五章 上


〜五章・"文学少年"の報告 上〜


「だからな、マサキと歩いていたら、おっかない顔をしたおじさん達に声をかけられて…これはきっと援助交際の申し込みだと思って、鞄でおじさんの顔を叩いて逃げたんだ…そしたら、おじさん達が、もっと怖い顔で追いかけてくれるから、塀をよじ登って、向く側へ降りようとしたんだ。そしたら、マサキが足を滑らせて、落ちてしまって…」
署内の一室で、パイプ椅子に腰かけた拓人先輩は、両手を膝の前で組み合わせ、体を小さく縮め、真っ赤な顔で、補導されたときの状況を語った。
「まさか、あんな悪徳サラ金業者の取立人みたいな顔をした人たちが刑事さんだったなんで、いくら文学少年の俺でも、想像ができなかったな」
拓人先輩のその言葉に、年配の刑事さんが文句をぼそぼそとつぶやきながら顔を出した。なるほど…確かに声をかけられたら逃げ出したくなるような強面である。
「あんないかがわしい繁華街を、制服を来た子供が歩いていたら、勤務上、声をかけざるを得んだろう。なのに、いきなり鞄を振り回して暴れるなんて」
「…スミマセン」
西手も、この人は一体なんだってそんないかがわしいところを歩いていたんだ。
それに、狩屋はどうなったんだ。
尋ねると、拓人先輩は、さらにうなだれた。
「…マサキ、病院に運ばれて入院してしまったんだ。骨折で、全治一ヶ月だと…」
俺は言葉を失ってしまった。刑事さんが拓人先輩をしかりつける。
「あんたね、保護者に連絡しろって言ったのに、後輩呼んでどうすんの?早く家の人に来ててもらいなさい」
俺もやんわりと言った。
「そのほうがいいと思いますよ、拓人先輩」
すると拓人先輩は、首を激しく横に振った。
「だ、ダメだっ!秋さんに、警察に迎えに来てくださいなんて言えない!」
秋さん?以前松風に居候してもらってるとか言っていたが、松風以外にも居候してもらっている人がいるのか?それに何故両親の名をそこで出さないんだ。しかし、何かわけがあるんだろう。今はあえて詮索するのはやめておこう。
「なら、どうするんですか。このままじゃ帰れませんよ」
「……剣城、こういうときに頼りになる大人の知り合いはいないのか?少年の心を持った考古学者の叔父さんとか」
「いません。いたとしても、そんな叔父さんはなアマゾンあたりで遺跡の発掘でもしていて、日本に戻ってくるのはせいぜい四年に一回ですよ」
「なら叔母さんでもいい。ピアノの先生をしている聖母マリア様のように優しい叔母さんが、親戚に一人くらいはいるはずだ」
拓人先輩が、必死の眼差しで俺を見上げる。
「いません。ああ、デモ、各方面にコネがあって警察に顔の聞く、オケ部で指揮棒を振りながら絵を描いている、腹黒いけれど頼もしい上級生なら、心当たりがありますよ」
こういうと、拓人先輩は、思い切り泣きそうな顔になった。

そんなわけで一時間後。
霧野先輩が警察の人に話をつけてくれ、拓人先輩は無事釈放されたのだった。
「いいか?霧野を呼んだのは剣城であり、俺じゃないからな?これは俺の意思とは無関係に、剣城の判断でしたことだ。見返りを要求するなら、俺ではなく、剣城に言ってくれ」
帰りの車の中で、拓人先輩は霧野先輩に向かって、繰り返し主張した。
「はいはい、なら剣城に脱いでもらおうかな」
お抱え運転手つきのリムジンでやってきた霧野先輩が、すまして言う。
「お断りします」
ッたく…補導されたから迎えに来てくれと半べそで電話してきたのは拓人先輩ではないか。何故俺が脱がなくてはならないんだ。
いや、そもそも霧野先輩が悪ノリし、メモを捏造したり、黒百合の花を送ったりしなければ、拓人先輩もここまで暴走することはなかったはずだ。
霧野先輩は、拓人先輩の屈辱に赤く染まった顔を見て、嬉しそうにニヤけている。
はぁ、俺の周りの人間は、どうしてみな自分勝手なんだ。
「それで?拓人先輩は、狩屋と何をしてたんですか?どうして警察に補導されるようないかがわしい場所を、ふらふらしてたんですか?」
「そ、それは…」
拓人先輩が話しにくそうに、声をうわずらせる。
すると霧野先輩がしたり顔で言った。
「良かったら、これからアトリエに来ないか?神童を悩ませていた幽霊の正体を、俺もぜひ聞きたいな」


