邸の中に入ると、女房さんが三人とも「お帰りなさいませ」と御曹司の前に集まった。
相変わらずおモテになる人だ、と頬を染める女房さん達を見て思う。

お蔭で私の肩が一瞬だけびくりと震えたのを気付かれる事がなくてほっとした。

それから私は一声かけて自室に戻ると、首筋にじんわり浮いた汗を拭い、普段着の小袖に着替えた。
室内は無人。
忠信は既に広間へ行ったらしい。

政子さんに仕えている時は一応それなりに重ね着をするので、物凄く暑いのだ。
流石に武家なので十二単までは着ないけれど。
こんな真夏に着たら軽く死ねる。



───憐れな。



「言葉通りに受け取っていいのかな。‥‥‥対象が私なのは間違いないと思うんだけど」


何をどう思っての発言か憶測は出来ても、それが正しいと思える位に弁慶さんを知っている訳じゃない。そんなことは知っている。
ただ、そうしてか違和感を覚えて仕方ないだけで。


「まあ、此処で考えても仕方ないか」


幾ら考えたって、所詮予想や憶測でしかないのだから。
気持ちを切り替えようと思っていたら、背後から突然声が掛かって飛び上がった。


「楓殿」

「ひぃっ」


振り返れば、驚きに目を丸くしているお義兄様。


「‥‥‥びっくりした。気配消していた?」

「いえ、特には‥‥‥。驚かせてしまったようですね。申し訳ありません」


唯でさえ罪作りな童顔を、申し訳なさそうにぎゅっと眉根を顰めるとか反則だ。
ああもう、可愛すぎますお義兄様。

逆に焦った私は慌てて言い募った。


「ううん!私がぼけっと考え事していたから、勝手に飛び上がっただけなの。‥‥‥こっちこそ却ってびっくりさせてごめんね」

「考え事とは、如何しましたか?」


まだすまなさそうに顔を上げた三郎くんが首を傾げる。
だからダメだってば!
その角度は反則だって(心の中で)言ったでしょう。


「心配させちゃうようなものじゃないの。大丈夫です」


でも、ありがとう。心配してくれて。

そう続けた私の目線より少し上にある三郎くんの眼が、ふんわり柔らかに緩む。


「大切な義妹を心配出来るのも、私の特権ですから」


天使、降臨。


「───っ!!」

「え?‥‥‥あの、か、楓殿?」


あ、やばい。
胸がきゅんと鳴った。
きゅうんとなりました今!

