「僕の事、覚えてくれていたんだね」


和泉、と呼び掛けると嬉しそうに笑った。


「本当に驚いたよ。藤崎がいるとは思わなかった」

「私も‥‥」


驚いたなんてものじゃない。
和泉は知らないだろう。

藤崎花音、その名を捨てると決めた事を。
それを呼んだ和泉が、容赦なく私から平静を奪っていることも。

‥‥‥どうして。
どうして彼が此処に来たの。
どうして、この時代に溶け込んで、笑っているの。


「あー‥‥色々聞きたいけど、御所様をお待たせする訳にいかないよね。詳しい話はまた後でゆっくりしたいな。いい?」

「‥‥いいよ、私も聞きたい事が一杯あるから」

「ありがとう」


家のこと、学校のこと、親友だったカヤのこと。
和泉がいつから此処に居たのか。
少なくとも『あっち』にいた時に、彼が行方不明になったというニュースは聞いた事がない。
彼が此処に来たのは私の後だと思う。

だとしたら、『私』の存在はあの世界でどうなっているのか、知りたい。


「それから───藤崎が忠信殿と一緒にいるのはどうして?」

「それは‥‥」

「こいつが俺の正室だからだよ」


言葉が、攫われた。
私の代わりに答えて、それから支えるように手を取ってくれる。

熱に触れて初めて、小さく震えている自分の手に気付いた。
違え様のない温もり。ほっと息を吐く。


「藤崎が、忠信殿のご妻女‥‥?」

「そう」


私の存在に気付いた時よりも驚きを隠せず、和泉が固まった。


「じゃあ‥‥‥忠信殿がご妻女にべた惚れだって噂は本当なんですね。何せ、自ら迎えに行く程だからって」

「‥‥何それ。どうでもいいよ」


忠信には敬語で話しているものの、何処か砕けた雰囲気。
普段から二人は結構良いんだろう。

それは、私が知らなかった忠信の世界で。


「それから、こいつの名前は楓だから。隆也もそのつもりで」

「藤崎って呼べない事情でもあるのですか?」

「そんな所だ」

「‥‥‥分かりました。じゃあ藤崎、これからは楓殿って呼ばせて貰うね」

「うん、ありがとう和泉」


流石に同級生から『殿』を付けられるのは気が引ける。

けれど指摘しなかった。
和泉の、忠信への丁寧な言葉遣いから、彼が私を呼び捨てる訳にもいかないのだろうと察して。


「では今度こそ案内致します」


和泉が真面目な先導役の顔に戻り、先に部屋を出る。
その背に忠信が続き、更に半歩後ろを私が着いて行く為に、重い足取りで一歩踏み出した。


「楓」


振り返った常磐緑が朝と同じ柔さに緩む。


「大丈夫だよ。俺が隣にいるから」

「え‥‥‥」


この人は、忠信は、心臓を壊す気なのだろうか。
力強い言葉で、緊張に心もとなく揺れそうだった世界から引っ張り上げてくれる。




──和泉の先導で渡廊をしずしずと歩く。
頭をしっかりと上げて。

それにしても結構広い。
そう思ったとき、正面の部屋から男の人が出て来た。

熊みたいに大きい。もしかしたら弁慶さんと同じくらいか、もっと上背がありそうだ。
年の頃は‥‥‥御館くらいだろうか?
随分偉い人なのかもしれない。

擦れ違うタイミングで、和泉と忠信に倣い私も頭を下げた。


「おお!そなたは佐藤の!よう戻って来られた!」

「久方振りに御座います、籐九郎殿」

「いやはや、堅い挨拶は止せ止せ!御所様がお呼びなのだろ?早う顔を見せて差し上げろ、その麗し顔見りゃ御所様の気分も潤うもんじゃて」


豪快に笑う熊、じゃなかったその人は、励ます様に忠信の背をひとつ叩き、そうして豪快に歩き去って行った。
見た目を裏切らない怪力の持ち主らしく、ばしんと痛そうな音の余韻が残っている。

無表情に見える忠信は、心の底で迷惑だと思っているらしくて、それがおかしかった。


「御所様、佐藤四郎忠信殿を連れて参りました」

「通せ」

「はっ」


さっきの人が出てきたその部屋が評定の間らしい。
和泉の呼びかけに応えるその声は、耳を澄ませていたから聴き取れるほどの小さいものだった。


「では、また後に」


短い言葉を残し、きびきびとした所作で和泉が来た道を引き返していった。











しん、と静まり返った室内。
対照的に、外から聞こえるのは幾つもの掛け声。
鍛錬の最中なのだろう。
複数の怒鳴り声が聞こえたかと思えば、今度は豪快な笑い声。

この賑やかさが鎌倉の色なのだろうか。


室内の静寂と、外の喧騒。
相反する二つが相混じった不思議な場所。

その中心に座るその人は、私が考えていた人物像を軽く裏切ってくれた。


「佐藤四郎忠信、只今戻りました」


白い肌だ。

この部屋に来る迄に擦れ違ったり挨拶を交わした人達の、浅黒く日焼けした肌とは正反対だ。
東国武士はこうだろうと想像していた、腕の隆々とした逞しさとか、肩幅の広さとか。
そういった特徴を東国のトップに立つこの人は持ち合わせていなかった。


「平泉での仔細は書状にてお報せ申し上げた通り、噂は全くの事実無根に御座います」

「大儀である」

「はっ、有り難き仕合わせ」

「して忠信、隣の美しき天女を早く紹介せよ」

「え?」


え?と驚きの余り声が出たのは私。
隣の忠信はこう言われると予想済みだったらしく、深い溜息を吐いた。

美しき‥‥‥天女‥‥‥。

この人やっぱり御曹司の異母兄だ。
そうか、女の人にだらしないのは血筋だったんだ。


「この者は我が妻にございます。ほら楓、ご挨拶をして」

「‥‥か、楓と申します!不慣れですけど、精一杯御台所様にお仕えする所存ですので、よ、宜しくお願い致します」


緊張の余り、何度も練習していた台詞を噛んでしまった。


「ほう、楓か。何処かで耳にした名だ」


視線が私の元に届いた瞬間、ぞくり、肌が粟立った。

‥‥‥怖い。
この人はもしかしたら、知っている?
異母兄だから色々と聞き及んでいてもおかしくない。──でも、どうして『私』と結び付けられたのだろうか。


「何処だったか‥‥‥そう昔の事ではあるまいがな。忠信、心当たりはないか?」


静かに視線が降る。
その間は一瞬か、それとも数分か。
ただじっと降り注ぐ沈黙を真っ直ぐ受け止める。

奥州平泉で御館と対面した時以上の底知れなさを感じた。


「いいえ。私は他に通う娘もない身ですから。女性の名を聞く機会には生憎恵まれておりません」

「そうか」


瞬く間に、急所に充てられた抜き身の刀があっさりと下げられた───「そうか」の一言には、そんな重々しい解放感を感じた。

お世辞にも、甲冑が似合うと言い難い人だ。
刀よりも和歌が合っていそう。

そんな所は忠信と一緒だけれど、やっぱり彼とも違う。

澄んだ刃物を思わせる忠信に対し、この人は『何か』を感じさせる。
ゆったりと話す口調が気品を醸し出すのに。

深く底の見えない沼。

逆らえない、そんな『何か』。


「遠路大儀であった。明日、御台所の元に案内させよう。今宵はゆるりと休め」







───この人が、御所様。

源頼朝、御曹司の異母兄。

これから源氏の御旗となり平家を打倒し、歴史を変えていく人。
東国武士を引っぱり武士の世を創っていく人。



そして将来、───奪ってしまう人。


 

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