ハレアキラゾンゼロ原作沿い


平安時代のお話ですが、史実の時系列に辻褄の合わない事が多々あります。用語や風習も時代考証をする為に細かく調べたわけではありません。インターネットで検索した程度の知識で書いております。
登場するキャラクター、源博雅は実在した人物ですが、安倍晴明と繋がりがあったというのは創作設定です。※夢枕獏先生の『陰陽師』から来ている設定です※
原作において未だ明かされていない設定を捏造しています。紺之助の捏造は、狩衣を着た紺之助の数コマから勝手に解釈し、同時に紺之助がセーマンを扱える事から、安倍晴明本人であるか、またはその関係者であると予想しているところから来ています。
原作の設定とは異なる設定で進むので、ご了承ください。
なお、いつものように夢主がハチャメチャチート設定です。
メインの絡みは、弁天とオリキャラの二人になる予定です。


安倍晴明…それはもっとも優れた呪術師の名前である。
都を、帝を、人々を魑魅魍魎から守るために存在し、政治の未来を占う組織・陰陽寮。賀茂家、そして安倍家、そのふたつは優秀な陰陽師の家系であった。安倍晴明というのは、個人の名前ではない。正しくは個人の名前だが、それは個人名というより多くの者の名称に近い。安倍晴明はただ一人の人間を指すものではないのだ。
この物語は、その安倍晴明の中の一人に焦点を当てたものである。


「なあ、晴明よ」
男は縁側に腰掛け、庭を眺め続ける男の名を呼んだ。
その男は、烏帽子から額に数本のおくれ毛を垂らしている。つり目がちの切れ長の瞳は、庭からは目を離さない。口元は紅も塗らないのに、ほんのりと紅い。男にしては、艶やかで美しい雰囲気を持っていた。
「どうなされた、長秋卿ちょうしゅうきょう?おれの庭がお気に召さぬか」
晴明は、悲しそうに眉を下げる。そうすれば、男が慌ててそれを否定した。
「そんなことはない!…いや晴明、そう呼ばれるのはこそばゆい。よしてくれ。俺とお前の仲ではないか」
「なんと、恐れ多いこと。おれとあなた様では全てに天と地の差がありましょう」
「またそうやって巫山戯る…分かっておるぞ晴明。お前、そうやって俺のことをたぶらかして、本題に入らせぬ気であろう」
何度このようなやり取りをしただろう。晴明は、はっきりとその顔に笑みを称える。いたずらっ子のような笑い方だ。大人びた精悍な顔つきが、一気に幼く見える。
元来、自身よりも年上であるとなっている。しかし長秋が見るに、晴明はまだ若く、そして男にしては細く柔らかく感じた。それもそのはず、この晴明は、女であった。長秋は薄々勘付いているものの、本人が男の格好をしているので、追求しないことにしている。
「本題とは?」
「噂のことだ。お前、もうすぐその…引退するらしいな」
「長秋卿の耳にも入りましたか。いやはや、宮中は秘密もたちまちに広がりますな」
「なに!秘密のことであったか!そ、それはすまぬ…」
「他にお話ししたのでありますか?」
「い、いや…俺は皆が話しているので、そんなことがあるかと否定しただけだ…」
「…おれが引退するのは、嘘であると?」
「嘘であろう?お前、まだこんなにも若く、そして才能に溢れているではないか?なぜ陰陽師をやめると言うのだ。そんなわけがないだろう」
「まあまあ、長秋卿は…」
晴明はため息をつく。
「な、なんだ?もしかして噂は真であったか?」
「なるほど、ならば今日日のご用事は、その噂を真実かどうか確かめに参ったと…そういうことでありますな?」
うっ、と長秋は顔をしかめた。当てられてしまい、居心地が悪い。
「いえいえ構いません、元々この件、あなた様にご相談しようと思っていたものでもありましたし」
「…ならば、引退を考えているのは」
「はい、真実でありますよ」

晴明は、語りだした。
こうやって晴明が自身のことを語るのは、初めてのことであった。
今まで生まれた月も年も、本当の年齢でさえ知らされていなかった。たまた朱雀門の鬼との接触にて知恵を借り、そしてその後もあれこれと助けてもらった間柄で、長秋は彼と友人関係を結んでいたつもりであった。それでも、晴明には秘密が多い。ただっ広い屋敷には、一人の女中しか居ない。それは白い髪白い肌、赤い目の異形でもあった。一条戻り橋には、式神さえ飼っているというではないか。晴明の呪術は度々目撃してきた。彼と自分では、住む世界が違う。しかしそれでも、彼は自身の庭を色々と手を加えて眺めるのが好きな、ただのヒトであった。

