8、愛の妙薬とそれに対する考察
「何をしているんだ」
隠し部屋の書斎に入ってみると、もはやそこは既に書斎と呼ぶには相応しくなくなっており、薬品や薬草、何の薬か分からない色をした薬瓶が所狭しと並んでいた。
謎の生物の手がホルマリン漬けにされて、綺麗に並べられているのには少々驚いた。一体どこからそんなものをこの部屋に持ち込んだのか説明を求む。
「あらリドル、何か用?」
「別に用はないよ、それにしてもユン、確かに僕は君にこの部屋を好きに使って良いとは言ったけれど、まさかここまで部屋を改造されるとは思わなかったよ」
もはや原型のない部屋、彼女専用の研究室と化した部屋では、大鍋で謎の液体をかき混ぜていユンがいた。
彼女とは結局、クリスマスの日から一度も会う事はなく、彼女が言った通りこうして会うのは休暇も今日で最後となったという日であった。
「レシピを見ながら調合をして作ってみたのだけど、なかなか上手くいったわ」
「……これは、何の薬を作っているんだい?」
大鍋をかき混ぜている彼女に近寄って、開いてある本を覗いた。そこには「生ける屍の水薬(強力な眠り薬)」と書かれていた。
「これ、6年生の教科書じゃないか」
「そうなの? スラグホーン教授が貸してくれたの、だけど教授は教科書だなんて一言も言っていなかったわ」
「君ならO.W.L試験でも良い結果を出せそうだね」
「O.W.L試験? 私はまだ4年生よ、気が早いわ」
薬が出来上がったのか、ユンは薬を瓶に詰めて薬名を書き、瓶をいくつか棚に詰めていった。そしていつ作ったのか大鍋を洗う「洗い場」まで部屋の中に用意されていた。この部屋はもはや彼女専用の実験室となっている。
「スラグホーン教授お墨付きの君なら「愛の妙薬」を作って欲しいと女子生徒達に頼まれそうだね」
「そうね、頼まれてはいないけれど何となくこの間、レシピを見ながらいくつか作ってみたわ。けれどあの薬を調合するには時間がかかり過ぎるからもう二度と作らないわ、魅惑万能薬というのは効き目が強いと聞くけどそれなりに時間を要するわね」
「なんだ、もう既に作っていたのか」
そういう薬には興味がないと思っていたが、彼女は一体どれだけ色んなジャンルに手を出しているんだ。
やはりただの魔法薬学馬鹿なのか。
「個人的に述べさせて貰うと」
大鍋を洗い終わったユンは、ハンカチで手を拭きながら、6年生の教科書の中身をぱらぱらとめくりながら覗いているリドルの方へやって来た。
「何がだい?」
「愛の妙薬を調合している時に、愛について考えていたのよ」
「ふーん、聞かせて貰おうか」
「「愛情」に関してだけは、薬では手に入らないと考えているわ、人や人の心は操れても「愛」までは完璧に手に入れる事は不可能。幻覚症状としてならそれに近いものは可能だけれど持続性も難しいし定期的に薬を服用させなければいけない、「愛」を薬で手に入れようとするなんて全く以って悲しい行為だわ」
「けど現に「愛の妙薬」は存在する、君はあの薬をどう見ているんだい?」
「性的興奮剤」
「……。」
「刺激性物質を作りだし、催淫剤と勃起向上剤に作用し広義には性欲を高める薬、恋愛感情を起こさせるような症状にさせる薬よ、一種の覚醒剤ね」
恥ずかしがる事もなく目の前の女は淡々と口に出して言った。彼女には少しも羞恥心というのがないのか、これだから科学系は。
「ならば君は「愛情」は存在しないとでも言うの?」
「いいえ存在するわ、薬では作り出せないだけ。私もいつか欲しいとは思っているけれど、なかなか難しいものね」
「欲しい?「愛情」なんか邪魔なだけだ、必要性を感じない」
「私も生物学上ではそう思っているわ、子孫を残すだけならそもそもそんな感情というのは必要ない。けど「愛情」によって生まれるものというのは理論や論理では言い表せられない程、とても素晴らしいものが生まれるのよ。愛はあらゆる魔法を超える力を持っていると聞くわ、けど「愛情」は目に見えない分ややこしいわね」
