新木の肌触りと匂い。

だだっ広い印象を受ける御所はどこもかしこも新しかった。

板張りの床は綺麗に磨き上げられていて、天井は忠信達と過ごした大鳥城よりも高い。

──そして、柳御所や中尊寺。
平泉で見た建物と比べれば此処は随分シンプルな印象だ。
煌びやかな襖絵や丁寧な意匠の欄間、それから金を惜しみなく使った仏像に螺鈿細工の置物。
そういった華美なものは門を潜ってから見ていない。

同じ『御所』でも、此処はまさに武士の為にある館だった。











私の初仕事は明日から。
そう決まった所で、御所様との面会も終わった。
評定の間を退室した忠信に続き渡廊に出ると、


「‥‥え?」

「また後に、と言ったでしょ?」


そこには再会して間がない元同級生が笑っている。


「ずっと此処で待ってたの?」

「まさか。途中で抜けたよ」


和泉は、私達が面会している間に主人と会ったらしい。


「屋敷まで奥方を丁重に送り届けろ。でも忠信殿に丁重さは不要だ寧ろ苛めて来い、とあの方からの言いつかっております」

「苛めろって‥‥‥」

「何それ。くだらない」

「最近、忠信殿が槍の鍛錬に付き合って下さらないから拗ねてらっしゃるんですよ。忠信殿が大好きですから」

「笑えない戯言だよね」


なんて変わっ‥‥‥いや、面白い人なんだろう。
御曹司とか国衡さんに共通した何かを感じたのは私だけだろうか?


「和泉の主人ってどんな人?」

「‥‥‥」

「‥‥え、ちょっと。忠信?‥‥和泉も?」


ほんのりと好奇心を擽られたまま聞いただけだ。
何もそんな、思いっきり嫌そうな顔をしなくても‥‥。
そんな顔も非常に珍しい。確かにレアだ。

どうしよう。

困って視線を更に前に向けると、『その』ご主人様に仕える和泉まで何故か苦笑していた。


「うん‥‥‥優しいお方、かな?」

「待って和泉、その微妙な間と語尾の疑問形は何」

「気のせい気のせい。僕を拾ってくれたそれはそれは優しいお方だよ。ちょっと猪突猛進過ぎて、周囲が見えない部分があるだけでね」

「そうそう。確かにあいつは悪い奴じゃない。ただ捕まると一々面倒で鬱陶しい上に暑苦しくて堪らないから、極力近付かないだけでさ」

「そ、そう‥‥‥」


‥‥どう反応していいのか分からない。

貶しているのは気の所為だろうか。
特に忠信の言い様は酷い。
そう思いながらも口に出さないこの時の私は賢明だった、と褒めてあげたい。

諺にもあるように、藪を突ついて蛇でも出しては大変だからだ。


「‥‥‥でも弓の腕はいいんだよ、あいつ」


ぽつり、と。
付け足された言葉が心持ち優しかったから、思わず頬が緩んだ。















源頼朝が鎌倉の地を選んだのは、軍事上での深い理由がある。

それは三方を山に囲まれ、正面は海という防衛の理想に叶った地形だからだ。

その中心に建てられた『大倉御所』は、寝殿、対屋、侍所、厩などがあり四方に門を構える、いわゆる貴族の寝殿造と同じ構造だ。
貴族の邸宅と大きく違うのは、広さが約二倍ある侍所。
武家の総帥として如何なく力を発揮できるよう、武力と政治に適した造りなのだ、と和泉がいう。


「当初御所様は、御父君のお屋敷があった亀ヶ谷かめがやつを候補地にお考えだったのを、結局大倉に変えられた。それはどうしてか分かる?」


評定の間から侍所、そして門を出る。

夕刻に差し掛かり擦れ違う人も殆どいなくなった。
会話が聞こえる範囲に人の姿はないからか、その口調も砕けたものだ。
歩きながら説明してくれる和泉は、何処か楽しそう。


「え、私?うーん‥‥‥狭かったから?そんな理由しか浮かばないんだけど。忠信は知ってる?」


縋る視線を向けた私に、忠信が頷いた。


「楓は半分正解。亀ヶ谷が手狭であったのと、義朝様の菩提を弔う寺院が既に建てられていたからだ」


義朝よしとも
頼朝や義経の父君にあたる。
二十年程前、三十八歳の時に平治の乱で平家に討たれた。
その義朝の邸が亀ヶ谷にあるのだという。


「へえ、そうなんだ」

「逆に、大倉には最適な広さの土地があった。それに大倉は、鎌倉と六浦港を結ぶ六浦道沿いの地だった事、四神相応である理由から選ばれた」

「その通りです。流石は忠信殿」


前を歩く和泉がそれは嬉しそうに頷く。


「隆也からの受け売りだよ」

「一語一句、しっかり覚えておられる所が凄いんですよ。あの方も忠信殿や継信殿を見習って、少しは勤勉さを持って頂ければ良いのですが」

「相変わらず弓生活?」

「ええ、寝ても醒めても弓矢の事ばかりで」


そうなんだ。
誰か分からないけれど和泉が仕えている人は、相当の弓好きらしい。

弓オタクで猪突猛進な人、かな?

‥‥‥これは拙い。
早く会わないと、どんどん変な人というイメージが固定してしまう。


「変人はあんまりだよね‥‥」

「何が?」

「何って‥‥あれ、声に出てた?」

「出てた、どうでもいいけど。着いたよ」


どうでもいいのか。そうか。

若干拗ねそうになりながら顔を上げれば、いつの間にか大きな建物の門前に立っていた。

ぽかんと口を開けながら建物を見上げる。

そう言えば最近『いつの間にか』移動している事が多い。
どこまで注意力散漫なのだろう。


「大きいんだけど、忠信さん」

「御所より小さいけど?」

「‥‥‥比べる対象が間違ってます」


テレビの時代劇に出てきた漁師小屋‥‥‥とまではいかないものの、小さな家を想像していたのに。
貴族の邸宅程の広さとは行かないまでも、それこそ大河ドラマに出て来そうなしっかりとした造りの邸だった。


「大きくて当たり前だろ。御曹司にご用意された邸なんだから。その御曹司は此処暫く留守にされているけど」


ああそうか。
出立前の義父上の言葉を思い出す。


『佐藤家は義経様の家臣ゆえ、恐らく宿舎も同じだろう。心細く思う事あれば、忠信や継信に言うてみるが良い』


私達だけでなく、この邸には三郎くんや御曹司、弁慶さんも住んでいる。

そっか‥‥‥御曹司は此処に居るんだ。


「何時まで突っ立っているの。入るよ」

「え?だって和泉がまだ‥‥」

「隆也ならとうに帰ったけど」


手を引かれながら「ええっ!?」と驚く私は、忠信に呆れを含んだ顔で見下ろされる。
どんなに呆けているんだろう、私‥‥‥。

 

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