その後、おなじみのアトリエに足を踏み入れるなり、拓人先輩は壁に生え困れた本棚のほうへ歩き出し、わざとらしい歓声をあげ、本に熱中する。
誤魔化そうなんて、俺に通用すると思ってるのかこの先輩は。
「誤魔化さないでください、拓人先輩。俺は、そんな話を聞きたいんじゃないんですが」
「う…」
拓人先輩が頬を膨らませ、すねている目で俺を見る。
どうも、俺が幽霊の調査をすっぽかし続けたことを根に持っているようで、自分が苦労して調べたことを、そう簡単に教えたくないと思っているようだ。
しかし霧野先輩に、
「そうだぞ、探偵さん。じらさないで、調査の成果を俺たちに披露してくれよ」
とおだてられ、たちまちその気になったようで、持っていた本を棚に戻すと、胸を反らしてえらそうに言った。
「えへん…仕方ないな、どうしてもと言うなら話してやろう。剣城、お前が部活をサボって女子のと遊んでいる間、俺は密かに、今回の幽霊騒動の調査を続け、その正体を追っていたんだ」
全く"ひそか"ではなかった気がするが…。毎日俺のクラスへやってきて騒いでいたような気がするが…。とりあえず俺は、「はぁ、そうだったんですか」と相槌を打っておいた。
「まず、鬼道有人という名前を生徒名簿で調べ、十一年前に在籍していた生徒だということを突き止めたんだ。さらに調べていくうちに彼が二年生で学校を辞め、海外に留学し、結婚をしたことが判明したんだ。その後、彼は『ストラーダ』という苗字を使った。これが何を意味しているかわかるか?剣城」
「…デモーニオは、鬼道有人の血縁関係者だったんですね」
とっくに知っていることだったため、感慨もなくつぶやく。逆に拓人先輩は声のトーンを上げた。
「そうなんだ!デモーニオの兄は、デモーニオが幼い時に亡くなっていたんだ。兄の鬼道さんが、弟であるデモーニオに取り憑いていたんだ!」
…拓人先輩、幽霊なんていない、これは何かの陰謀だって息巻いてませんでしたか?主張が百八十度転換していることに呆れる俺に、拓人先輩はそのまま話を続けた。
「これはきっと鬼道さんに心残りがあるに違いないと、俺は想像の翼を広げたんだ。そこで、鬼道さんについて、より踏み込んで調べ始めたんだ。そうして、さる筋から、鬼道さんの実家の鬼道家で働いており、鬼道さんを幼い頃から良く知っている家政夫さんが、コスプレパブを経営しているという情報を得て、会いに行ったんだ」
さる筋って―霧野先輩が目の前にいるのに、良く堂々と言えるな。それに、また家政夫?デモーニオの家にも、源田さんという家政夫がいたが、鬼道さんにも同じ立場の奴がいたのか。
けれど、それもこれも、コスプレパブの一言で吹き飛んだ。
「コスプレパブ!?よくそんなところへ行きましたね?」
つーかそいつ、その後どんな経過を得てそんな人生を選んだんだよっ!
「俺だって、少し怖かったんだぞ。店がある通りも、真面目な少年一人で歩けるような場所ではないし。おまけに昼間はやってないから、夜に行くしかなかったし…」
拓人先輩が、恨めしそうに俺を見る。
剣城がいたら行ってもらったんだが…とでも思っているのだろうな。俺だって、この年でなんて絶対に拒否させてもらう。そんな趣味は全く持ち合わせていないしな。
「けど、マサキが、『それなら俺がお供します』って言ってくれたんだ」
拓人先輩が、ぱっと顔を輝かせる。
「マサキって、すっっっっごくイイ子だな?俺が『剣城って非道いんだぞ』って図書室で愚痴ったら、『はい、わかります』って力一杯頷いてくれて、剣城の悪口で、すっかり意気投合したんだ」
非道いのはどっちなんだ…。後輩の悪口で盛り上がったり意気投合したりしないでほしい。俺は本気で文芸部を辞めようかと思ってしまった。
ともあれ、狩屋と仲良しこよしになった拓人先輩は、二人で出かけたという。
「なんで制服で行ったんですか?」
そんな場所を制服で歩いていたら、刑事にも目をつけられて当然だ。
「よそのお宅を訪問するときは、制服って決まってるんだ。これは生徒手帳にも書いてある常識だぞ、剣城」
そういうものなのか…。
「それに私服で行ったら、本当にお客さんみたいじゃないか」
「制服姿で、コスプレした店員と間違われるよりマシだと思いますが」
「どうしてわかったんだ?そうなんだ、『きみ、新しい子?なんて名前?ぼくのテーブルについてくれないかな?』って、頭に猫耳をつけたヘンなおじさんに話しかけられたんだ」
霧野先輩が、ぷっと吹き出す。
拓人先輩は霧野先輩を軽く睨み、ツンと顔をそらして、また話しはじめた。
「とにかく、そんな苦労をしながら、俺たちはも元家政夫さんに、鬼道さんの話を聞くことができたんだ」
「よかったな。鬼道有人の心残りが何なのか、わかったか?」
「ああ。鬼道さんには、幼少時代に将来を誓い合った少年がいたんだ」
ドキリとした。
黒い耐熱机に腰かけ、月の光を浴びて微笑んでいた鬼道さんの姿が、浮かび上がる。

