第3話

ルシス王国王都インソムニア―





午前の訓練を終えたグラディオラスは、昼食を取るためイグニスと共に城を出た。城内の食堂を利用することも出来るけれど、イグニス曰く『口に合わない』そうなので、二人で昼の時間を過ごすときは決まって外だった。
イグニスは強い太陽の光に一瞬目を瞑り、暑いなと呟いて右手で目元に影を作った。

「暑いなら食堂ですませりゃいいじゃねえか」
「お世辞にも美味いとは言えない…彩りも悪いし、どことなく犬の餌を思わせる」
「犬の餌とか言うなよ…!オレは嫌いじゃねえけどな」

仕切られた一枚の皿に、数種類のおかずと主食をレードルで雑に盛り付けた食堂のメニューがイグニスは嫌いだった。
栄養のバランスは考えられているようだが、食事は見た目も重要だと考えているからだ。

「グラディオ、今日は何を食べたい?」
「すげえ腹減ってるからなあ、ガツンとしたものがいいな」
「お前はだいたいいつも腹を減らしているし食いたい物もそれだな」
「あれだけ身体を動かしゃあ腹も減るさ。カツ丼が食いてえな」
「あまり重いものを食べると午後が辛くないか?」
「今日は午後休みだからな、問題ねえよ」

街を見渡しながらグラディオが言った。
一軒の丼ものやを見つけ親指で指して、ここはどうだとイグニスに目で尋ねる。二人で暖簾をくぐり、一番奥のカウンター席に並んで腰を下ろした。

「お前は午後休みか、いいものだな。何をする予定なんだ?」
「デートだ」
「……へえ、今日は誰とだろうな」

メニュー表を眺めながらそう言うと、人聞きの悪いことを言うなとグラディオラスがぼやいた。

「それじゃあまるでオレが女をとっかえひっかえしてるみたいじゃねえか」
「してるだろ?」
「してねえって、取り替えてないんだから。順番にデートするだけだろ?」
「………どういう理屈だ…決まったか?」
「ああ、オレカツ丼な」

軽くため息をついたイグニスは右手を上げて店員を呼びつけ、天丼とカツ丼を注文した。

「今何人と付き合ってるんだ?」
「4人…かな」
「グラディオ、いつか刺されるぞ?」
「オレはちゃんと全員を平等に扱ってるから不平不満は出てないぜ?」
「あったとしても口に出せない女性だっていると思うが」

不真面目な気持ちで複数の女と交際しているわけではないと言う事はイグニスにも分かるが、そもそも一人に絞らずにいること自体褒められたものではない。
イグニスからしてみれば、それこそ面倒なだけではないだろうかと思うところだけれど、見かけによらずマメな男なのだろう。

「決めるってなると…慎重にいかないとな」
「家の事か?」
「ああ…王の盾を担う家柄ってのもまあ色々大変なんだ。お袋を見ててそう思ったよ」
「…なにせ盾…だからな。夫と、そして子供が進む道はおのずと険しいものになるだろう」

グラディオラスが熱いほうじ茶を一口飲んだとき、頼んでいたふたつの料理が目の前に置かれた。
割り箸を割り、いただきますと声に出してから口にかき込んで行く。

「そういえば、あの人はどうしてる?最近見かけないが」
「あの人…誰だ?」
「王都警備隊に入ったばかりの頃、女性の先輩がいただろう。彼女と付き合っているんじゃないのか?」
「ああ、ラークスか。あの人は二年前から特殊諜報員としてニフルハイムに入ってる」
「…ニフルハイム?連絡は取れているのか?」
「いや、全く。向こうではスマートフォン使えねえし、手紙も出せないからな。定期的に任務報告は入るらしいが、帝国のどこでどんな仕事をしているのか、オレは教えては貰えない」

頬が膨らむほど口に詰め込んだ米を味噌汁で流し込み、いつ戻ってくるのかも分からないと言う。

「とても真面目そうな女性だったと記憶してるが?」
「ああ、バカが付くほど真面目な女だ。シャレや冗談も通じなくてな。まあそこが面白いっちゃ面白かったんだが」
「…しかし二年か…忘れられているんじゃないか?」

