翌日。朝起きてみれば、昨夜何もなかったかのように平和な朝を迎えた。恐る恐ると電源を入れた携帯は、パカパカと点滅する。携帯のランプが示しているのはメールのようで、中を見てみれば獄寺からのメールが1件入っていた。内容は〈明日、謎の音について調べてみるからお前も来い〉といったようなもので、時間も書かれていた。午前10時と書かれている時間まで後30分しかない。ぼんやりする頭で内容を理解して、ベッドを出た芽埜は身支度を整えると家を出るため玄関に向かう。母、朝芽がにこやかに送り出してくれる中玄関を振り返れば、ふと気づく。父親の靴がないことに。もう出かけたのだろうか。それとも仕事が終わりイタリアに帰ったのだろうか。どちらにせよ、父はもう家にいない。




「いってらっしゃーい」

「いってきまーす!
 って、………あれ?隼人くん?」

「…よお」

「い、いつからいたの?!」

「いつからでもいいだろ。んなことより、早く行くぞ。時間が惜しいしな」

「(どうでもよくないんだけど……)調べるって…何から調べるの?」

「昨日の夜来た電話についてだ。お前も噂くらい知ってんじゃねえのか?」

「噂……………。えと、なんの?」

「はぁ!?1年くらい前から噂になってる噂だってのに知らねえのかよ!」
 
「ええっ?そんなに?」

「あのなぁ…」




 呆れたように息を吐く獄寺の視線は冷たい。うっと息をつまらせた芽埜は申し訳なさげに眉を下げて笑うと獄寺に対し、その先を促した。知らないものは仕方がない。教えてもらおうという寸法だ。




「1年くらい前から奇妙な噂が流れてんだよ。〈街中に奇妙な音色が響き渡る。その音色を耳にしたものは狂って死んでしまう〉ってな。今日はそれについて知らべんだよ」

「ふうん。で?どうやって調べるの?」

「どうやって、って……。そ、そんなもん適当に聞き込みしてまわれば…」

「無理だと思うよ。並盛の人って基本のほほんとしてるから……」

「(並盛の人間……?ん?そう言われっと……野球バカも芝生も笹川もハルも、全員天然ボケかましてきやがる人間ばっかじゃ……)」

「そういう話なら専門家に聞いたほうがいいんじゃないかな」

「専門家?……死んじまうってんなら警察とかか?」




 獄寺の言う警察に聞くというもの手だが自分たちの年齢を省みれば素直に話してくれるとは思い難い。かといえそれ以外でその手のものに詳しそうな専門家はいないのでは?と頭をひねらせる。とりあえず謎の音を聞く原因となったトンネルへと行ってみるかと
 芽埜の家から暫く歩きながら悶々と考え込んでいるととある市民病院の前を通りかかった。獄寺はこんなところに病院があったのかとその病院を見つめる。一方の芽埜はその病院を見ると少し寂しそうな顔を見せた。




「………んだよ。変な顔してんじゃねーぞ」

「!
 ひ、ひどい!変な顔って言った!!?」

「お前が辛気臭い顔してっとこっちまで辛気臭くなんだろーが。昨日の電話にも出やがらねえし……」

「え……?あっ!(しまった!着信履歴見てないっ…)」

「お前は何があっても笑っ… 「おや?」 …あ?」

「芽埜ちゃん、だったかな。間違ってたらごめんよ」

「え………?」




 ふりむけば黒髪より白髪の方が多い医者が白衣を髪に靡かせ、ひとりたっていた。淵が茶色いメガネをかけている優しそうな医者は芽埜に目線を合わせると「こんにちは」と笑いかけた。その人物は芽埜にとって忘れられないあの日出会った医者だ。




「ごっ後藤先生!?」

「あはは。よかった、合ってたね。あの時はこんなに小さかったからちょっと自信無かったんだけど」

「な、なんていうか……しばらく会わない内に…」

「言わないでくれたら嬉しいな。これでもちょっと気にしててね。……君のお父さんとあんまり年齢変わらないのにどうしてこう違うかな…」

「あ、あはは…」




 優しく柔らかい表情で話しかけてくる後藤は、芽埜の祖父紀本水人の死を見届けた医者だった。芽埜にとって懐かしい出会いに驚く。同時に後藤が予想以上に老け込んでいたことにもっと驚いた。祖父が死んだ頃はまだ黒髪だったのに…と。後藤はあまりつっこんでほしくなさそうだが。

 〈市立並盛総合病院〉。少し町外れに位置しているこの病院の立地はあまりいいとは言えない。若いふたりがこの時間に歩いて訪れるにしてはおかしな場所だ。やはり疑問に思うのは当然らしい。後藤は首を傾げそのことについて芽埜に聞いてきた。