お義兄様からの優しい言葉を頂いて、あまりの感激に数分は確実に意識が飛んだ。


「三郎兄上。楓、は‥‥‥?‥‥‥何をしているんですか?」

「‥‥‥私に聞かれても‥‥‥」


無言で拳を振り上げガッツポーズのまま置物と化した私を、三郎くんと後から迎えに来てくれた忠信が、しきりに首を傾げながら眺めていたそうだ。








───あれから声を掛けられ、置物状態から我に返った私は、そこに何故か忠信まで居たので驚いた。
一体いつ来たのか。


「源氏の武士って気配を消すのが得意とか?」


真剣に尋ねたら、三郎くんは苦笑していた。その眼が同情気味だったのは何故だろうか。
忠信に至っては、「やっぱり頭でも打っていたか」としきりに頷いている。


「打ってないよ。それより『やっぱり』って何なのよ」

「さっきから変だったから」

「んなっ」


横を歩きながら頭をがしがしと力一杯撫でてくるものだから、視界が縦にシェイクされている。
ビジュアルバンドのライブ状態だ。


「うん‥‥‥大丈夫、瘤にはなってない」


大丈夫って何が。


「だから頭なんて打ってないってば!もう、せっかく梳いたのに!」


見てよ、ぐしゃぐしゃの髪。
それからこの涙目の私を。
恨みがましく睨み上げてやるけれど、敵はそ知らぬ顔で「良かったね」と返した。

いや、全く良くない。


「‥‥‥ふ、くくっ」


そして三郎くん、何故あなたがそこで吹き出すの。







ともあれ、何とか夕餉の席に間に合った。

御曹司は既に座って待っていた。
そんなに待たせたつもりじゃなかったけれど実際は結構時間が経っていたのかも知れない。


「お待たせ致しました」

「おお来たか。まだ皆揃っておらぬ故、適当に寛ぐが良い」


上座の真ん中に御曹司が座り、右隣に弁慶さん。
そして左には武士と言うより文官が似合う、ひょろっとした痩せ型の男の人が座っている。

他は席順なんて決まっていないみたいだ。
思い思いに座っていいらしいので、私達も適当に空いている場所に腰を落とした。


ご飯を乗せた膳は部屋一杯に円を描くような形で並べられていた。

上座から左に七席ほど離れた膳に、上座に近い順で三郎くん、忠信、そして私と並んで腰を落とす。

既に思い思いに話し込んだり笑ったりしている室内は、騒がしいほどだ。

───こんなに賑やかなのは大鳥城以来だ。



私と佐藤兄弟と御曹司と弁慶さん、だけだと思っていたのに。


結局、郎党と呼ばれる人達が全員集結したという。
普段は私達三人だけで使用しているだだっ広い居間が、今では総勢三十人程の人間を飲み込む宴会場さながらの様相を呈していた。
中には忠信のように、奥さんを連れて来ている人もいる。


「あの、いきなり不躾でごめんなさいですがぁ‥‥‥もしかして、四郎様のお嫁様ですかぁ?」


忠信と逆隣に後から座ったのは、女の人っていうより可愛らしい女の子だった。
この場にいる誰かの娘だろう。
若い男の人ばかりの集団だと思ったけれど、年頃の娘を持つ人も居るのか。


「はい、そうですけど」


ああ、またか。

返した声音まで我ながらきつく感じてしまった。
今まで同じ質問をしてきた女達みたいに、てっきり「こんな女が?」という悪意の籠もった意味合いの問い掛けだと思ったのだ。
でも、


「わぁ嬉しい!」


周囲に花が飛んでそうに舞い上がった、と言っても過言でないその声。


「‥‥‥はい?」

「あ、あたし、葵って言います。うちの夫からお話を色々とお伺いしていました!あたし、一度でいいから会いたかったんですああもう幸せっ」

「葵、さん?」

「ぜひ葵って呼んでくださいっ。それか『葵ちゃん』でも可愛いからいいですようっ」

「‥‥‥あ、葵ちゃん、ね。分かった」


若い。若過ぎる。
こんなタイプの子は今まで周りに居なかったので、ちょっと‥‥‥結構かなり引いてしまった。

反対隣りと私達の間に、忠信が係わりたくないと空気の壁を作っている。
ほんの数分前まで様子を窺っている気配を感じていたのに、今は完璧無視だ。
どうやら、彼女は苦手なタイプらしい。


葵ちゃんは、歳は十三、四位に見える。
きらきら輝くぱっちりした眼。
それから桃色に染めた柔らかそうな頬が印情的な、丸顔の女の子だった。

‥‥‥今、『うちの夫』って言ってた?


