瑠香


 朝起きてみればいつもどおりの日常が……とはいかなかった。昨日の哀子ちゃんの姿が脳裏に浮かんで消えてくれない。哀子ちゃんはあんな風に澱んだ瞳をする子じゃなくて私を……助け………。




「っ、違う!」




 哀子ちゃんは、…哀子、ちゃんは―――。……何で今頃、貴方が現れるの…。私はもうあの頃のことを思い出したくなかったのに。もう過去を振り返るのはやめようと思ったのに。


……私が今までうじうじしないでいられたのは当事者がめのまえにいなかったからだとでもいうの…?




「……………。哀子ちゃん、あの後、どうしていたんだろう」




 芽埜ちゃんのお父さんは色々あって精神を病んだと言っていた。その色々に自分が関わっているとなったら?私は、どうすればいいんだろう。謝ればいいのだろうか。それとも彼女からもっと離れればいいのだろうか。何を思っても、意味はない。




「哀子ちゃんのおうち、行ってみようかな……」




 恭弥さんを巻き込むわけにはいかないから、ひとりで行くしかない。もう逃げてはいられないんだろうから、真っ直ぐ向き合うしかないんだ。
 服を着替えて哀子ちゃんのおうちに行くために家を出る。その時、カバンに入れていた携帯がブブブ…と震えてメールの着信を伝える。誰だろうと携帯を取り出せば、それは誰からでもない非通知のものだった。またあのいたずらか、と思いながらもメールを開けばそこにはわけのわからない歯抜けの文面だけが残されていた。


〈な*ての無限の中核で冒涜の言辞を吐き**して沸きかえる、最下の混沌の最後の無定形の暗影にほか***すなわち時を超越した想像も**ばぬ無明の房室で、下劣な**のくぐもった狂おしき*打と、*われた***トのかぼ*き単調な音色の只中、餓えて齧りつづけ*は、敢えてその名を口にした者とて居らぬ、〉


 よくわからない文章だというのに何故かぞわりとした恐怖が体を舐めたかのように寒気が走った。携帯をカバンの奥底にしまい込みグッと歯を噛み締めて足を一歩踏み出す。どうしてこんなにも都合よくメールが鳴るのかわからない。どうして昨日からこうも妙なことが続くのか。誰が一体、こんなことをしているの………。




「………え?」




 歩いて歩いて、哀子ちゃんのおうちがもうすぐそこ、というところまで来た。けどザワザワとする近隣住民らしい人の声と、空高く上がる黒い煙に呆然と立ち尽くす。何度も遊びに行った哀子ちゃんのおうち。優しい両親に哀子ちゃんの笑顔。沢山の愛情が詰まった優しい家だった。それなのに、




「……うそ…」




 今はただ赤い炎に包まれ、黒い煙を上げ、燃え盛っているだけだった。ザワザワとする喧騒の中から聞こえてきた「ご両親は仕事でいなかったらしいわ」「娘さんは入院中とかで……」という声に安心するも、彼女の帰る家がなくなったということにショックが隠しきれない。どうして哀子ちゃんはこんな目に遭うの?私が、…私があの日、手を振り払ったから?だから哀子ちゃんは、こんなに、不幸に……なる、の?




「ねえ」

「さ、触らない…っ、」

「君が僕の手を振り払えると思ってるのかい?」

「え……?あっ」




 肩に置かれた手。衝動的に振り払おうとしたらその腕を掴まれて、拘束される。ぐっと近づいてきた顔に冷えていた体がカッと熱くなる。そ、そんな、一瞬にして近づいて来るなんて…!!




「きょ、恭弥さ……近いっ…です…!」

「くす。顔、赤すぎ。
 草壁から火事って話を聞いて来てみたんだけど、どうして君がいるんだか。まあもうすぐ火も消えそうだし、そろそろ行くよ」

「………そう、ですね。行きましょうか」




 哀子ちゃんのおうちが燃えている。……否、燃えてしまった。今はもうあの家には何もない。もう、何もなくなってしまったのだ。私との思い出も、全部―――。




「哀子ちゃんは私のお友達でした。小学生の頃、私は苛められていて、自分に対する言葉の暴力すらどうにもできない弱虫でした。今はもう名前を聞いただけで恐れられるんですから、おかしいものですね」

「………」

「哀子ちゃんはそんな私を助けてくれたお友達でした。でもある日聞いてしまったんです。哀子ちゃんが私と仲良くしようとする理由を……。地味な私をそばに置いておけば、自分が目立つから。私を助ければ助けるほど先生からいい目で見られるから。


