水の面にしづく花の色
さやかにも君が御かげのおもほゆるかな
大鳥城の冬が寒いのは、言うまでもなかった。
去年のこの時期も東北の平泉に居たので、今年の寒さもある程度予想できたとは言え、山地ともなればさらに厳しさを増した。
山の中腹に建つ城から見る景色は真っ白。
眼下の家も町も畑も、一面の清い色を初めて眼にしたとき、あまりにも綺麗で言葉を失った。
体のほうは、安定期を迎えて久しい。
誰が見ても妊婦にしか見えない姿になった私は、最近薬師に動くよう言われて日課となった散歩に出ていた。
散歩と言っても、城外を出る事は禁止されたから城の中や庭を歩く程度なんだけれど。
城に詰めてる兵士さんや女房さんとすれ違う度、二言三言立ち話。
今日もきりっとした志津さんに、乙和さんを見ていないかと聞かれて。
それから平次さんの鍛錬を見学に行き、「こんなむさくるしい所によく来る気になるよな」と呆れられて。
一刻半ほどぶらぶらと歩いた後、最近出来たお気に入りの場所へ寄ってから帰ろうと足を向けた。
その場所で乙和さんを見かけたのは、空が茜に染まり始める頃。
「‥‥‥乙和さん、こちらにいらしたんですか?志津さんが探していましたよ」
咲き始めの椿を撫でていた指先の白さと、紅を刷いた様な唇の赤と。
危うく見入る所だった。
「‥‥‥」
「あれ、乙和さん?」
「‥‥‥」
「‥‥‥は、義母上‥」
「はい、何でしょう?」
呼び直せばようやく機嫌をよくしたのか、こちらを向いてにっこりと笑う。
忠信といい、乙和さんといい、親子で同じ反応をしなくてもいいのに。
もう一度志津さんが探していた旨を告げると、「あらまあ大変」と別段大変そうにも見えない笑顔を浮かべた。
途端、周囲がぱあっと華やいで見えたのは、きっと気の所為じゃない。
‥‥‥本当に、なんて綺麗な人なんだろう。
「楓?突然ぼんやりとしてどうしたのかしら?」
「‥‥いえ、早く帰りましょう。私も黙ってここに来たので怒られてしまいます」
「ふふふ、志津にね」
「はい、志津さんに」
互いに顔を見合わせくすくすと笑う。
型に嵌った嫁姑という関係でなく、こうして茶目っ気を出してくれる乙和さんが大好きだった。
この人は一見儚げで、よく知ると決してそうじゃない。
基治さんも、三郎くんや忠信も敵わないくらい聡明なのに、それを誇示せず会話の中にやんわりと包み隠す。
見た目だって、どう頑張っても三十そこそこなのに───本当の歳を聞いた時、卒倒したのを覚えている。
基治さんもそうだけれど、脅威の若さだ。
子供(三郎くん)が生まれるまで随分時間が掛かったのだと聞いた今でも信じられない。
「ここの椿の花、綺麗ですね。この前見かけてから通ってるんです」
「ええ、本当に。平泉で見た椿を思い出して、懐かしさに浸っておりました」
「平泉‥‥?そう言えば、乙和さ、いえ、義母上は、平泉からお嫁に来られたんですよね」
私の言葉に柔らかく頷いて、椿の花を撫でた。
乙和さんの唇の紅、咲き誇る紅。
白く細い指と、真白な雪と。
それがなんだか、とても───。
「まるで、椿みたい‥‥」
「‥‥‥まあ」
乙和さんはとてもとても驚いた様に顔を上げ、私をじっと見つめた。
そして、大輪の花が開くように笑う。
「驚きましたわ。あの方と同じ事を言うんですもの」
「あの方‥‥って、基治さん‥‥っと、義父上も同じ言葉を?想像つかないですけど」
「うふふ。ああ見えて基治様は、とても口説く才能に恵まれておいでなのですよ。どうやら子供達に受け継がれなかったようですけれど」
‥‥‥確かに。
三郎くんが口説き上手なんて考えられない。
忠信もそう。
素直に褒めているのを聞いたら悪い物でも食べたかと心配してしまう。
「基治さん、乙和さんに何て言って口説いたんですか?」
「うふふ、興味があるのね?では、帰りの道すがら話しましょうか」
旦那の両親の馴れ初めを聞く嫁って世間的にはどうなんだろう?
とか少しは思ったけれど、好奇心に勝るものではなく。
何故か嬉々として語りだした乙和さん、否、母上の話に次第に引き込まれていった。
『貴女はまるで、椿の様だ』
───それが、恋の始まり。
寒椿
──基治と乙和──
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