冗談めかしてそう言うと、それは絶対にないとグラディオラスは言い返す。

「ラークスは世話好きで面倒見のいい女でよ、なによりオレの事が大好きなんだよ」
「……お前よく自分で言えるな……その自信はどこから湧いてくる?」
「女には二つのタイプがいてよ、すぐに愛想尽かしていなくなるのと、怒ってはいても結局許してくれる方…ラークスは後者だ」
「グラディオ…お前は一度痛い目見た方がいいぞ。女性を軽く見てる」
「見てねえって!大事にしてるよ」

心外だとでも言いたげな表情でイグニスを睨んだ。

「帝国にも男はたくさんいるだろう。今頃別のボーイフレンドでも見つけているかもしれないな」
「だからそれはねえって。彼女は地味だし遊び人タイプじゃない」
「お前と違って?」
「そう、オレと違って…何言わせるんだよ!…とにかく、毎日オレを思い出して早く帰りたい寂しいって思ってるんだって!」
「…呆れて何も言えない…」

頭を軽く振ってため息をついた。
ただでさえ単独で帝国への潜入など心細く不安な日々を過ごしているだろうに、母国の恋人がこの調子なのだからラークスには同情を禁じ得ない。

いつか天罰が下るぞと小さく呟き、丼に残った最後の米粒を口に入れた。









その頃、ラークスは帝都グラレアの自宅で昼食の準備をしていた。
細かく切った鶏肉とタマネギをフライパンで炒め、冷えたご飯を加えてさらに炒めていく。

そんなラークスの様子をどこか楽しそうな顔でリビングのソファから眺めるているのはアーデンだった。

「ねえラークス、何作ってるの?」
「オムライスです」
「早く作ってー」

間延びした調子でそう言うアーデンを睨み、遊んでいるなら手伝えと大きな声で言った。

「オレ今イズニアの相手してるのに」
「二人分の食事の用意なんて普段しないから大変なの。サラダ作るくらいできるでしょ?」

料理なんてしたことないと言いながら立ち上がり、昨夜アーデンが拾った子猫のイズニアを肩に乗せてのろのろとキッチンへやってきた。

「で、オレは何をすればいいの?」
「テーブルの上のレタスをちぎって、トマトを切って茹で卵を剥いてくし型に切るの。それをサラダボウルに入れるだけ。簡単でしょ?」
「はいはい」
「宰相、ちゃんと手を洗ってから」
「…はいはい」

結局昨夜は濡れたコートとベストが乾かずに、アーデンはラークスの家で一夜を明かした。二人とも今日が休みだったため、昼近くまで眠り起きたのはつい一時間ほど前だった。
ニフルハイムへ来てから自宅へ他人を入れたのは初めての事で、ましてや男を泊めるなどそれまでのラークスなら考えられない事だった。

自分とは調子の全く異なるアーデンによって、少しずつ頑なな心の檻が壊されつつあることをラークスはまだ気づかないでいた。

「サラダ出来ました?」

二つの皿にオムライスを乗せたラークスがそれをテーブルに置いてアーデンの隣に立った。
出来上がったサラダを見て、まあまあかなと言う。

「まあまあなの?上出来だろ?」
「盛り付けまで頑張ってほしかったなーって」
「でもさ、腹に入っちゃえば同じだろ?」
「……男ってみんな同じような事言うのね」
「…え?」

ラークスはスプーンとフォークを並べ、椅子に腰を下ろすと自分のオムライスにケチャップで絵を描き始めた。
それを眺めながら、アーデンはぼそぼそとラークスに言う。

「ねえ、男がみんな同じって、ちょっと聞き捨てならないんだけど」
「あの人も同じ事言ってた。私がどんなにきれいに作っても、そういう所全然見ないの。食べるときぐちゃぐちゃーってしちゃうし」
「あの人って、ペンダントの写真の彼?」
「そう」

ケチャップを受け取ったアーデンは、自分のぶんも何か描いてくれとラークスに押し付けた。

「…何を描けばいいの?」
「ハートマークとか描いたりするんじゃないの?」
「………ハートマークね…」

ラークスはアーデンのオムライスにケチャップで大きなハートマークを描いた。満足そうな顔をしている宰相の顔をちらりと見てから、そこにギザギザと縦に亀裂を入れていく。

「あー、ちょっと!なんでそういう事するの」

抗議の声を上げケチャップを取り上げて、こうすれば大丈夫だと言って真っ赤に塗りつぶしていく。
ポジティブねと呟いてラークスが笑った。

「オレは物事を前向きにとらえるタイプでね。だからきっとラークスに、男は色々いるもんだっていうのを分かってもらえるって信じてる」
「………あったかいうちに食べよう」

