出来るならこのまま胸に飛び込んで、抱き締めて欲しかった。
何処にも行かないからと強く、強く。
そんな私に気付いているのかいないのか、注意事項を告げる小姑と化した忠信が少し憎らしい。
「それから、夜は冷えるから‥‥‥って、聞いてるのか?」
「き、聞いてるよ」
「まったく‥‥‥。あのさ、本当は城から出るなと言いたいのを我慢してるんだ。ちゃんと聞けよ」
「昨夜から何回も聞いたし分かってるって。私、そんなに心配させてる?」
苦笑を滲ませた私に、忠信が深く頷いた。
「‥‥‥あんたが心配じゃない時なんか、滅多に無いよ」
失礼な。普段ならそう返しただろう。
けれど今は感極まって、堅い甲冑の背に腕を回すことで答えた。
ぎゅっと抱きつかなければ泣いてしまうから。
この言葉にどれ程の想いが込められているのか、肌に感じて。
大丈夫。
暫く会えなくても。
忠信も私を思ってくれるから。
「‥‥‥無事を祈ってる」
「俺も」
前方から近付くがちゃがちゃといった金属の合わさる音を聞きながら、眼を瞑り、胸当ての冷たさを頬に感じていた。
「忠信、楓。邪魔してすまぬが、そろそろ良いか?」
少しして基治さんの声が聞こえ、同時に離れる僅かな熱。
「あ、はい。足止めしてごめんなさい」
「気に病むな。老いた足ゆえ丁度休みたいと思うた所だからな。それよりも、後少し二人にさせてやりたかったが‥‥」
「充分です基治さん、三郎くんも皆も‥‥‥ありがとうございます」
本当は一刻も惜しいだろうに、一週間の時間をくれた。
勿論、戦への準備もある。けれど、それだけなら一週間も要しなかった筈。
そしてさっき、馬上で泣きそうになっていた私に気付いてくれていた事も含め、心から感謝を述べた。
「それから、これは今朝に乙和さんから預かったものなんですけど‥‥」
忠信の手を借りて馬を下りた私は、馬の背に括られた荷の中から『それ』を基治さんに差し出した。
「ほう、乙和からのぅ‥‥」
浅黄色の絹に包まれたそれは私の知る釣り竿入れにも見える。
受け取ったときも何だか面白いと思ったけれど。
「杖を忘れてはなりませぬ、って言伝も預かってます」
「‥‥‥そうか、後に使うとしよう。かたじけない」
『杖を突くほど老いておらぬわ』
と返されると思っていただけに予想とは違う返事に少し驚いた。
普段あまり笑わない基治さんが、柔らかに眼を細めていたのも含めて。
基治さんが受け取ったのを見届けてから、忠信がひらりと軽やかに騎乗した。
「───楓、もう行くよ」
視線が重なる。
強く頷けば、頷き返してくれた。
瞬きの後、忠信が馬首を巡らせる。それが出立の合図。
私も道の先を見つめた、その時、今度は三郎くんが私の名を呼んだ。
「楓殿。ひとつ頼みが‥‥」
「分かってる。さくらちゃんの事なら任せて」
「──えっ!?な、何故そうと‥‥っ!?」
「そりゃあ、気付かぬは本人同士のみって事でしょうな」
「なっ、何を申すか平次っ!」
これまで黙って控えていた平次さんが、私を鞍に座らせながら言い放つ。
その言葉に、真っ赤に頬を染めた三郎くんを除く皆が笑った。
そうして晴れやかな顔で馬を走らせる彼らの背中を、平次さんと二人、いつまでも見送った。
乙和さんから預かった杖は、桜の若木。
あの桜の杖が、これから白河の関で基治さんの手から離れるのだ。
「二人がその忠節を全うするなら根付け。そうでなければ枯れよ」
別れ際、佐藤基治が息子達の武功を占い、突き立てた桜の杖。
『庄治戻しの桜』との名で今でも伝えられるその話は、私の知らない所でこれから起こる物語となるけれど。
───あの杖が大木となって、見事な花を咲かせるのは間違いない。
そうなったら、満開の桜の下で花見をしたいと思った。
‥‥‥忠信と、これから産まれる我が子と、一緒に。
その願いに儚さを感じながらも、そう願う。
いつまでも、きっと願い続けるだろうと思った。
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