そっと抱き寄せられた筈の感触が、この時ばかりは大きな衝撃に感じた。
信じられない──こうして触れられるのに。
それでもまだ夢を見ているのだと思い込もうとしてしまう。
これはきっと、都合のいい夢。
目覚めれば消えてしまうのかもしれない、私の心が投影した夢なのだと。


「‥‥‥いつ、帰ってきたの?」


胸が押し付けられて苦しくて、ようやく焼け付く様な喉から零れ落ちたのは、掠れた声。
夢にしては喉の渇いた感覚がリアルだ。


「ついさっき。父上達にはもう挨拶した」

「私、何も聞いてなかったのに」

「うん、楓にだけ口止めして貰った」

「‥‥‥は?」

「あんたの驚く顔、面白いから」

「はあっ?」


思わず顔を上げれば、にやりと意地悪そう弧を描く口元と細められた常盤緑に出会う。

‥‥ああ、この顔。この口調。
これは本物の忠信だ。
脳裏で描いてきた笑みよりも、ずっと生き生きしている。


「──っ、あ、あ、あんたねぇっ!一言くらい言ってくれても罰なんて当たらないでしょっ!?」


本物だ。
実感すると胸に熱いものがぐっと込み上げる。
それを誤魔化す為に、怒った振りをして目の前の胸元を拳で叩いた。
実際怒っている、半分は。


「痛いんだけど」

「痛くしてるの!‥‥大体何でそう意地悪なの。本当に会いたかったのよ。教えてくれてたら良かったのに‥‥」


何も教えてくれなかった忠信にも、大鳥城の人達にも。
それから浮ついた城内の様子に気付きながら、考えなかった私にも。


「教えたら、あんた泣くだろ?」

「もう母親なんだから泣かないよ。でんと構えて笑いながら待ってる」

「本当に?」

「ほ、本当に!」

「‥‥まぁ、そういう事にしといてもいいけど」


と言いながら、忠信の瞳が「嘘だ」と語っている。
そりゃそうだ。
今でもみっともなく泣いて、忠信に縋っているんだから。
見透かされているのが悔しくて俯く。
そんな私の頭上で、溜息と共に再び「そういう事にしてもいいけど」と声がした。


「‥‥それでも。嫌だったんだ」

「嫌?」

「知らせを受けた誰かの前であんたが泣くと思うと。せっかく御曹司に賭けで勝ったのに‥‥」

「賭け?さっきもそれ言ってたよね。何を賭けたの?」


途端に押し黙った忠信の名を呼べば、物凄く面倒そうな表情を浮かべた。


「御曹司の御命で兄上と勝負して、勝った方が父上への文を運ぶ役目を担う事になった」

「忠信が、勝ったの?」

「‥‥‥兄上が、わざと負けたんだよ」


ああ、だから不機嫌なのか。

三郎くんは優しいから、きっと忠信に気を使ってくれた。
もう二年近く逢っていない私と、まだ腕に抱いてすらいない小さな四郎の為に。

忠信もその心遣いに気付かない筈はなく、それでも手を抜かれた事が解せないらしい。

本当に、負けず嫌いなんだから。


「何、変な顔して」

「ううん。それで?」

「御曹司は今鎌倉に居を構えている。楓も佐殿すけどのの事は知ってるだろ?」

「うん。御曹司のお兄さんだよね」

「そう」


佐殿、と呼ばれるその人こそ、後の征夷大将軍になる源頼朝だ。

『頼朝』はいみなで、通称は『三郎』だけれど、御家人が主を『三郎殿』と呼ぶのは許されない。

代わりに役職や地名に殿を付けるのが普通らしい。

頼朝の役職は『右兵衛権佐』。
そこからとって佐殿と呼ばれている。

鎌倉に着いてから、忠信も例に倣い佐殿と呼んでいるらしい。


「俺がやって来たのは御曹司のというよりは、佐殿の御命なんだ」

「‥‥より、じゃなくて佐殿の?」

「この所妙な風説が流れているから、その事実を確かめよとね」


伊豆からこの地に流れ着いて約一年。

かつて散り散りになっていた源氏の一族や郎党もこの地に集まり、平家に拮抗するほどの武力集団に育っていこうとしている。

今年の初めに平清盛が亡くなるその少し前から、肥後国の菊池高直や尾張国の源行家、美濃国の美濃源氏も平家打倒の院宣のもと決起。

各地の反平家活動はより一層活発化した。


勢い付く源氏の波。


そんな風に急に勢力を拡大したりすれば、当然のように面白くないと思う者もいるのはいつの世も同じと言う訳で。

陰では悪口とか悪評、根拠のない噂なんか横行しているのは、私でも簡単に想像付く。


「‥‥ええとつまり、その佐殿がわざわざ命じてまで確かめる程の風説っていうのは、事実なら大変なことなの?」

「へえ。結構頭は働くんだ?」

「これ以上馬鹿にすると私だって怒るからね」


むっと睨み付けると、「ごめん」と笑いながら謝ってくる。
全く以って謝意がないと思ったけれど、許してあげる事にした。


「それで?結局その風説の真相は分かったの?」

「勿論。報告の文も送ったから、あんたに話せるんだよ」


確かに。
解決していない事柄を、いくら妻でもおいそれと話してはいけないだろう。

忠信の眼が私をじっと捉える。
‥‥‥何だろう?
僅かに躊躇う様な視線に感じるけれど。


「舘の山に戻る途中、俺は平泉を訪ねたんだ。御館に面通りを果たしてきたよ」

「御館‥‥?」


今では懐かしい名だ。


「奥州藤原一族、平清盛の命により佐殿追討の請文を提出したとの風説あり、此の真偽を確かめよ。‥‥‥だから、聞いてきた」

「そっか、追討‥‥‥って!えええっ!?それが本当なら大変じゃない!」


奥州と源氏が全面戦争になれば?
藤原氏の庇護にあった御曹司も、御館の後ろ盾の下に鎌倉入りを果たした忠信や三郎くんも、立場が危うくなる。

それを、何を呑気そうな顔して口にするの、この人は。


 

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