――あいつの話をしてやろう。

――あいつは、誰よりも俺の近くにいた。俺の片割れで、俺の"半分"だ。

その少年って、もしかすると…。
「そいつは明王と言って、鬼道さんの家に、子供の頃から一緒に住んでいたそうだ。鬼道さんの父さんが、仕事で外国へ行ったときに、連れて来たそうだ。そいつは孤児で、ひどい場所で働かされていたらしいんだ。それを見かねた鬼道さんの父さんが保護し、自分の家に引き取ったんだ。
明王と言う名前は日本に来てから、鬼道さんがつけたんだと。
年は全く同じ歳で、二人は実の兄弟のように仲良く育った。家の中でも、外でも、いつも寄り添い、数字を使った暗号で、交換日記をしていたらしいんだ。使用人がその数字の意味を尋ねても、鬼道さんは『俺と明王だけの秘密だ』って、笑いながら答えたそうだ」

――それは、俺とあいつだけの秘密だ。

中庭で聞いた"鬼道さん"の甘い声が、耳の奥でこだまする。
あの数字は、鬼道さんと幼馴染の少年の間で使われていた秘密の言葉だったのか!
だが、それなら何故デモーニオは、それを知っていたんだ?
俺は拓人先輩の言うように、デモーニオに兄の霊が憑いているとは思えない。
たとえ鬼道さんでいるときの記憶が、デモーニオにないとしても、鬼道さんとデモーニオが同一人物である以上、鬼道さんの口から出た言葉は、デモーニオの中に情報として蓄えられていた言葉のはずだ。
とすると、いつどこで、デモーニオは、明王のことや暗号のことを知ったんだ?
兄が生きているときに、聞いたのだろうか?
「二人の運命が大きく変わったのは、二人が小学五年生のときだ。鬼道さんの父が、急な病気で亡くなられたんだ。鬼道さんの母も他界されており、鬼道さんを守ってくれる家族は一人もいなくなってしまったんだ。未成年の鬼道さんには、財産を管理する後見人が必要だった。そこで鬼道さんの知り合いが、後見人として屋敷にやってきたんだ」
どこかで聞いたことある話に、胸にもやもやした思いが込み上げる。
保護者を失った少年。
後見人として、屋敷へやってきた男。
それって、デモーニオと同じじゃないか。
どういうことだ?深く結びついた兄と思うとは、運命まで似てしまうものなのか?
鬼道さんの後身人は、影山零治という名前だった。彼は暴君として屋敷に君臨し、鬼道さんの唯一の見方であった明王を地下の部屋に追いやり、徹底的にいたぶり、屋敷から追い出そうとしたらしい。鬼道さんはそれを阻止するため、ハンスト起こしたのだ。
『俺は明王が作ったもの以外、一口だって食べない。明王がこの家からいなくなれば、俺は餓死してしまう。そうなれば、総帥だって困りますよね?』
当時、明王が厨房で、料理の手伝いをしていた。また、父が生きていた頃から、鬼道さんは明王に甘えては、料理を作らせ、嬉しそうに食べていたという。
それでなければ食べないと、大人達に向かって凛然と言い放ち、その言葉通り、明王が調理し運んでくる以外のものを、一切拒んだ。
どんなに腹が減り、空腹のあまり倒れても、他の人が持ってくる食事は頑として口に入れなかった。
『明王が作ったものしか食べない。明王はどこにいるんだ?明王を呼べ。俺の食事を、明王に運ばせろ』
ベッドの上でシーツをかきむしり、朦朧としながら明王を呼ぶ鬼道さんに、叔父達も折れざるを得なかったのだろう。明王は、使用人として鬼道さんの屋敷にいられることになった。
「二人の中のよさは、見ていて不安になるほどたったと聞いた。しかし、中学生になると鬼道さんは後に結婚する婚約者と知り合ったそうだ。最初は歳のこともあり、友人のように付き合っていたらしいが、成長するにつれ、お互い愛するようになっていったらしい。
きっと明王は、鬼道さんがだんだん遠い人になってゆくような気がして、寂しかったじゃないかと思うな」
明王の気持ちを想像したのか、拓人先輩が哀しそうに目を伏せる。
「鬼道さんがその人と結婚したのは、中学二年生のときだ。学校を辞めて外国へ飛び、そこで挙式をあげたらしい」
明王は、鬼道さんが他の人と結婚することに耐えられなかったのだろう。
結婚式の前夜、屋敷を出てゆき、行方不明になってしまったという。
鬼道さんは半狂乱になり、明王の行方を捜させた。
けれど明王は見つからず、鬼道さんは病気でふせってしまい、命も危うくなってしまったらしい。