「では、次の<晴明>に役を引き継ぐ…と」
「ええ、そうやって<安倍晴明>は上手く機能してきたのです」
酒を嘗めながら、晴明は頷く。
「あなた様も不思議に思われていたことでしょう、おれは不自然に若いと」
「そうか、聞かされていた安倍晴明は…お前の、前の人間なのだな?」
「ええ、おれの前の晴明は年老いたので引退し、おれに晴明を引き継いだのですよ」
「…では、何故お前は引退を?どこか、体の具合でも悪いのか」
長秋は、心配そうに晴明の顔を覗き込んだ。
「いえ、特に。この体、ひとつの病もなく大変元気ですよ」
ふふふ、と笑えば、長秋はそのふざけた態度にムッとする。
「ではどうしたと言うのだ、相談があると申したのはそちらだぞ」
「悪い、占いが出ましてね」
「占い…?」
「おれがこのまま晴明であり続けると、悪いことになるのですよ。だから秘密裏に、おれは引退を考えたんですが」
それだけ噂になってしまえば、意味がありませんでしたね…晴明は困ったなぁと首を傾げた。
「す、すまない…」
「長秋卿が謝ることではありませんよ。全て占いの通りに進んでおりますから…急がねばならぬ、というよりは筋道を立てねばならんので困っておるのです」
「筋道」
「ええ、突然で申し訳ありませんがね長秋卿。貴方様は山の方に別荘を持っておられたでしょう?おれをそこに、住まわせてはくれまいか…」
「な、なぜまたそんな」
「無理な話ですか」
晴明の言葉には、逆らえない力が働いていた。長秋は、いいぞと言ってしまう。結局、自身の屋敷を捨て、山へ引きこもる理由は教えてはくれなかった。そして永遠に、その理由が判明することは無い。


晴明には、強い言霊の力が備わっていた。
母親が妖狐…葛の葉であるとのことが由縁であると語られるが、その真偽は誰にも分からない。しかし、晴明が優秀なのは間違いはなかった。晴明は、処女おとめだからである。
何度も秘密裏に代替わりをしてきた安倍晴明。安倍晴明は男であるが、その中でも女が晴明になる時は、優秀な陰陽師になることが多かった。陰陽師というよりは、巫女に近い。神降ろしの才能、人を惑わす才能、それら諸々の全てが揃っている。
晴明…ハレアキラは、弟子を持っていた。同じく狐の子であると疎まれ、蔑まれてきた者である。もちろん呪術に優れていた。それを一番弟子として大事にしていた。のちの紺之助である。
ある日占っていると、自身の死の結果が出た。何をしても、逃れられない運命である。悟るしかなかった。ハレアキラは納得していた。次に引き継がねば、と。自分の代を早く終わらせねばならないのだ、と。
「あるじさま」
「千棘、準備は出来たか」
「あい」
白髪赤目…色素欠乏症の少女は深く頷いた。
「では、お前も休むといい。そろそろ時間だ」
「あるじさま、最後にお礼を言いたく存じ上げます」
「…お礼、か。なにもおれは、お礼を言われるようなことをしておらんのだがね」
縁側で、夜露に濡れる草花を眺めていたハレアキラ。その背後に、千棘は正座している。
「白子と疎まれ、呪術の道具にされていたところをお助けくださいました。あるじさまは、このように綺麗なお着物を着せてくださいました。綺麗な庭を、四季折々に移り変わる美しきものを、見せて下さいました。それは千棘にとって、とても嬉しいことでございます。ほんとうに、ありがとうございました…お別れが、辛く悲しいです……」
語尾は、鼻声に変わった。涙が一筋、頬をつたう。
「おまえを式神として形に閉じ込め、そして自由を奪ったのはおれだよ?」
「なにを申されますか、これは不自由ではありませんでした。これは不幸せではありませんでした。千棘には、幸せでございました…」
「そう言われると、おれの心も少しは軽くなるというもの…」
「………おやすみなさいませ、あるじさま」
「ああ、おやすみ」

