朝露に咲きすさびたる 鴨頭草つきくさ
 日くたつなへに 消ぬべき思ほゆ





潮の匂い。
陽射しの強さ。

そして東国武者の集う国。

此処は、舘の山と全く違う色をしていた。
凛とした、厳しくも清らかな白が奥州ならば、鎌倉は太陽の色。

人も大地も、ギラギラと眩しく照りつける。
容赦なく燃え尽くす。

苛烈で厳しい、太陽の色。









大鳥城からの旅も終着地の鎌倉に辿りついたのが昨夜。

疲れ果て宿に着いた頃には私はすっかり眠りこけていたらしい。
そうして気が付いのが、朝。
目覚めてすぐ、どこなのか分からずに飛び起きた。
そんな私の頭を包み褥に引き戻した腕の持ち主と眼が合う。
昨夜馬上で眠ってからどうなったのか。
忠信が話してくれたお陰ですっかり眼が覚めた。



「‥‥‥起こしてくれれば良かったのに」


愚痴を零せば、夫がふんわりと微笑む。
宿で借りた夜着がしどけなく肌蹴られて、最大級の色気を目の前に眼のやり場に困る。
一瞬、これぞチラリズムの集大成だとか思った私の脳が危険だ。
まだ寝ぼけているんだろうか。


「起こしたよ。でも起きなかった」


忠信の指が私の頬を摘んだ。


「だ、だからってそのまま運ばなくてもいいのに‥‥‥恥ずかしい」


所謂『お姫様抱っこ』で宿の暖簾をくぐったというのだから、そりゃもう恥ずかしいの一言に尽きる。


「あんたの顔は見られないようにしたけど」

「や、そういう問題じゃなくて」

「嫌だったわけ?」


機嫌を害してしまったらしい。じろりと睨まれた。

忠信は分かっていない。
どれだけ自分が目立つのか、どれだけ女の眼を惹きつけるのか。
彼には一切興味がないから。
一目見たら忘れられない綺麗な顔した男が深夜の宿を訪ねたのだ。それも、女を抱いて。
想像しただけで極上の光景で、ただその片割れが平凡な容姿の私なのが残念だと自分で思っただけ。