「それで?こんな辺鄙な場所、デートで来る場所じゃないと思うけど今日はどうしたんだい?」

「えと……その、最近耳鳴りがしてて……。それについて調べよーかな、って」

「耳、なり……」




 その話を聞いた途端後藤の表情がこわばり考え込むように顎に手を当てて、固まる。そうやって暫く悶々と考え込んでいたかと思えば後藤は目線を再び芽埜に合わせた。




「芽埜ちゃん…と、その彼氏くん。ちょっと中で話そうか。今は診なきゃいけない患者もいないから、時間に余裕はあるんだ」

「え…?でも、」

「………音の事件について、知りたいんだろう?あれについては僕ら医者も色々手を焼いてるんだ」

「「!」」

「君のお爺ちゃんを助けてあげられなかった代わり…と言うと聞こえが悪いだろうけど、協力させてほしいんだ」




 そう言う後藤に断る気すら起きなかった芽埜たちは後藤に案内されるがまま、彼が使っている個室となっている診察室へと通された。診察室である為飲み物などが出せなくて申し訳なさそうだが、今は飲み物より欲しい情報がある。音の噂について、早く聴きたい。その思いが表情に出ていたのだろう。後藤は苦笑するとポツリポツリと語り始める。




「最初はね、少しだけだったんだよ。それも抑えが聞く程度の症状。でも段々とおかしくなっていってね」

「最初ってのはいつだ」

「1年くらい前かな。うちの病院にも精神科があって……あ、ほら。ここの窓から見えるあの病棟が精神科の病棟だよ。あの病棟に例の音の噂で入院してきた患者が来たのは11ヵ月前くらいかな。でも実際噂が流れ始めたのは1年くらい前で、この町で初めて症状が確認されたのはその頃だよ。実際、1年前くらいから耳鳴りを訴えて精神に異常をきたす人が多くなってるからね」

「そ、それでその人たち、どうなったんですか?」

「………僕は精神科の人間じゃないから詳しいことはよくわからないけど〈自殺〉してるみたいだね。ここ1年くらい自殺者の数も増加傾向にあるから」

「「!」」

「〈街中に奇妙な音色が響き渡る。その音色を耳にしたものは狂って死んでしまう〉―――なんて、なんとも的確な噂じゃあないか」




 1年程前から鳴り響く奇妙な音色。耳鳴りを訴え精神に異常をきたしたものたちは死に至る。噂は耳鳴りに伴い自殺者が増加していることから流れ始めたもので、被害者は老若男女問わず出ている。どのような経緯を経て彼らが耳鳴りが聞こえるようになっているかはわからない。どれだけの治療を施そうが消えることのない耳鳴りはやがて精神さえも犯し始める。ほかの人間には聞こえていない耳鳴りは幻聴ではないかとすらまことしやかに医者の間では語られていた。




「最近は都市開発による環境の問題も出ているだろう?他にも各種電波と脳の影響ではないか、なんて言う人もいてね。終いには〈呪い〉じゃないか、なんて馬鹿らしい事さえも噂されているらしい」

「の、呪いだぁ!?(……呪いといやあ…………―――そうか)」

「う、うそー!?(ん…、でも呪いといえば………んんんんん!!なんか思い出しそうだったんだけどなっ!!)」

「まあ、詳細は全然わかってないわけだけども……」

「そ、うですか…。あ〜あ…結局よく分からず終いかあ……」

「あまり役に立てなかったみたいだね…ごめんよ」

「あ、いえ!全然!お話ありがとうございました!」




 後藤の話が今後にどうつながるかはわからない。まずつながっているのかさえもわからない。それでも話が聞けたのは重畳だ。情報は1つ手に入ったのだから。
 話が終わり後藤にお礼を言ってあとは帰れば良かった。しかし芽埜は帰ろうともせず、丸椅子の淵を手で掴んで上半身を後ろに傾けていた。静かな診察室にギイ…という古びた丸椅子の音が響く。




「ん――…でもホント変なんです。耳鳴りについてとめ方を教えてあげる、って連絡が来て言われた日時に並盛トンネルに行ったら女の子がひとりいるだけで…その子も様子がおかしかったし…」

「(並盛トンネル……?)」

「しかもなんでかトンネルの向こうからお父さんが来て……。帰ってくるなんて連絡、受けてなかったのに。急にどうしたんだろ…。後藤先生、何か聞いてます?」

「はは…。確かに水人さんの件以来僕と彼は友人のように仲良くさせてもらってるけど、詳しくは聞いてないよ。ただ帰ってきているのは知っていたかな」

「…そうですか。…はぁ…お父さん、仕事って言ってたけど何してたんだろ…」

「………。よくはわからないけど、並盛トンネルの向こうにはあまり行かないほうがいいよ」

「「?」」

「昔ね、事件があったんだ。僕も詳しいことは知らないけど並盛トンネルの向こうにある電波塔からたくさんの飛び降り自殺が起きてね。それは今では〈集団自殺事件〉なんて呼ばれてるかな」