千棘と書かれたその紙を、ハレアキラは引き裂いた。
散る花びらのように、それは土の上にに落ちていく。静かに、背後の女は消え去った。


丑の刻であった。
邪悪の訪れというのは、決まって丑の刻である。
「だいぶ酔っておらぬか、晴明よ」
銀の髪をなびかせて、男は現れた。庭の草むらを踏み分けて、狩衣を夜露で湿らせる。
「酔っておるよ、良い酒が手に入ったのでね。どうだ、おまえも飲むか紺之助」
「儂はいい、酔うては出来ぬことをするつもりで来た」
男は、狐目をにんまりと細める。
ハレアキラも、その目を細めて微笑んだ。その妖艶さには、いつもよりも拍車が掛かっていた。酒の匂いと、香の匂いが混ざりあって、そしてはだけた寝間着から覗く肌が、男の喉をゴクリと鳴らした。
「酔うて出来んこととは、何か」
「貴様が酔うてくれて、良かった」
男は、獣は、飛び上がった。
ハレアキラは目を見開く。縁側を座りながら後ずさるが、間に合わない。誰かを呼ぼうとした口も、男の手によって塞がれる。そのままハレアキラは、晴明は、半分殺されながら、男によって犯された。肉体を喰らった。蜜壺を丹念に嬲り殺し、柔らかな肉を噛み千切り、骨になるまでそれを貪った。
骨になった後は、庭に捨て去った。彼女が気に入っていた庭だ。そこに打ち捨てられるのであれば、本望であろう。

翌日、晴明行方不明との騒ぎにより、陰陽寮は緊急会議を開いた。
帝のみにその報告が上がる。知らぬ間に、晴明は別の物に成り代わっていた。長秋…源博雅は、予めハレアキラから「悪い占いの結果が出た」と聞いていたため、その突然の代替わりに納得はしたものの、永遠に心の中に、ポッカリと穴を開けることになる。まさか行方をくらましてしまうだなんて…。
自分の別荘へ住ませてくれと申したのは、何故だったのか。
あれは、晴明なりの別れだったのか。
分からぬまま、新しく晴明となった紺之助にはそれは尋ねることはしなかった。とある人物に、前の晴明のことを聞いて回るのは危ういぞと忠告を受けたのだ。それは、晴明自身からの忠告でもあるだろう。彼は友人の言葉を、守った。
そうして、源博雅の知る安倍晴明は、消えてしまった。


「死ぬと、出たのだがなぁ」
男は庭の花を踏み潰しながら、けらけらと笑い歩み寄ってくる。
庭の雑草をむしっていると、その目の前に男が立った。
ぼろを纏い、伸び切った白髪混じりの髪は、所々に埃がついていた。髭も伸び放題で、肌も垢で黒ずんでいた。
体の節々を痛がるように、大袈裟に唸り声を上げながら、男は晴明の…ハレアキラの目の前に座り込む。
「なあ晴明よ。お主…明日の夜、死ぬではないか」
「…流石の道満殿には、お見通しというわけですね」
顔を上げず、ハレアキラはそのまま雑草を抜き続けた。
「死ぬ前にやることではなかろう、どれ上手い酒を持ってきたぞ。わしと最期の酒を飲め」
「道満殿の誘いは、断れませんな」
やれやれと肩をすくめながら、ハレアキラはやっと立ち上がった。
その後ろを、軽く跳ねながらついていく蘆屋道満。機嫌が良い。否、この男はいつも機嫌が良い。にやにやと笑みを崩さず、何もかもを斜に構えて見ている。
度々晴明の好敵手として、対の立ち位置に置かれてきた男だ。
だが、互いが対であるとはいえ、敵対しているわけではなかった。その都度その都度、立場が立場で戦うことになったりするのだが、互いに恨んでいるとか憎んでいるとか、そういうものではなかった。
蘆屋道満も、陰陽寮の仕組みは分かっている。
「肴は持ってきておらぬぞ、何か出してくれ晴明」
どっかりと縁側に座ると、どこからともなく千棘が現れて、道満の足元に座り込んだ。その腕の中には湯桶がある。
「おみ足を洗います」
「いらぬいらぬ、中には上がりこまぬでな」
千棘を追い払うように手を振る道満。
「いえ、洗っていただきますよ道満殿」
「なに?わしを中に招く気か?いつもはここで酒を飲み交わすことさえ稀であるというのに」
「最期でありますからね」
小首を傾げて、ハレアキラは口元に笑みを浮かべる。そのまま奥へと消えた。千棘が、ゆっくりと道満の足を洗っていく。そのくすぐったさに口元を押さえながら、自分の膝に肘をついた。不満げに千棘の頭のてっぺんを睨みつける。
「…では、お召し物も着替えていただきます」
「待て待て、流石にそこまでは要らぬわい」
「しかし道満様、あなたさまは大変汚れておりますから…」
「道満殿、頼みますから千棘に従っていただきたい」
遠くの方からハレアキラの声がした。奥で肴の準備をしているらしい。
「おれは晩酌のつまみを作るのに時間が掛かります、急がれることはありますまい?何かこのあとご用事でもありますか」
「ハ、このような夜更けに他に何をする。今宵はお主の葬式で仕舞いじゃ」
「葬式!それは死んでから行うものでございましょう」
ハレアキラは珍しく、声を上げて笑った。
その様子に怪訝そうに顔をしかめながら、道満は千棘についていった。案内されたのは、風呂殿であった。