スプーンで一口分すくい、柔らかい卵に包まれたチキンライスを口に入れた。もう少し濃い味にすれば良かったかとラークスは思った。
アーデンは自分で作ったサラダにドレッシングをかけ、真っ赤なトマトにフォークを突き刺して目の前の部下の顔を見た。
もうじき母国の恋人に会えるかもしれないと言うのに、その顔はどことなく浮かない表情に見えるのは何故なのだろう。

「どんな男なの?ラークスの彼って」
「…うーん…すごく熱い人。身体も声も大きくて、いつも全力で…しかもアウトドアが大好きでね」
「はー、オレと逆だな。オレ外苦手だもん」
「……あと、ガールフレンドがたくさんいる人。私はそのうちの一人…かな。もしかしたら、カウントさえされてないかもね」
「…え?なにそれ」

トマトを口に入れてフォークをテーブルに置いた。イズニアがテーブルに飛び乗って来たので、だめだよと言って小さな身体を掴み床に下ろす。

「二股…ってこと?」
「ううん、私がここへ来る直前には他に4人いた」
「……それってホントに恋人なの…?」
「うーん…そう思ってるのは私だけかもしれないけどね。それでも好きだったの」
「過去形?」
「…好きよ、今でも…うん、好き」

自分に言い聞かせるようにそう言って、早く食べてくださいとアーデンを軽く睨む。

「オレが女ならそんな奴すぐ捨てるけどねぇ」
「そうね、普通は。でもなんていうか……もう選んでもらえるとは思ってないんだと思う。それでも、これまで好きだったって言う気持ちが突然消えたりはしないのよ」
「ホントに君って不器用だなあ。もったいない」

てっきりもっと前向きな恋愛をしているのかとアーデンは思っていた。
大勢いるうちの一人に置かれてもなお、大事そうにペンダントに写真を入れておくほどの男なのだろうか。
スプーンでオムライスを大きく切り取って頬張ると、どう?とラークスが尋ねた。

「んん、うまい」
「…本当?」
「ほんとだって。オレあんまり飯の味に興味ないんだけど、このオムライスは美味い。ラークスがあんまり外食しない理由が分かったかもね」
「分かったって?」
「金かけて外で食う飯より自分で作った方が美味いなら外食はしないよ」
「…あ…ありがとう…」

かつて何度もグラディオラスに手料理を振舞ったけれど、喜んだのは最初の数回だけで、回数が重なるにつれ感想もお礼も言わなくなってきた。
当たり前だと思われていたようだけれど、当時はそれでも嬉しかったものだった。

「ところでさ、ラークスは向こうに家族っているの?」
「いない。孤児だったからね」
「……んー、そっか……」
「どうして?」
「ルシスに帰った時に、身元引受人っていうか、保証人?みたいな人が必要になるんじゃないかなあって。多分、その彼氏じゃだめだと思うんだ」
「…身元を保証する人?そんなのどうして」
「君、あっちの戸籍が抹消されてるよ」
「……え?」

思わずスプーンをテーブルに落とした。初めて聞かされる話に、ラークスは半分ほど口を開けたままアーデンを見た。

「…何言ってるの?どうして…そう思うのよ?」
「ラークスがオレの秘書として入ってきたときにね、すぐに素性を調べさせてもらったんだけど…これがなかなか出てこないんだよ。そりゃあそうだよね、元の戸籍が消されてるんだから」
「……聞いてない…そんな話…」
「戸籍をたどられるとすぐに身元が割れるからね。君に話してなかったってのは酷い話だけど…ラークスにこんな話するのもなんだけどさ、スパイってのは使い捨てにされることが多いんだ。万が一バレても、交渉のカードとしては使わない。君が孤児だって聞いて、納得がいったけど」
「………………」
「大丈夫、ラークスがあっちに戻る時に問題が起きた時はオレが間に入るよ。シラを切って引き取りを拒否されても、オレは君がルシス人だっていう証拠を持ってるから。潜り込ませたスパイを返してやるだけでも寛容な対処なんだから、文句は言えないはずだ」