「お、夫って‥‥‥結婚してるの?」

「はい!弥太郎様はとぉーってもお優しくて、とぉーっても凛々しい旦那様です」


へえ、そうなんだ。良かったね。
旦那さんは弥太郎と言うの‥‥‥って。


「弥太郎さん‥‥‥?」

「弥太郎様を覚えてらっしゃるんですね、葵嬉しいっ。あ、弥太郎様ぁー!こちらですよう!」

「おう、待たせたな」


ふわふわな女の子が手招きした先に居たのは、私の知る弥太郎さん本人で。
こちらもまた蕩けそうな顔で彼女の隣り、つまり私の二つ隣りに座ると、「よ!」と片手を挙げた。


弥太郎さん、源九郎義経の郎党だったんだ。

二ヶ月前は鷹男───もとい源太、つまり梶原景季を探しに来ていたから、てっきり梶原家の親族か家人かと予想していたんだけれどな。


「弥太郎様、遅いっ」


ぷうと頬を膨らませて弥太郎さんの肩をぽかぽかと叩いている彼女は、どう見ても人妻に見えなかった。


「悪ぃ悪ぃ、あっちで色々と立て込んでてな。お前が無事に忠信殿んとこの嫁さんと合流出来て良かったわ」

「今ご挨拶してたところですよう」

「おお、そうかそうか。よっ!二月振りだな、楓ちゃん」

「あ、はい。お久し振りです。‥‥‥弥太郎さんってご結婚されてたんですね。てっきり独身だと思っていました」


『オレを恋しがってくれるだろう?』とか『可愛い娘は忘れられない』とか、簡単に言っちゃうし。
浮気性っぽいなぁと思ったのは当たってたんだ。
源太も、『女と見りゃ見境なく手を出す阿呆の見本』って評価してたから、てっきり遊び人だと思っていた。
まあ、時代的に多妻が認められているし、道理としてはおかしくないのかも。
個人的には是非とも近付きたくないタイプだけれど。

そう結論付けた私を余所に、空気がぴきりと音を立てた。


「えっ?‥‥‥あ、ああうん、ははは、そうだったかなー?」

「‥‥‥あれぇ、冷や汗かいてますよう?また女を口説いて浮気しようとしてたんですかぁ?」


『また』ってことは浮気経験はあるらしい。女の敵だ。

まだ幼さを残す女の子から生々しい言葉が出ると、何というか凄く倒錯的で落ち着かない。
此処だけ異様に寒くなった気がする。
それに‥‥‥どうして今、乙和さんを思い出すんだろう。

助けを求めて右を向いたら、忠信は見知らぬ武士さんと話し込んでいた。
それには後で抗議すると決めて、私は口を開く。


「違うっ!あああ、あれだ!笑わせてやろうって思ったんだよ!ほら楓ちゃん鎌倉に来たばっかで不安そうだったしな!誤解だ、気の所為だ、なっ!?」

「そうなんですかぁ?」

「え!?」


二人揃って私を見る。
特に弥太郎さん、半泣きになっていて可哀相だ。


「そそ、そうだよ。さっきのは変な意味じゃなくて、‥‥‥お世辞?そう、お世辞だよ!ほら、可愛いねとか格好いいねとか思ってなくても言える感じで!ええと‥‥‥私にとっては褒め言葉!」


私まで必死で女の敵を庇ったけれど、言葉に詰まる上に全然説得力がない。


「なぁんだ、そうだったんですか!」


葵ちゃんから殺気が消え、ぱっと笑顔が広がった。


「誤解しちゃってごめんなさい、弥太郎様」

「ははは‥‥‥気にしてないよ、葵」


引き攣りながら「兎も角さ」と弥太郎さんが続けた。


「楓ちゃんが相手してくれて助かったわ。野郎共の中にこいつ一人で置いとくのは不安だったんで、あんたを頼れって言い聞かせてたんだ」

「ああ、それで話しかけてくれたんだ?」

「うふふ。弥太郎様ってば心配性なんだからぁっ」

「はは、そう言うなって。お前にもし何かあったら俺狂っちまう」

「いやぁん!弥太郎様ってばっ!」

「はははっ」


真っ赤になりながら弥太郎さんの胸を拳で叩く葵ちゃんと、だらしなく目尻が下がりきった茶褐色の髪の男。
立派なバカップルぶりを見せつけ‥‥‥って、いやいや。
どごっ!どごっ!と葵ちゃんの拳から重低音が響いているけれど、大丈夫?

弥太郎さん、笑いながら涙目になってます。


 

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