「今日は日が悪いのだがな」
思いっきり嫌味を込めて言えば、ハレアキラはきょとんとしたまま答える。
「おや、道満殿は占いで入浴を決める貴族のような生活を心掛けておられましたか。それは存じ上げず申し訳ありませんで」
「髭まで剃る必要は無かろう、ここまで伸ばすにどれだけかかると思っておる」
「良い面構えになりましたな」
ハレアキラは、道満の膝元の盃に酒を注ぐ。それは道満の持ってきたものではなかった。それに文句を言えば「あれは最期の酒とおっしゃいました。今宵は最期でありませんので」と屁理屈を並べる。仕方なく、その酒を飲む。肴である焼き魚と乾燥させた果物や植物の実などを、ハレアキラは小皿に分けて床の上に置いた。
「…お主、気でも狂ったのか」
道満は、ハレアキラの頭を指す。
「烏帽子など、あなただって気にしておらんでしょう」
「……着物だって、それは寝間着ではないか」
ハレアキラは、白い着物に単衣を一枚羽織っただけの格好であった。烏帽子も被っていない。いつもならその中にしまい込まれている長い黒髪を、緩く後ろで結わえているだけであった。
「おれは至って心穏やかにおりますよ」
「おれ、とは言うが。その格好では似合わぬな」
「ああそうでした、その事で道満殿に頼み事があるのですよ」
ハレアキラは、自分の盃をくっと飲み干す。その姿に、道満はぎょっとする。いつもはちびちびと舐めるように飲んでいるのに、今夜は酒豪のそれだ。酒で濡れた唇が、月の明かりだけに照らされて、男の情をぐらりと煮立たせた。
奥の間で、千棘が燭台に火を灯した。何重もの御簾の向こうは、帳台が伺える。ますます道満は顔を歪めた。自分たちは、寝室の隣の間で酒を交わしている。
「…頼み事とはまさか、わしに閨を共にしろとの事ではなかろうな?」
「その通りで」
ハレアキラは目を伏せた。口元は笑んでいる。それは道満と晴明が、化かしあいをする時の表情そのままだった。
「馬鹿を言うな。お主とわしが和歌など送りあったか?」
「道満殿が、そのような手順を踏んで女を抱くとは驚きですね」
「はぐらかすな晴明、お主死ぬと分かってヤケになっておるのではなかろうな。ヤケならば、わしは帰るぞ」
「っあ…」
さっと立ち上がった道満の、狩衣の裾をハレアキラは掴んだ。ぎくりと、道満は体を強張らせる。ハレアキラも、すぐにその手を離した。自分でもその行動に驚いているようだった。男の裾を掴んだ手を、もう片方の手で誤魔化すように撫でている。
「………ヤケなどでは、ありませぬ」
「…かと言って、本心でわしに抱かれたいわけではあるまい。否、面白いことではあるがな?わしはお主がそうやって女を見せていることさえ、愉快でたまらないのでね」
道満は座り直した。窮屈だった着物の襟を緩める。
「最期の頼みと思って、聞いてはくれませんか」
「わしは別に、お主が嫌いなわけではないが…そうやって死ぬ前に頼まれるようなことでは…頼まれる男ではなかろうて。博雅はどうした、お主…あれを好いておったろう」
道満の言葉に、ハレアキラはふと視線を庭に向けた。
あの縁側で、琵琶を弾く、笛を吹く男の姿を思い浮かべる。あの音色に耳を傾けているだけで、ハレアキラは心が満たされていた。
「長秋卿は、おれが…私が死ぬとは知りません。もうすぐ悪いことが起きる、とは話しておりますが」
「……それで良いのか、お主は」
「良いです。長秋卿を巻き込みたくはない」
ハレアキラは足を崩した。横座りになり、乾燥させた木の実を噛み砕く。こりん、こりんと乾いた気持ちの良い音が響く。
「私は明日の夜、殺されます」
ご存知ですよね、とハレアキラは道満の目を見る。つり目の黒目が、男の濁った目を見つめる。眩しい。暗闇の目であるはずなのに、それは道満にとって眩しいものであった。若々しく、生命力に溢れている。
「下手人は、私の力が目的でしょう。言霊の力を欲して、私を犯して喰らうでしょう。それはもはや逃れられぬものです、だから道満殿」
―あなたに共犯になってもらいたい。
ハレアキラは、下唇を噛んだ。
「殺される運命から逃れられぬのなら、せめて…私のこの力は全て渡したくない。ただの悪あがきですがね…そうするために、道満殿…あなたに私の処女を奪っていただきたい」
「なるほど、なるほどなぁ……いやなに晴明、お主面白いことを考える」
道満は喉を引きつらせて笑った。
「わしを共犯とな、つまりわしはお主を殺した相手に恨まれることになろうと?」
「いえ、おそらく分からないでしょう。分からないようにします」
「…処女のフリをすると?出来るのか、お主に」
「フリなどせずとも、相手は私を作業のようにしか犯さんでしょうし。おそらく私には、何の感情を抱いてはおりません。きっと、あれは私への嫉妬で出来ている。あの狐は、そういう生き物でございましょう」
狐、と言われて道満は片眉を上げた。それで全てを察する。
「…あいわかった、応じてやろうぞ晴明」
道満は立ち上がる。
千棘が、御簾を上げて寝室へと誘っていた。