「君はよくそんな考えが起こるね、とんだ笑い話にしかならないよ」
「なら好きなだけ嘲笑えばいいわ」
「……。」
「リドルも素敵な女性だからといって騙されて薬を盛られないようにね」
「僕はそんなヘマはしない」
持っていた6年生の教科書をユンへ投げるように返すと、彼女はくすくすと笑った。何がおかしいというんだ。腹立たしい。
「ねぇリドル、女というのは恐ろしいわよ?」
「そうかい? 君みたいな女の細い首なんて簡単にへし折れそうだけど」
「みんなそう言うわ、けれど心を強く保たないと、簡単に奪われてしまうわ」
「……どういう意味だ?」
「さて、温かいミルクティーが飲みたいわ、アブラクサス……はまだ学校に帰って来ていないのね。ねぇリドル、お茶にしましょう?」
「は?」
ユンは教科書を持ったまま、隣の広い部屋に行き、いつも座っている2人掛けのソファーに当たり前のように1人で座った。そして杖を振って紅茶セットを出した。ミルクティーらしき紅茶と、女が好みそうなお菓子がテーブルの上に用意されていた。
そして、ユンは優雅にカップに注がれた湯気が出ているミルクティーを飲んでいた。なんだ彼女のこの余裕っぷりは。
「……。」
リドルは無言で向かいのソファーに座り、くつろいでいるユンを見た。こうして見れば何処にでもいるお嬢様だ。綺麗な長い黒髪に、透き通るような碧眼。真っ直ぐな背筋に、細く女性らしい脚。年はまだ若いが、どこからどう見ても完璧な淑女だ。
「(けど中身は魔法薬学馬鹿でマッドサイエンティスト。)」
見た目(だけ)は完璧な彼女を、魅力的だと恋い焦がれて惹かれている男子生徒が何人もいるのは知っている。嫌でも耳に入るし、実際に僕に彼女の事を聞いてきた生徒もいた。全く、僕が彼女の何を知っていると思ったんだ。そりゃよく一緒にいたり会話したりしているだろうけど。
それは友人としてだ。
「……。」
「どうしたのリドル、難しい問題を目の前にしたような顔をしているわ」
「もし僕がそういう表情をしているのならそれはきっと君のせいだ」
「あら、それはごめんなさい」
「何に対して謝っているのか理解しているのかい? 全く以って腹立たしい」
「曖昧で不確かな考えを貴方に口にしまったわね、私の「愛情」への理論は忘れて頂戴。人それぞれ考え方が違う方がとても面白いわ」
「……。」
彼女は何が楽しいのか、また小さく笑った。きっとそれはニセモノではなく、彼女の本当の笑顔だろう。
「(けど何かユンはズレている)」
彼女が高揚するのは、魔法薬学と人体(生命体)への異常な好奇心だ。不死は存在すると唱えているし、見た目とは違い凄く変わっていると思う。
「そういえば、君の父親アルフ・ヴィンセントはどんな人なんだい? 不死の研究について彼はどんな事をやっているのか何でもいいから教えてくれ」
「んー、口で説明するのはとても難しいわ」
「難しい?ユンは父親の研究を手伝ったりしているんだろう?」
「いいえ」
「え?」
「だって私は、というより家族の者でさえも父親の研究室に立ち入る事は許されていないもの」
研究室の扉をノックしただけでも私の父親は激怒した事がある。カロンが以前、父の研究室をノックしたら中から出て来た父に思いっきり殴られるという事件があった。カロンは少しの間気絶してしまった(本人は何が起こったのかあまり覚えていないらしい)。きっとその時の父はとても機嫌が悪かったのだろう。それ以来、メイド達や母親は父の研究室に近付こうとはしない。
「私が幼い時からずっと父は屋敷の地下にある研究室に引きこもっていて、年に2、3回くらいしか合わないわ」
「どういう事だ、なら何故君は父親が「不死」について研究していると知っているんだ? 研究室は立ち入り禁止なんだろう?」
「あら、そんなの簡単よ」
「?」
「父の不在時に、研究室に忍び込んだのよ」
