色を失った日常を再び変えたのは、その日の夜。

たまたまリビングを通ったとき視界に飛び込んだ、テレビの映像だった。


「──あっ!」

「どうしたの、花音?」


父も母も、突然声を出しながら飛び込んだ私に驚いている。
だけど振り返らない。食い入るように画面を見つめた。


「ほう、花音は義経のファンか?今は歴女だとかブームらしいしなぁ」

「花音ってば、歴史なんか習ってもどうせ役に立たないわー、なんて言ってたのにね」

「今は歴史を題材にしたゲームが流行ってるからなぁ。きっかけは何であれ、興味を持つのはいい事だよ」

「違───わない。けどそうじゃなくて」


父と母への返事もそこそこに、ただ映し出される日本の美を食い入るように見つめた。


「衣河館‥‥‥」


テロップに書かれた文字は、私がお世話になっていた場所の名称と同じで。

私は『衣川館』って書いていたけれど。


「ころもがわのたち?‥‥へぇ、此処が義経が自害した場所なんだな」

「これが義経堂?何だか小さいのねぇ」



ああ、やっぱり夢じゃない。


懐かしさに、涙が溢れそうになる。
安心して、今にも泣き崩れてしまいたくなる。
心配かけてしまうから、必死で食いしばってみるけれど。


この風景には見覚えがある。懐かしい稲束山が見える。

義経堂は後から建てられたのか、見たことが無いけれど。
昔と今とで変わっている。
けれど確かに感じさせる。

あの日々の息吹を、画面越しに。


それを取り巻く濃い緑。
夏の暑さにも涼を与える、植物の緑。

この緑より綺麗なものを、私は一つだけしか知らない。


‥‥‥夢じゃなかった。


「お父さん、お母さん。私、───ここに行きたい」


きっと、此処へ呼んでいる。

理由も無くそう確信していた。















ただでさえあの事故で随分心配かけた。

その上、平泉に連れて来てくれるなんて思ってもみなかった。

翌日には旅行のパンフレットを手に仕事から帰ってきた父。
そして、更に翌日には九月の連休に旅館の予約を取ってくれた母。


『たまには家族旅行もいいね。』


その言葉には、元気になった娘への安堵と惜しみない愛情を感じて。
嬉しいと同時に申し訳なく思った。

ごめんね、お父さん。
ごめんね、お母さん。

こんなに大切にして貰っているのに。



早朝に神戸を出発した私達が平泉のホテルに到着したのは、昼を大分過ぎていた。

先にチェックインを済ませ昼食を摂る。
その後、仕事疲れもあって夕食になるまで仮眠を取ることになった両親を置いて、当初の予定通り私だけ義経堂を散策する為に部屋を出た。

勿論というべきか、「タクシーで行くんだよ。気をつけて」と念を押されたのは言うまでも無い。





「連休なのに珍しいねぇ」

「人が少ないの、珍しいんですか?」


拝館料を払いながら受付の人に聞くと、今日は私が一番最初の参詣者だと教えてくれた。


確かに、長い石段を登っても誰も見当たらない。
人の声は一切無く、時折うたう鳥の声と、葉擦れの音が私を迎えてくれている気がした。
残暑の中でも、ひやりと涼しい風が吹く。


「‥‥気持ちいい」


息を思い切り吸えば、肺に染み入る澄んだ空気。
冷たいそれは、やっぱり懐かしい。
懐かしい、と無理にでもこじつけているのかもしれないけれど。



ああ、でも。『昔』は、こんなに静かじゃなかったな。


あの頃の衣川館には、御曹司や佐藤兄弟が住んでいたから。

賑やかだった。
女房さん達が笑う声。
三郎くん達が鍛錬する、気合。
失踪する御曹司を探す人たちの声。
御曹司や四郎に歓声を上げる女の人達。

それから、庭で、縁側で、お喋りする私。

四郎の半ば呆れた相槌と、めったに無い笑い声。

それから。




『理解できませんわ。こんな何処にでも居るような女を、あの方がどうして』





「───っ!」


目蓋の裏に浮かんだ憎悪の眼差し。

振り切るように、眼を閉じる。

そうだ。此処が衣川館の跡地なら、あの日の出来事もこの場所で起こったことになる。


怖い。


言葉にできない恐怖がじわじわと身体の中をせり上がってくる。
手が、足が勝手に震えだす。

目頭が熱くなって、じり、と足が知らず知らずのうちに僅かに後ろに下がる。


怖い。怖い。誰か。


「‥四郎‥‥っ」


耐え切れなくてその名を呼んだ、丁度そのとき。



ふわりと、暖かな風が背中を撫でた。

背中を、頭を、包み込むように。


「‥‥え?」



───大丈夫。



頭の中で、優しい声が、笑顔が、背中に置かれた手が、浮かび上がる。



───大丈夫だから、楓。



そんな言葉まで、胸へとしみこんできて。


「‥‥‥──っ!!」


恐怖は一瞬で、流れていった。
我慢できなくなってとうとう零れ落ちた涙と共に。


「逢いたい、‥‥っ」


今の風は暖かい。

抱き締めて貰っているような、不思議な心地よさに、もう一度眼を閉じる。

そうだ。此処で泣いてる場合じゃない。

ごしごしと、手の甲で目蓋を擦った。

私、懐かしさに泣きたくて来たわけじゃない。




此処に来れば逢える。
画面越しにこの場所を見てからずっと、そんな気がしていた。


呼ばれている。
此処に。


カヤ辺りが聞けばまた「最近の花音はおかしい」とでも言われそう。
そんなことを、けれど疑いも無く思った。



「‥‥あとちょっと」



顔を上げ、残りの階段を登る。


登りきったそこに、古びた石灯籠と小さめのお堂。
中には源義経公の像が安置されているとパンフレットに書かれていた。

お堂の前に佇む人影。


私を呼んだのは、きっとこの人だ。
あれから待っていたのだろう。


「楓」


ほら、やっぱり。


その名前で私を呼ぶのは、『今』は誰もいない。

頬に笑みが浮かんだ。


「久しぶりだね、御曹司」


だから私も『今』は呼ばれることの無いであろう、呼称を口に乗せる。


「‥‥ああ。待ち侘びたぞ」


優しいオレンジ色した夕焼けが後光のように彼の背後で輝く。

義経堂を背に振り向いた青年は、柔らかく微笑んだ。





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