「素でおれよ、晴明」
「素…というと、言葉を崩すくらいしか分かりません」
「それでよい、今宵はわしに抱かれるだけの可愛い女になっておれよ」
単衣を脱いで、薄い寝間着だけになったハレアキラの背中に声を掛ける。女がゆっくりと着物を脱ぐのを眺めていた。かすかな夜風に、燭台の火が揺れる。そのせいで、自身の影が歪む。ハレアキラはそれに驚いて、体をびくんと跳ねさせた。
「くくく!まるで別人よな、晴明…いや、本当の名は何と申す?もう教えても良かろ」
「名など、ありませんよ。葛の葉の娘ゆえにくずめと呼ばれていた時期があって、それが過ぎればすでに<晴明>でしたから…別称はハレアキラですがね。そう呼ぶのは陰陽寮の人間のみです」
「言葉が崩れておらぬが」
道満は、ついに我慢が効かなくなってハレアキラを背後から襲いかかった。あっと声を上げるハレアキラをよそに、男はそのまま両手首を掴まえて、首筋に鼻をこすり付ける。そうして女の匂いをたっぷりと嗅いだ。
「な、なにを…!」
「堪能させよ、あの晴明を抱けるのだから。脳に刻んでおきたいのだ」
「……好きに、したらいい…私にはそういう、作法は分からないし」
「作法!?作法と言ったか」
「わ、わからん!どういうのだ、その…手順?やり方?」
「よいよい、わしが全部導いてやるでな」
髪を結っていた紐を、歯で食いちぎる。そのひとつひとつの動きに、怯えるように肩を強張らせる女。
「……何か、儂だけの名で呼んでやろうか晴明」
「………はあ、なにゆえに」
「特別な名で呼べば、晴明というよりはただの女として抱かれやすいかもしれんではないか?別人になれ、と言うておる」
「…好きに、したらいい」
細く、柔らかいその体を自分の膝に抱え込んだ。狩衣の中に、このような美品が隠されていたとは思ってもいなかった。実は女であるということは知ってはいたが、ここまで滾らせてくれるものだとは…。舌なめずりをして、女の足を開かせながら、腰元に密着させる。女が、おずおずと後ろ手に手をついて、ゆっくりと背中を布団につけた。
そこに覆いかぶさる。
「好きな色は何か」
道満は、笑いながら黒髪に指を通す。墨を零したように広がる美しい黒を、指で梳かしていく。
「…色?……藤の色は好きさね」
「紫だな」
「むらさき?私をむらさきと呼ぶか!?あの!?」
「馬鹿言え、源氏物語にはなぞらえんよ。ハレアキラと呼ばれているといったか?ならばアキラの字を貰おう…アキラは水晶のアキラで…」