――あいつは、俺に腹を立てて、いなくなってしまったんだ。俺たち、二度と会えなくなってしまった。

哀しそうに目を伏せて、つぶやいた鬼道さん。それほど彼を想っていたのに、何故彼は、別の人と結婚したんだ。それとも明王への気持ちは、恋人としての愛情ではなく、家族への親愛だったのだろうか。
「鬼道さんは、失踪した明王のことを忘れていなかったんだろうな。よく実家に帰ってきて、昔の思い出にひたっていたそうだ。もしかすると今が幸せな分だけ、明王に対してすまないと思っていたのかもしれないな…」
拓人先輩の言葉に、俺は胸を突かれた。
今が穏やかで平和だと感じるとき、俺が白竜に対して抱く、あの心臓焦げ付くような切なさと、もの苦しさを、鬼道さんも感じていたんだろうか。
そんな鬼道さんのもとへ、明王が外国で亡くなったという手紙が届いたのか、彼が亡くなる直前だった。
「病と闘っていた鬼道さんにとって、明王の死の知らせは、生きる気力をすっかり奪ってしまうほどの衝撃だったんだろうな。それから一週間もたたないうちに息をひきとったそうだ」
しんみりした空気が、夜のアトリエに流れる。
拓人先輩も霧野先輩も、目を伏せ物憂げな表情で、床や壁を見つめている。
鬼道さんが既にこの世にいない人間であることを、俺も改めて実感していた。
鬼道さんが取り戻したいと願っていた時は、幼馴染の少年と過ごした幼少時代だったのだろうか…。
そのとき、拓人先輩が顔を上げ、急に声のトーンをあげた。
「それでな、俺わかったんだ。幽霊の正体は、離ればなれになった明王を恋い慕う鬼道さんの魂が、弟のデモーニオに乗り移ったのもだって」
俺はガクッとした。シリアスな眼差しで壁のほうを見ていた霧野先輩も、拓人先輩の浮かれように、ぽかんとする。
拓人先輩は握りこぶしを作り、妄想全開で語った。
「デモーニオに乗り移った鬼道さんは、明王の面影を探し、いろんな男と付き合っていたんだ。そうして夜な夜な校内に出没しては、明王へのラブレターを文芸部のポストに投函していたんだ。そう、これは時空を超えた壮大なラブロマンスなんだ」
…反応に困る。
話がいっきに怪談からファンタジーに飛躍したため、俺は弱ってしまった。
デモーニオ・ストラーダの背景も、彼が抱えている悩みも、拓人先輩が想像しているよりも深刻で複雑だ。けど、それが何であるのか―どうして、デモーニオ・ストラーダは兄の鬼道さんに変わってしまうのか、俺も真実を知っているわけではないし、そもそも口を挟むタイミングが見つからない。
「だからな、剣城。鬼道さんの迷える魂を供養するために、鬼道さんと明王を主人公にしたハッピーエンドラブストーリーを書いて、鬼道さんの墓に供えてあげたらいいと思うんだ。任せたぞ、剣城」
「って俺が書くんですか!?ふざけないでくださいよ」