「君って意外と大胆な事をするんだね」
「だって、入るなと言われたら入りたくなるじゃない? それに父の研究室は思ったよりも案外簡単に忍び込めたわ。私はその時、父が長年研究室に篭って研究しているものが何か知ったのよ、まさか「不死」について研究しているなんて思わなかったわ」
まぁ、そのせいで私も「不死」についてや生命体の限界や人体の可能性を調べるきっかけになったんだけどね。たくさんの本を読んで調べるうちにいつの間にか、他の知識や技術が身に付いていた。実験をしていると、別の薬が出来てしまったりとかは割とよくある話だ。
「ユンの父親の研究室には「不死」についての資料や情報がたくさんありそうだね」
それらの情報達を手に入れるにはどうしたらいいか、やはりユンを利用して、アルフ・ヴィンセントに近付かなくては。スラグホーン教授にそれとなく質問しに行ってもいいけど教授が教えてくれるかどうか、一応僕はスラグホーン教授お気に入りの生徒なわけだけど、頼み込んだらもしかしてがあるかもしれない。
一人になった僕は地下を降りて、辿りついた場所は魔法薬学の教室。そしてその奥にはスラグホーン教室の部屋がある。その扉をノックするとスラグホーン教授は快く扉を開けてくれた。質問をしに来たと言えば嬉しそうに杖を振ってお茶を出してくれた。
「ホークラックス?」
不死について、可能かどうか聞いてみると教授は「ホークラックス」というものを教えてくれた。
「ホークラックスとは、人間が魂の一部を隠すために用いられる物を指す言葉で、分霊箱のことを言うのだよトム」
「教授、それはどうやってやるんですか?これから先の授業で習いますか?」
「とんでもない、良い魔法使いを目指すならば決して行(おこな)ってはいけない」
「やり方を聞くのも駄目ですか? 僕はホークラックスの仕組みが知りたいです」
「うむ、名前の通り魂を分断するわけだ。そしてその部分を体の外にある物に隠す。すると、体をいくら攻撃されても破滅したりしても決して死ぬことはない。なぜなら己の魂の一部は滅びずに地上に残るからだ。しかし、そういう形での存在は誰しも……それを望む者は滅多におるまい。いっそ潔い死のほうが望ましいだろう」
「どうやって魂を分断するのですか?」
「もうやめてくれトム、頼むから聞かないでくれ、私はそんなものを作ってはいない!どうかホークラックスの事は忘れてくれないか!」
もう勘弁してくれと、スラグホーン教授はリドルに背を向けた。
「……。」
「私は何も知らない」
「では教授、ホークラックスに詳しい人物を教えて下さい。実際に作った人がいるんですよね? 教授が知らないというのなら僕はその人に聞きます」
「……詳しい人物?」
「誰ですか? ダンブルドア教授ですか?」
「違う、ダンブルドアは知らない」
「では誰ですか?」
「……。」
「教授は僕が嫌いですか? 知るという事はそんなに悪い事ですか?」
「トムの事は嫌いではない、君の勉強家ぶりはとても素晴らしい!」
「では」
「アルフ・ヴィンセント。」
「!」
「アルフ・ヴィンセント、私の友人だ。彼ならばホークラックスに詳しい」
「アルフ・ヴィンセント……ですか」
どこかで聞いた事のある名前だと思えば、ユンの父親の名前だった。確かに彼女の父親は有名なのでスラグホーン教授とも繋がりがあってもおかしくはない。それにトーマス・ヴィンセントは不死について研究している、やはり彼とは一度会ってみるべきだ。
「ありがとうございます、スラグホーン教授」
「ああ、トム。お願いだから私から聞いた事は全て忘れてくれないか、私は少々君に話しすぎたかもしれない」
「大丈夫ですよ教授、教授は生徒の質問に優しく答えてくれるとても素晴らしい教授です」
では失礼します、とリドルはスラグホーン教授の部屋から退室した。
(不死への糸口は、アルフ・ヴィンセント)
← ∵ →