男は、語りながら女の体を撫でていた。白い肌を、燭台の光が照らすその色気に当てられながら、女の体の隅々を記憶しようとしていた。最初で最期である。もったいない、と思ってしまった。このように上等な女、抱ける機会は無い。しかも男を知らぬ体である。下劣な欲情が湧き上がるとともに、あの安倍晴明を抱けるという優越感からも興奮は燃え上がるばかりだった。
「紫水晶というものがあろう?あれにならおうぞ、シスイ。シスイと呼んでやる」
「…なかなかに無理矢理、だ」
女の低く掠れた声が、少し上ずった。道満は女の秘部をごつごつした太い指で弄る。敏感であろう肉芽を、恥骨に擦り当てるように潰した。上下に往復させて、女が声を抑え体から脂汗を出すのを見ていた。
「シスイ、ここは気持ち良いか」
「………ッふ、んん…んっ」
「声を出せシスイ、鳴けばよい」
ぬちぬちとわざとらしくそこから音を出せば、女が目を見開いてその恥辱に震えた。きっと睨みつけるその目さえ、男の劣情を煽る。にたり、と笑えば、ふいっと女は顔をそらした。
その隙に、濡れた蜜壺に指を挿れた。ゆっくりと、中をひっかくように動かしながら奥を目指す。
「ひっ、いぃ……!ぁ、ああっ……!い、いた…」
「痛いか?」
「いた、い…!」
「まあ待て、じきに慣れていくものだ」
子供をあやすように、女の額を撫でた。そこに愛おしげに女は頬ずりをする。痛みに耐えるように、眉をひそめながら。
「………シスイよ、お主処女と言ったな」
ぐっと体をかがめて、自分の胸板と女の控えめな乳房が触れ合うように密着する。女の荒々しく上下する胸と激しく動く心臓が、蜜壺に挿れた指からさえ感じることが出来た。否、その指で感じているのは、女が快楽に悶える膣のうねりである。
「い、言ったが…なにか…」
「では…これも初めてか」
膣を指でかき混ぜながら、その紅い唇に己の唇を重ねる。かさついた己のそれを、みずみずしい女の唇が受け止める。何度かはぐはぐと噛み合うようにふたつの肉を食む。そしてその奥へと、舌を滑り込ませた。んっ…と女がそれに驚いて両の手を男の胸板に置いた。それを体だけで押し返して、舌を絡ませ続ける。とろけるように、女の体が脱力していく。それに合わせて指の動きを早めれば、再び女の全身の筋肉が震えだした。あとは、何度か経験したことのある締め付けだ。
男の指を、ぎゅうと蜜壺が握りしめて、女は達した。
「っあ!あぅうっ……うぁ…!ぁあ………あっ…」
その未知の経験に、女は驚きと怯えに嬌声を漏らす。それを慰めるように、再び唇を重ねてやる。女は、既に晴明からシスイに成り代わっていた。道満に抱かれるだけの女に。
太く鍛えられた首に、女の細腕が回される。
道満は、女のそこに熱く熟れ火照った肉棒を、押し付けた。