「集団自殺、事件……」

「詳しいことは知らないんだけどね。その時は興味のなかったことだし」




 後藤が困ったように笑って後頭部を掻けば、芽埜はブンブンと頭を振ってそれを否定する。詳しいことは分からずとも調べればいい。今は父、東眞が何を調べているのかのきっかけが掴めたのだからそれでいい。
 その時診察室のドアがノックされてナースが顔をのぞかせる。患者さんが…と遠慮がちに言うナースに「もう話は終わったから」と返事をした後藤。芽埜たちは手荷物をまとめるとお礼を言って診察室を出る。静かな病院の待合室。患者は少ないのだろうか。ぽつりぽつりと2、3人の人間がいるだけで広い待合室は閑散としていた。




「………隼人くん、お昼から図書館に行きたいんだけど…」

「おう。その前に行くとこあっからついて来い」

「え?どこ行くの?」

「音葉のとこだ。あの女なら呪いだのなんだのいうのには精通してんだろ」

「!
 あっ……そっか!さっきなんか思い出しかけたけど……それかあ。鈴音ちゃん、おうちにいるかな」

「いるんじゃねーのか」

「連絡しといたほうがいいよね。メール入れとくよ」

「ああ」




 カバンから携帯を取り出してメールを打とうと、メール画面を開く。〈今から話があって会いたいんだけど、時間はある?〉と打たれた画面に絵文字でデコレーションを施して、あとは送信するだけ。ピッとおされた送信ボタンにより画面が送信中…というものに代わり、しばらくすれば送信しましたというメッセージが表示されるだろう。メールを遅れたことにより、あとは携帯をカバンにしまうだけだった。


 しかし、そうもいかないのが、今目の前に迫っている現実。電話は、刻一刻と、自分の日常を侵し始めているのだから。


〜〜♪〜〜♪


 芽埜の携帯には電話が、獄寺の携帯にはメールが来る。非通知で着たそれは昨夜の続きだろう。出なければ、見なければ、電話は鳴り響くのみだ。鳴り響いて鳴り響いて、止まりはしない。顔を真っ青にした芽埜は恐る恐ると着信ボタンへと指を伸ばす。ピッ…と微かに音がして、携帯を耳にあてれば電話の向こうからは声が響く。




《あー…あーあー…あーうーあー…うあー…………》

「な……に、?」

《あ、うー……あ――……………あああああぁああぁぁぁああぁぁあぁあああぁぁあ!!!




 それは言葉にならない音声だっただろう。男の声。電話の向こうから響いてくる声に芽埜の手は、足は、体は、口元は…体すべてが震えるものの、電話を耳元から話すことはできない。恐怖で体が動かないのか。頭の中が声で支配されていく。最後に響いた絶叫はとてつもない苦しみを伝えてきたかもしれない。けれど彼女には最早、それを理解するだけの理解力は残されていない。

 ただ、ただ、頭の中を、響く声と蠢く恐怖だけが、支配していたのだから。




「……あ?んだ、こりゃ。動画……?」




 一方の獄寺にはメールが届いていた。何らかの動画が添付されており、その動画を開けば動画はガタガタとは揺れていて焦点が定まっておらず、携帯のスピーカーからは人の悲鳴と奇妙な鳥の鳴き声が響いていた。ゆらゆらと揺れる画面の端々にはチラチラと見たこともないバケモノのような姿が写りこんでいて、漏れてくる人の絶叫はそれに対してのものだと理解するだろう。


グシャッ


 人の悲鳴。悲痛の声。辛苦の声。激痛にまともな声も発することなく悲鳴の主はすぐ絶えただろう。画面に飛び散る赤い血液は悲鳴の主のものだろう。最後の最後まで響いていた奇妙な鳥の鳴き声は暫くすれば遠ざかる。ブツリとそこで終わった動画はどこで撮られたものなのか。夜の闇の中撮られていたらしいそれの背景を、彼はよくよく見ることなく、携帯の電源ボタンを押した。

 ……震える指先で。




答えなんてきっとない




「あ……、う…」

「芽埜、」

「ど…して、……芽埜たち、なんかしたのかなあ…!」

「っ、くそ」




 小さな体を抱きしめれば震えが伝わる。最早どちらが震えているのかもわからない。携帯に届いたそれらはどうやら自分たちを嘲笑っているようで―――。




ルルルル……ルルルル…


「ひっ…また!」

「……いや、よく見ろ」

「う、え?………あ。鈴音、ちゃ…。も、もしもし」

《コールをしたら3秒以内に出ろ。呪うぞ》

「ひっ!!ロッ、ローラシアさん!?」

《話があるんだろう。聞いてやると音葉鈴音は言っていた。迎えに行ってやる、今どこだ》

「あ……えと、並盛総合病院前、で…お願いします」





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