「綺麗な花ですね」


濃色の花片を撫でている白く細い指を見遣り、青年が一言。


「椿です。何処よりも、この場所に咲く椿が一番綺麗だと思いますわ」


乙和は自分が褒められるよりも嬉しげに答えた。
気味悪がってあまり女房も訪れてくれず、秀衡以外に自慢する相手がいなかったので、共感してもらえたことが嬉しくて。

この場所に咲く椿は他のどの花とも違う。
花の中心は濃く、先端に近づくにつれ色が薄くなっている。
肉厚の花片は一枚一枚が大きく豊かで、ぎゅっと瑞々しさを閉じ込めたかのように張っていた。

ぽとりと落ちるその瞬間まで見事に咲き誇る、椿の花。


「ああ‥‥秀衡殿のお心が理解できます。真に美しい物に手を付けてしまうのは惜しい。手を付けず咲かせたくなるのでしょう。椿も、そして、貴女も」

「‥‥‥私?」

「はい。しかし私は聖人君子でも無い故、秀衡殿と同じ愛で方は出来そうにない」


なにをいいたいの、と乙和が問うより早く。


「貴女はまるで、この椿のようだ」

「──‥‥‥」

「生涯に渡り我が手を掛け、更に咲き誇らせたいと願う」


───瞬間、世界が色を変えた。


「つ、椿は花ごと落ちるのです。武家には縁起の悪いものでございましょう?」

「武士の首を、落ちる椿の花と同一と見做せと?乙和殿、私はそう思わぬのです。ありのままを口にするのが何故いけないのか」


やんわりと細まる真っ黒の目に、驚き朱に染めた乙和の顔が映り、そしてしっかりと視線が合う。
感情を抑えた基治のやや低い声。
その言葉が甘くなるのが分かった瞬間、心が激しく揺れた気がした。

甘く、甘く、落ちてゆく感覚。

同時に、漸く思い出した事がひとつ。


‥‥‥ああ、そうか。この方は。


「もしかして、貴方が‥‥『佐藤』基治様?」


佐藤基治。

佐藤家の嫡子であり、敬愛する従兄秀衡の郎党。
その名を聞いたのはつい先日、父の口からだと。


「はい。私の事を既にお聞き及びとは。お父君が話して下されたのですね」


許婚に決まった青年の名は、彼のものだったらしい。


「ええ、父から伺って‥‥‥って!え?ええっ!?」


思い出した嬉しさと同時、今度は新たな驚きゆえに乙和は動きを止めた。


自分の記憶がとうとうおかしくなったのか。
否、あの日は耳がおかしかったのだろうか。
それとも、父が何か勘違いをしている?


「乙和殿?」


だって、だって、とぐるぐる回る頭。

確かに自分は気の無い風を装いながら、父から話を聞いた。
けれど、聞き間違いはしていなかった筈だ。

だとすると、彼は───。


「あ、あああの基治様!失礼ながら、貴方のお歳は‥‥‥?」

「私ですか?この正月で二十八となりましたが」

「―――二十八っ!?嘘でしょう!?」


あっさりと肯定して下さった基治に対し、悲鳴じみた一言で返してしまった切なさと言ったらない。

ああ、なんてこと───!

十八の乙和よりも歳若いと思っていたのに。

彼が、基治が、まさか、十歳も上だったなんて。

慌てふためく乙和を見て、基治は声を上げて笑い出した。
何が楽しいのか。
こちらは驚愕と礼を失した混乱の狭間で頭が一杯だと言うのに。

むっと押し黙るとようやく気付き、笑いが収まらぬまま基治が口を開いた。


「乙和殿が秀衡殿の仰る通りの方で嬉しい。貴女が居れば日々楽しく、退屈など覚えないでしょう」


―――そんな求婚じみた言葉を漏らされているとも気づかずに、乙和はただ色々と、主に年齢詐称疑惑について、たっぷり一刻は混乱していた。

翌年の春、舘の山に戻った基治の元に、金や玉と平泉の至宝が旅立った。
一年と二ヶ月の遠距離恋愛期間で、通算五十を超える文通を経ての熱愛結婚である。



















「うわぁ‥‥基治さんって気障なんですね‥‥」

「うふふ、素敵でしょう?それから楓、基治さんではなく父上とお呼びなさい」

「あ!はい、ごめんなさい」


何はともあれ、若かりし頃の基治さんは凄い。
乙和さん曰くそれが天然で、褒めようとか口説いてやろうという気なんてさっぱりないのだから、堪らない。
恋に落ちずに居られなかったそうだ。

‥‥‥良かった。忠信に遺伝してなくて。

あの顔で若き日の基治さんタイプだったら、気が気じゃない。
今でも充分女の人に騒がれているのに‥‥‥考えるだけで怖いじゃないの。


「嫁いだ後もなかなか子宝に恵まれず、陰で色々囁かれたりしました。けれど基治様は、ただそなたを愛でているだけで幸せだと、子に乙和を取られてしまうのは惜しいと皆の前で仰って、親族を黙らせて下さいましたの」

「‥‥そ、そりゃあ、そこまで惚気られたら黙るしかないですね」

「うふふ。それというのも、お亡くなりになった先の御方様との間に二人も男子がいらっしゃるから、周りも納得したのでしょう」

「別にお住まいの前信さんと治清さんですよね。年が離れてるしあまりお会い出来ないけど、優しいお兄さんでした」

「ええ。とても優しくて良いお子達で、何度も助けてもらっています」


それから二人のお兄様の話題へと話は脱線してしまった。


まあ兎に角、二人きりの蜜月は数年、に十を足した年数、も続いたそうだ。


やっぱり一番驚いたのは基治さ‥‥義父上の、天然気障っぷりよりも、この夫婦の実年齢だというのが結論だったりする。






水に映るこの花の色のように
 あざやかにあの御方の面影が思い出される
 (小野篁・古今集845)

 

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