あまりに痛がるのと、ついに泣き出してしまったので、道満は自分の我儘で二回目の行為には及べなかった。流石の蘆屋道満も、酷い男ではない。
「そう、女のようにさめざめと泣くでないわ…乱暴には抱いておらんのだぞ」
四肢をさらけ出し、未だ腰を細かく痙攣させるハレアキラの肩に、男は単衣を掛けてやる。
「私は女だぞ…ならばさめざめと泣いてもおかしくはなかろ」
鼻声で低く言えば、道満がけらけらと笑いだした。
「そうであったな!シスイという名の、わしの女であったわ」
隣に寝転んで、背中から抱くように腕を回す。道満はそのままハレアキラの首筋に再び鼻を埋めた。
「なにを一度抱いただけで、自分のものと言える…」
「言える言える。なにせお主は明日死ぬ身、わしに抱かれて下手人に襲われる…たった二度の情事よの。ならばもはや、お主はわしのものであると同じこと。それで良いだろう?」
…なあ、晴明よ。道満はその名で呼んだ。ならばハレアキラも、シスイから晴明に戻らねばならない。
「……道満殿の、お好きなように…」
「お主は今宵、そればかりであるな。好きにしろ好きにしろ…と。しかし、かと言って好きにすれば泣くのだから。何、我儘なのはどこの女も変わらんがの」
「しかし道満殿。この事は誰にも他言無用でお頼み申しますよ。長秋卿はもちろん、たれにも申しては…」
「申さぬわ。安倍晴明を抱いたと他言してみよ、祟られるか殺されるか…または気狂いと相手にされなくなるか、ぞ」
「分かっておられるなら、それで…」
ハレアキラは寝返りを打った。すでに男の顎には、髭がぽつぽつと生えている。時間が経過したことを物語っていた。もうじきに、日が昇るであろう。
「………道満殿、こういうものは日が昇らぬうちに帰るのではありませんでしたか」
「わしはそういう、決まりは守らんたちでな。お主が寝るまでこうやって、てておやのように体を叩いてやろうぞ」
人を小馬鹿にしたように顔を歪める道満、しかしすぐに破顔した。満面の笑みであった。ハレアキラも一度も見たことのない、気持ちの良い笑顔だ。
「てておや、か。道満殿はおれの何になるつもりであるのか…わからぬ…」
ゆっくりと優しく叩かれる、大きな手のひらからはぬくもりさえ感じた。その心地良さに、目を伏せるハレアキラ。
「何になって欲しい、申してみよ晴明。お主の呪術で縛られてやっても、良いのだぞ」
奥から千棘が、火鉢を帳台の中に差し込んできた。朝はとことん冷える。男は既に、自身の汗で冷え切っていた。しかし抱きとめる女が、まるで子供のように暖かいので、火鉢を求める程ではない。それでも、裸の女を冷やしてはならんだろうと、再び自分の体に近づけた。その距離は、恋人のそれである。
ハレアキラは眠りにつきながら、道満の問いに答えた。
「道満殿の、好きにすればよい…」
答えた後は、寝息だけである。
―否とも、応とも、どちらにも取れぬ答えで返しおったか。
道満は不服そうに、唇をすぼめる。
―だが…まぁ、流石わしの見込んだ<晴明>よな…。
ここで、惚れただの好きだの、死にたくないから助けて欲しいだの言える女であったのなら、道満は見捨てていただろう。つまらん人間であったと、早々に忘れていただろう。
どうも惜しい…これではなく、他の<晴明>では退屈してしまうだろう。そう思うからこそ、道満は永い時この女を想うことになるのだ。


