのは高校を卒業してすぐだった。一つ年上の宮島さんという女の先輩は高校からここでバイトをしているらしく、かなり優秀な先輩だった。下手したら店長より頼りになるし、うちにはバイトリーダーというはっきりした役職みたいなものがないから何とも言えないけれど、まさにそう呼ぶのがふさわしい人。
「なんか…可愛くなった」
「はい?昨日の今日で?ていうか俺、男ですけど」
「怒んないでよ〜。でもわたしの直感外れたことないんだけどなあ…あ、分かった、好きな人だ」
「そんな人も出来てないです」
「なんでそんなにクールなの?もうちょっと恥ずかしそうに答えてよ」
「そりゃ図星だったら照れますよ」
「それもそうか」と一人頷いた宮島に、ふと高瀬の顔が浮かんだ。あれ、なんで今高瀬なの、という俺に気付いたのか、彼女は口元を緩めて「心当たりあったじゃん」と、見事に俺の考えていることを当ててしまった。
「違います」
「あー、もうだめ。さっきと反応全然違うもん。気になる人はいるってことだね。なになにお姉さんに話してみてよ」
黙り込む俺に「ね」、と両肩を掴んで脅す宮島さんにまあこの人口は堅いしなと、少し油断した俺の負けだった。基本バイトと店長の三人でまわすから、今店内には俺と宮島さんとレジでボーっと立ってるだけの店長しかいない。立ち読みしているお客さんが数人と、もう毎日のように足を運ぶ近所のおじいちゃんが椅子に座って分厚い本を眺めているだけ。俺は小声で「昨日まで何とも思ってなかった人と一晩過ごしたら朝起きた時から変な感じだった」とありのままを告げた。
多少語弊のある言い方ではあったけど、宮島さんはさらっと呑み込んで「なるほど」と頷いた。
「したの?」
「してないです」
「じゃあなに、寝顔にときめいたとか」
「はあ、まあ。あと、それまでの関係が全体的にこう…」
「ピンクっぽくなっちゃった?」
本当にこの人雰囲気で喋ってるなと分かっていても、それが今は少し助かる。大学も違うし共通の知り合いもここのバイトで一緒の何人かしかいないし、こんな話をしても別に問題はないからいいんだけど。それに何より、俺にはほかにこういう話ができる女友達はいない。だから少しそれもいいかなと感じているんだろう。この人にそんなの勘違いだよとか、様子見ればとか言ってもらえればそれでいいや、とその程度のこと。自分でも少しもやっとしているだけだし、どのみち時間が経てば薄れてしまうんだから。だからこそ他人に話す必要はないと言ってしまえばそれまでだけど。
俺はそのあたり、協調性があると自分に言い聞かせたいだけかもしれない。
「たとえばだけど、相手にその気があるって可能性は」
「ないと思いますけど」
まず男だし。
「いや、それはシマくんの思い込みかも。いやまあ分かんないけどさ、シマくんがそう感じてるってことは相手も同じかもしれないじゃんてこと。あと、その子は友達なの?」
「友達…かな。高校同じで、最近たまたま再会して…それからはわりと」
高校時代は別にそこまで仲が良かったわけじゃないと言えば、宮島さんはうんうんと頷いて俺の肩を叩いた。そして「分かんないわ」という一言の結論を下し、それでも俺が意識していることは間違いないと言い切ってレジでうとうとしている店長に膝蹴りをかましにいった。
「意識、ね…」
たかが寝顔ひとつで?そういえば卒業式の日、俺高瀬と少し喋ったんだっけ…そう、たまたま図書室で会って、さすが図書委員だねと笑ったことは覚えている。でもそれで、他に何か話したか…いや、話してない。確か上原が俺のことを探してて、勢いよく登場したんだ。それで高瀬とはそのまま別れの言葉だけ交わして…そう、「じゃあ、俺行くね」と言った俺に、高瀬は何か言いたげな顔をしていて、けれど上原が腕を引くからそのまま図書室を出た。
その時の顔に似てたのかな、高瀬の寝顔。
いやまあ、どっちも間違いなく高瀬だしな。
一人悶々と考えながらその日のバイトは終わった。
その日以降、バイトだサークルだ飲み会だで高瀬と家にいるタイミングがずれてあまり顔を見なくなった。大学生の夏休みなんてものはほとんど遊ぶためのだし、俺も誘われれば足を運んだ。上原とも会って、ちゃんと謝って時計を返した。
「俺結構酔ってたんだな、ごめん」
「いいって、むしろシマで良かったわ。そのまま洗濯されてたら壊れてたかもだし」
「あ、うん、高瀬が気付いてくれて」
「さくが?」
「、うん」
何となくピリっと空気が張り詰めた気がした。高瀬も上原の話をふったら微妙な顔してたけど…なに、やっぱり実は仲悪いとか…
「ふーん、そっか」
「あ、飲むの頼む?俺ジンジャーエール飲み─」
「シマさ、もしかして分かってない?」
「何が?」
「…あー、いや、やっぱなんでもない」
「なに、気になるじゃん」
「いいって。とりあえずさ、危機感は持っとけよって話。時計のことも。シマのせいじゃないかも、とか」
「はあ?どういう─」
「あ、おねーさん、ジンジャーエール二つ」
なんだそれと首を傾げても、上原はもう話をそこに戻すことはなかった。そのままその日は別れたんだけど、唯一別れ際に「なんかあったら連絡しろよ」と念を押された。なにが、とはやっぱり口にしないままだった。
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