‥‥‥いや、今更何も言うまい。機嫌を戻すのが先決だ。


「嫌じゃないよ」

「じゃあ何」


怒っているのか、すうっと細まる常盤緑。
‥‥‥ううん、きっと拗ねているんだ。


「本当に嫌じゃないの。ただ、物凄く大事にされてる気がして、それを他人に見られたと思うと恥ずかしかった」


私が嫌だなんて思う筈ないのに。
忠信が想像しているよりもずっとずっと、忠信の内側に在るのに。

こうやって私の事で拗ねてくれるのが可愛くて嬉しい。
なんて、怒りそうだから絶対に言わないけれど。


「大事にしているのは事実だし、いいだろ」

「‥‥‥忠信」

「ほら、支度して行くよ」


普段と同じ声音で続けて立ち上がる忠信に、不意打ちでときめいたのは、秘密。







支度を終え宿を出る。
その際に女将さんがやたらと上機嫌だったのは言うまでもない。
宿中の視線が忠信に釘付けだった事も。

宿の入り口を出ると、忠信が手綱を受け取った。
よく手入れをして貰ったらしいご機嫌な愛馬の背に乗り、揺られること約半刻。


「着いたよ」


そこは、とてつもなく大きな建物の前だった。


「凄い。‥‥‥これが、鎌倉」


まさかこの眼で、真新しいその建物を拝む日が来るとは。
新木の香りが漂ってきそうな大きな柱に、威風堂々とした佇まい。


「そう。鎌倉の源氏の中心、大倉御所だ」

「‥‥うん」


──大倉御所おおくらごしょ

治承4年(1180年)十月に鎌倉平定を果たした源頼朝は、大倉の地に邸宅を構えた。

この邸宅で政治を行ったことから『大倉御所』。

後に幕府を開き、大倉幕府と呼ばれるようになる。

大倉幕府───後世で呼ぶ『鎌倉幕府』のことだ。

見上げているその建物は、私が歴史で習ったものと違う呼び名で呼ばれている。
その建物を鎌倉御所と私達が呼ぶのは、ずっと後年のこと。







大倉御所の門扉手前で手綱を預け私達が通されたのは、侍所さむらいどころと呼ばれる棟の一室。お呼びが掛かるまで、此処で待つことになった。


「暑いね。奥州とは全然違う」


余りの暑気に思わず口を突いた言葉。

私が生まれ育った神戸でも夏の厳しさは容赦なかった。
けれど大鳥城で過ごした夏は暑さも優しく、じっとしていても汗を掻くという感覚は久々に味わう。

──鎌倉は暑い。

海に面しているからか、照りつけるような陽光が容赦なく体力を奪ってゆく気がする。


「忠信はもう慣れた?」


私ですらバテそうなのだから、雪国育ちの忠信はもっときついんじゃないだろうか。
尋ねると、涼しい顔で座っていた彼が小さく息を吐いた。


「何とかね。暑さよりも、三郎兄上が『心頭滅却せよ!』って兵達に毎日渇を入れてる声が堪える」

「あー‥‥想像つくよ」

「兄上はあれで激励しているつもりだろうけど。余計暑苦しいよ」

「あはは」


素直じゃないな。
うんざりした風体で話すけれど、忠信の本心とは限らないのを知っている。

でも、それでいい。
ちょっと捻くれた、そんな忠信がいいと思う。
ありのままの彼で居てくれれば、それで。


「そろそろお呼びが掛かるんじゃない?まだ評定の最中だとさっき和田殿から聞いたから」

「あ、さっき喋っていた人?」


侍所の入り口で、見たことのない男の人が、忠信に小声で何か話しかけていた。
小柄でひょろっとしたネズミみたいな印象を覚えた、あの人のことだろう。


「彼は和田義盛殿。侍所さむらいどころの別当を任されているお方だ。弓の名手でもあるから、楓も機会があれば見て貰うといいよ」

「そうだね」


侍所とは、幕府のいわゆる警察や軍事を担った組織だ。
和田義盛は侍所の別当、つまり警視総監のような役職に就いているらしい。

あの髭のおじさんが、和田義盛‥‥‥。
想像していたのとは正反対のイメージだ。
そんなに偉い人に見えなかった、なんて言えば怒られるだろうか。


「失礼仕ります。お待たせしました、忠信殿。御所様がお呼びです」


からりと障子戸が開き、ふわふわの髪が現れた。
忠信と一緒に私も立ち上がる。

それから彼に視線を向けて、石よろしく固まった。


「‥‥え」


この人は、誰?

明るい茶色の癖っ毛を左右に垂らしている、丁寧な言葉使いの青年。
柔らかな笑顔と落ち着いた物腰。
見るからに、人好きのしそうな好青年なんだけれど。

‥‥‥違う。
好青年だから、驚いたんじゃない。

記憶の『何か』が触れたからだ。


「隆也、御所様とは?」


呆然とした私の隣で、忠信が怪訝そうに問いかけた。

たかや?
この時代には珍しい呼び名だ。
そう‥‥‥封印した私の名と同じく。

忠信に名を呼ばれた青年は、「ああ忠信殿はまだご存知ありませんでしたね」と髪を揺らしながら頷いた。


「先日この大倉の館を政の中心として、正式に『御所』と定められました。それにより今迄の様に佐殿とお呼びするのはなく、御所の中心、世の真中、と言った意味を込め『御所様』とお呼びしよう、と古参の御家人方がお決めになられたのです」

「‥‥ふぅん。佐殿は猛反対されたんじゃない?」

「そりゃあもう。行き過ぎた敬意を嫌う御方ですから」


思い出す様に眼を細め、そうだろうね、と忠信が呟いた。


「では案内します。ええと、そちらの方は‥‥‥」


踵を返しかけた癖毛の青年が、私に顔を向けた途端。
ぴたり。
その動きを止めた。

まるで、ほんの少し前の私みたいに。

既視感に捉われたかの如く訝しげに細められる眼もきっと、今の私と同じだろう。


「‥‥‥藤崎?」


恐る恐る問いかけられたそれは、私の苗字だったもの。
鎌倉の地でその名を知る人は、忠信の他に三郎くんしか居ない。
御曹司ですらきっと知らない筈。

──ああ、やっぱり。


「違っていたら申し訳ないけれど、君は藤崎花音、だよね?」

「‥‥‥うん」

「やっぱりそうだ!あ、僕のこと覚えてないかな。僕は」


名を知っているだけの関係だった。

同じ制服を着て、ひと括りにされていた狭い世界の中の住人という共通点以外、接点もなかった二人。
お互いの名を知っていても、本人に呼び掛ける事なんてほんの数回あったかも覚えてないほどの。

顔だけ知っている他人だった私達。


「知ってる。‥‥‥和泉、隆也。和泉でしょ」


和泉隆也。
小中高と同じ学校で、クラスメイトになった事だって何度かある。

同じ『時代』の人。




どうして、彼が此処に居るんだろうか。


 

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