わめく俺に、拓人先輩は両手を腰に当て、ふくれっつらをしてみせた。
「当然だ。部活をずっとサボった罰だ。俺がココまで調べ上げたんだから、剣城も少しくらい協力してくれてもいいと思うぞ」
それから急に頬を崩し、春の花畑のようにほのぼのした顔で笑った。
「うんと甘い話を書いて、鬼道さんを天国へ戻してあげろよ。そしたら、俺もこれまでのことは、全部水に流してやろう」
「はぁ……」
霧野先輩が、我慢できないと言うように吹き出す。
「なにがおかしいんだ、霧野」
「ククッ、いや、なんでもない。幽霊が成仏してくれるといいな」
拓人先輩は、ベーッと舌を出し、俺の腕を引っ張りアトリエを後にした。
念願の「ベー」をしてもらえた霧野先輩は、大変満足そうだった。


「なあ、剣城。部活をサボっている間、本当に女子とデートしてたのか?」
ホールの外に出るなり、拓人先輩が心配そうな上目遣いで尋ねる。
「違いますよ。松風と会ってたんです」
「天馬と!?」拓人先輩が、俺からぱっと手をはなし、目を丸くする。
「学校の近くで偶然再会して、それで意気投合して…」
くそ、苦しい。
けれど拓人先輩は俺の言葉を疑うより、別のことが気になるようで、口を餌を強請る魚のようにパクパクさせた。
「そ、そうだったのか!?あのその…天馬、剣城に変なこと言ってないよな!」
「朝飯に絵本をうんちく垂れながら食べてるとかですか?」
「そ、そそそれはいいんだ…そうじゃなくてその…」
拓人先輩は月明かりでもわかるほど真っ赤になり、「なにも聞いてないならいいんだ」と、もごもごつぶやき、先に歩いていってしまった。
ひょっとすると、あのことか?俺が拓人先輩の作家だと…。俺の頬も、じわりと熱くなる。だが、そのことは胸にしまっておき、俺は拓人先輩の後を追いかけた。
「さっきの話ですが、ラブストーリーなんて書けませんからね」
「けちだな、剣城。そうだ。参考にお勧めのハーレクインロマンスを、貸してやろう」
「結構です。前に借りた本、胸焼けがしたんで」
「あのなぁ、女子の気持ちがわからないと、バレンタインに本命チョコをもらえないぞ」
「いりません。そういうあんたは貰ったことあるんですか?」
「……」
「ないんですね」
「う、うるさいっ!」
なんて普段と同じ会話をしながら、夜道を進んでゆく。曲がり角で拓人先輩が立ち止まる。
「じゃあ、俺はこっちの道だから」
「送りましょうか?」
「平気だ。そこまで俺は弱い人間じゃないからな」からりと笑って見せた直後「あっ、剣城…」突然、俺のシャツの裾をつかみ、弱気に首を傾けた。
「明日、マサキの見舞いに…付き合ってくれるか?」



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