 ………結局私は利用されていただけでした。だから私はあの子を拒絶した。間違って、いますか?私は、」

「………君が間違っていると思うことを正さずにいられない人間だということは知ってる」

「!………う、…うう……。わかって、ました…!哀子ちゃんがっ…仕方なくそういったことを…!哀子ちゃんだって……勝てない相手がいることを…!でもっ………でも、嘘でも、聞きたくなかった」




 聞きたくなかったのよ、哀子ちゃん……。




「………君はどうしたいの」

「…ぇ…?」

「ここでうじうじ泣いてるだけなら子供にでもできる」

「………」

「あの頃の君は浦野哀子とどうしたかったの。今の君は浦野哀子とどうなりたいの」




 あの頃の私、は。


「こら――!!集団で女の子いじめるなんてサイッテイ!!なにしてんのよ!!」

「な、なんだよお前っ」

「なんでもいいでしょ!あっち行ってくれる!?」

「なんだようっせーな…。もういい、いこーぜ」

「あぁ」

「………まったく。女子1人を囲むのにあんなに人数いる!?



大丈夫?満樹さん。私、浦野哀子。……あの、ね?私、ずっと貴方と友達になりたかったんだけど……」



 助けてくれて、声をかけてくれた、あの子が眩しくて。いつもいつも私を助けてくれるあの子が大好きで。


「………哀子ちゃんさぁ、満樹さんといるのって、自分を際立たせるためだよねぇ?」

「え…?」

「最近の哀子ちゃん可愛いし!満樹と一緒にいるようになってからもっと輝くようになったっていうか」

「そ、れは」

「は?なに?違うわけ?」

「…、……。ち、がわない…かな?る、瑠香ちゃんが…じ、地味…だからっ!利用してやってる、だけ、だよ…?」



 大好きだったからただひとり裏切られた気持ちになって、哀子ちゃんの苦しみも考えることなく……。


「ちょっと男子!瑠香ちゃんのこと苛めないでよね!」

「浦野が来たぁー!!」

「逃げろぉー!!」

「大丈夫?瑠香ちゃ、 ぱしん! え??」

「も、いいです…!」

「どう、したの?」

「どうせっ、友達だなんて思ってないくせに!!!」

「!!!」



 哀子ちゃんを拒絶して彼女を傷つけた。そんな自分勝手な私でも哀子ちゃんは私を助けてくれて、友達でいてくれた。こんなひどい私でも………。私にはもったいないくらいの友達、だった。




「私は……哀子ちゃんと、ずっと仲良くしていたかった……。今は、哀子、ちゃんと………」

「………」














「仲良くできるなら、また仲良くしたい……っ」














「………なら行くよ」




 え……?ぐいと腕を引かれて恭弥さんに連れられるがまま歩き出す。向かう先はよくわからない。けれど恭弥さんの足は迷うことなく進み続けて私をどこかへ連れて行こうとする。




「恭弥さん、どこに……」

「須戸診療所=v

「!!」

「いるんでしょ、そこに」

「………はい」




 覚悟を決めて一歩踏み出す。向かう先は診療所。踏みしめる度に心臓の音がバクバクと早くなる。哀子ちゃんと会えたとして何を話せばいいのだろう。たった2年ちょっとの間会わなかっただけなのに、昔何を話していたかも忘れてしまったみたい。哀子ちゃんと会ってきちんと謝れたらいいな…。そしてまた、昔みたいに笑いあえたら―――……。




「哀子ちゃんと会えたら、」

「うん」

「まずは謝りたいです」




 緊張して手は震えるし、口の中は乾いていく。でも確実に1つだけやりたいことは見えた。哀子ちゃんの元に行って、きちんと謝りたい。




「謝って許してもらえるかはわからないけど、謝って許してもらえたのなら……恭弥さんのこと紹介しますね!」




 哀子ちゃんは私にお友達が出来ないことを昔から気にしていたから、恭弥さんみたいに素敵な人が恋人だって教えたらきっとびっくりするだろうなぁ……。いびつながらもへらりと笑みを浮かべれば恭弥さんの手が私の頭の上に置かれる。ぐしゃりと撫でられて、そのぬくもりに、また泣きたくなって。


 ねえ恭弥さん。貴方がいたから私は今、過去と向き合おうと思えたの。ありがとう、って何回言っても足りないくらい貴方には感謝してるの。




かしこくなんて生きれなくていい




「………大好きです、恭弥さん」




 これからどんなことがあっても私は後悔しない。後悔したって終わったことは元に戻らないのだから―――。





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