をとつひも昨日も今日も見つれども
明日さへ見まく欲しき君かも
それは、秋の深まった舘山の、紅葉の眩しい大鳥城内での一幕。
「私に室を、ですか‥」
「ええ。あなたの後には四郎も居りますもの。早く孫の顔も見とうございます」
「今や武家同士の結び付きを強くせねばならぬ時代なのだ。家柄も申し分ない」
「それに、あちらの姫君は気立てが良いと聞きますよ」
「‥はぁ」
朝の鍛錬の最中に呼ばれ、野盗の駆逐か客人の接待であるのかと構えた佐藤三郎継信は、如何ともし難い表情を浮かべた。
此処は両親の私室でなく、家人や重臣、更には舘の山に住まう民と面通りを行う広間。
それ故に相当重大事かと思いきや、まさかの縁談話だとは。
知略に優れるとその名は聞き及ぶが面通りした事のない武将の、名すら聞いた事もない末娘の名前を乙和が繰り返す。
だが、それすら興味のない三郎の耳を風の如く通り抜けて行った。
「ですが私は未だ未熟ゆえ、室を迎えるなど‥」
「では聞きましょう、未熟でなくなるのは一体いつなのです?」
「そ、それは‥っ」
「言い逃れはもう聞きませぬ。あなたも佐藤家の一員。当家を背負っていかねばならぬ身だとの覚悟は出来ておりましょう?」
「母上の仰る通りです」
「継信。そなたの清くあらんとする心を尊重したいと思い、今まで何も申さずにいたがの。いつまでも通う娘の一人も作らぬのは如何なものかと家臣も黙っておらぬ」
ううむ、と佐藤家当主である基治が唸る隣で、乙和が花の如き笑みを浮かべたのを見て、三郎の背に嫌な汗が流れた。
母に面差しがよく似ている弟も、時折同じ笑みを浮かべる。
そして、決まってそんな時は何やら企んでいる時であり──。
「もしやと思いますが‥‥どなたか、心に決めた娘でも?」
「‥はぁっ!?」
「まぁあっ!やはり!」
もはや奇声に近い、同時に両手を胸に組んだ乙和のやや芝居がかった上擦り声。
「おお!そうであったか!その娘御の為に女を近付けなかったと申すか」
「ふふ、三郎は殿方の中でも珍しく一途で御座いますのね。母に似て」
「‥‥母上、私にはそのような──」
「ふふふ。御顔は父上にそっくりですけれど、心根の清らかなあたりは、この私。母として嬉しく思います!」
「‥‥母上?」
「なに、その様な事情なら心配無用じゃ。身分など気にするでない!この父が必ずや継信の室にしてみせよう!何処の姫じゃ?それとも町娘か?いや待て、城仕えの女房かも知れぬ」
「あら、女房でしたら楓が一番の器量良しで御座いますわね」
「そうか、楓か!継信も目が高いのぅ」
「は?いえ、父上‥‥お待ちくださいっ!」
勝手に相手を決められ勝手に盛り上がる両親を前に、三郎は顔を顰めつつ頭を抱えた。
「あ、三郎くん!いいとこに来た」
「‥‥楓殿。どうかなされましたか?」
ほうほうの体で一室を後にした三郎を背後から呼び止める。
噂をすれば、偶然は起こると言うもの。
普段は微笑ましく思う娘の声に今だけは気後れするものの、笑みを浮かべ振り返る。
「佐藤三郎継信」と書いて「実直男」と読む、等と陰で揶揄されている彼には、無視など出来ず。
ましてや、娘は三郎にとって楽に話せる唯一の女だ。邪険になど出来る筈はない。
「あのね、四郎が柑子を持ってきてくれたの。日向ぼっこがてら食べようと思って三郎くんを探してた、んだけど‥‥‥」
「楓殿?」
「‥また今度にしようか?」
「いえ、構いませんが‥‥何ゆえに今度、と?」
誘い言葉の途中で途切れ、「また今度にするか」と問う楓に首を傾げると、答えはあっさりと返ってきた。
「だって疲れてるでしょ?」
「‥そう、でしょうか」
「うん。四郎も疲れた時ってそんな顔をするから」
「‥‥‥四郎、ですか?」
「そうだよ。本人は意地でも言わないけどね、今は疲れてるんだなーとかそういうのって態度に出るの。聞いてもむっすりと黙っちゃうけどね」
「四郎が、態度に‥‥?」
「ここの男の人達って大変だね。甘え方も知らないみたいで」
庭を眺めながらあまりにも自然に言葉を紡いだ楓は、三郎の顔を見ていない。
だから、知らなかった。
三郎が目を見開いていた事など。
そうまでして驚いていた理由など。
秋の深まった舘山に、紅葉の眩しい大鳥城での一幕のこと。
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