起きたのは、昼もとうに過ぎた頃合いであった。
既に男の姿はなく、そこには男の持ってきた手土産の酒があるばかりだった。
「…千棘、湯を用意してくれるかい」
「あい」
―万が一にでも、男の気配が悟られてはならぬ。
珍しくハレアキラは、部屋中にも自身にも香を焚かせた。そこに高級な酒を内臓に染み込ませれば、獣の鼻も効くまい。
「……道満、私が欲しいのならば無理にでも攫えばよかろうに」
思ってもないことを言った。
そうして口にすることで、その一切の心残りを捨てたのだ。

安倍晴明…ハレアキラは、獣に肉も血も喰らわれた。庭に捨てられた骨が残り、そこには虫が這い、草が生え、花が茂った。雨に打たれ、風に晒され、雪が積もった。やがて家主が代わり、土いじりが趣味の主人に発掘されたハレアキラの骨は、無縁仏として供養された。そこでやっと、魂としてのハレアキラが形となったのであった。

ぱっと、目覚める。目覚めるというような気持ちとは、また違うのだろうが、目覚めて意識がはっきりした。朝起きてみれば、という感覚とは程遠い。時が止まり、急に動き出した。そのような感覚だ。経験したことのない、目覚めだった。
―これは一体、何なのだろう。
そうしてまずは、自己の認識の長考から始まった。
―私は、何なのか。
周囲を見渡す目がない、音を聞く耳がない。ふわふわと空気のようにそこに漂い、ただ存在している。ぼんやりと、世界を感じている。
これが、いわゆる魂の状態なのだろうか。仙人や、天女のような、そのような心持ちに似ている気がする。
まずは、元の形に近いものを取り戻すことが、先決であると思った。
肌色の指、四肢、体。そして着物を身につける。
周囲の着ている着物は、自身の知る服装とは、随分変わったものになっていた。女も男も身なりが変わり、街や建物も変わっていた。目と耳と鼻が、元のそれに近づいた時、一気に流れ込む情報に頭が溶けそうだった。実際、溶けていたのかもしれない。
高熱にうなされながら、目眩を覚えながら、ふらふらと往来を歩いていた。
誰にも、私の姿は見えない。見える者も居る。しかし、見えた者は、全てが私を「ばけものだ」と叫び、怯えた。逃げた。
湖面に映る私は、ばけものであった。人の形を倣った、ばけもの。肉の削げ落ちた皮膚が、骨にやっとくっついているような、それをひきずり歩いている。異臭を放つのだ。難しい。人の形を保つのは難しい。
いっそ、人の形の完成形を求めるのはやめるべきであると思った。
そう思い立った時、私は<鬼>であると、はっきり自覚した。

我々が祓っていた鬼。それが今の私なのだ、と。

鬼とは、多くの意味を持つ。幽霊だったり異形だったり、外国の人間であったりと、様々な総称が<鬼>と呼ばれる。
死んで、魂は浄化されず、輪廻の輪に乗ることは許されず、永久に現世の理に閉じ込められながら、そうして生きながらえる鬼となった。
否、鬼とはまた、別のものであろう。たびたび見てきた鬼とは、自分は別の者にも思えた。
人ではない何か…人外になった自分、自意識が何を思うか。
恨み、復讐、後悔、願望。そのどれでもなかった。まず思ったのは、開放された喜びである。私は、安倍晴明のシステムから外れて、開放された。自由になったのだ。今なら、なんでも出来る。
やりたかったことがある。日本から出て、世界をこの目で見たかったのだ。
陰陽寮や宮中で学んだ、外の世界。安倍晴明がそれに興味を持ち、調べに行くことは許されなかった。思うことさえ。夢想することさえ。
だから私は、まず世界を旅することにした。


人の身なりを真似して、世界中を練り歩いた。
世の中には、陰陽師のように人々を人外から、魔物から守る者が多々存在した。それらにはたまに自分の正体がバレてしまい、あれこれと面倒ごとに巻き込まれるようになってしまった。気をつけなければならぬことが、たくさんある。
魔物の方も、人と同じく政治があり、そして決まりがあった。それらに属することもなく、どちらの味方をするでなく、ただ傍観と無関係を貫いた。
ある日、あまりに荒くれ者の魔族たちが集まる村に宿を一晩借りた。
そこで人と間違えられ、襲われた。もちろん返り討ちにした。不思議なことに、自身の<言霊>の力は失っておらず、むしろ他に怪力や俊敏さのステータスが上昇していたので、難なくそこを凌げた。
凌げたせいで、噂が立つようになる。
アメジス―アメジストをもじった自分の偽名である―と名乗る人外が、魔物や魔族を脅かしている、と。

ある日、その名前がトランシルヴァニアにまで届いてしまった。
トランシルヴァニア。そこにはかの有名な吸血鬼王、ドラキュラ伯爵が城に住んでいた。未だ伝説は根強く語られており、地元の人間もドラキュラ伯爵を信じていた。人々の信仰、知名度の高さは。人外の潜在能力へと昇華される。有名であればあるほど、ポピュラーであればあるほど、人々がそれらを怖がれば怖がるほど、魔族や魔物の力は強大になる。そんな、ドラキュラ伯爵から自分へ、招待状が届いた。
『ひのもとの魔物、彷徨えし幽霊の君。どうぞ我が城へと足を運びください。歓迎いたします』
歓迎すると言われてしまったので、行くことにした。

未完


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