アーデンの言葉がとぎれとぎれにしか聞こえてこなかった。
いつか帰れると思っていた母国が、ラークスの帰りを待っていないのだ。こちらから報告を入れるたびに、もっともらしく励ましの言葉をかけてくれていた上官の顔が頭に浮かび思わず眉間に皺が寄る。

スプーンが止まってしまったラークスに、食べようよと今度はアーデンが声をかけた。
少しだけ頷き、一度水を口にする。

「…私…本当はもう帰るところがないのかな…」
「……それは、帰ってみればわかるよ」
「帰って…私なんて知らないって言われたら…もしあの人にそんな事言われたら」
「オレがもらうよ」
「…え?」
「いらないならオレがもらうからいいだろ」
「…捨て猫みたいね…」

軽く鼻で笑ってそう言った。リビングで遊んでるイズニアに視線を向け溜息をつく。
これまで国のためにと不安にも寂しさにも耐えてなんとかやってきたけれど、その母国はラークスを体のいい道具としか扱ってはいなかった。
アーデンに素性が知れた時には口を割らずに死のうとまでしたというのに。
見返りなど一つも求めてはいないけれど、戸籍抹消は忠誠を裏切られたも同然だった。

「帰らなければいいのに」
「……それでも私はルシス人だもの…」

ルシスに帰る場所がなかったとしても、ニフルハイムに居場所があるわけではない。所詮自分はここでは異国人なのだから。
俯いていると、アーデンはラークスのオムライスをひとさじすくってその口元に差し出した。

「はいアーン」
「………」

一瞬だけたじろいで、仕方なく口を開いた。大人しくオムライスを食べるラークスの様子を見てにっこりと笑ったアーデンは、一度立ち上がりリビングに干してあるコートの内ポケットを探った。白い封筒を手にして戻ってくると、それをラークスの前に置く。

「…これ…このあいだデスクに入ってた封筒…」
「そ、ラークスに渡そうと思ってたんだよね。開けてみて」

そう言われ、封のしていない口を開くと中には二枚のチケットのような紙が入っていた。

「…オペラ…?」
「ああ、オレの部下…政府役人の娘がオペラ歌手なんだ。来てくれってチケットもらったから、ラークスと一緒に行きたいなーって」
「……オペラなんて全然知らないけど」
「だからさ、これまでしなかった事経験しなよ。ずーっと真面目にやってきたんだから、気分転換しようよ」
「それは……仕事?」
「んー、まあそう思ってくれてもいいけど。君さ、意外と出不精だろ?誰かに引っ張り出されないと外に出そうもないよね。見識を広げてこれからの仕事に役立てましょうってことで。どう?」

うーんと唸って、そう言う事ならと首を縦に振った。
アーデンの言った通り、ラークスは積極的に外へ足を運ぶタイプではない。グラディオラスと出会って生まれて初めてキャンプを経験したくらいだ。
けれど結局それすらあまり好きにはなれなかった。つまらない女だと思われていたのだろうと今になって感じる。

「そのオペラ、公演日はいつなんですか?」
「えっと……明後日だね。仕事ちょっとだけ早めに終わらせて準備して行こう」
「準備って?」
「キャリア官僚がいっぱい来るような場所だよ?普段のくたびれたスーツじゃだめでしょ」
「……くたびれてない!」
「あはは!まあとにかく、多少はドレスアップしないとね」

ろくなドレスなど持っていないがルシスにいた時同僚の結婚式に出席した際に買った物で大丈夫だろう。
取りあえずまだ着られるかどうか袖を通してみる必要があるとラークスは思った。

「ところでそのチケット…いつからあの引き出しに入れていたの?」
「ん、ちょっと前からだよ。取りあえずラークスがオレのデスク探りそうな気配があったから、そいつだけ残してまだ君には見られたくない書類は抜いておいた」
「……はー…もうずっと前からバレていたんですね…」
「だからそんなに落ち込まなくていいって。はい、ごちそうさま」

米粒ひとつ残さずに食べてくれた事が何よりも嬉しかった。こういう喜びを味わうのは実に二年ぶりだ。
アーデンは空になった皿を手に取り流しへ持って行くと、袖をまくりそれをスポンジで洗い始めた。僅かな時間呆然とそれを見つめて慌てて立ち上がる。
さすがに政治的立場のトップに当たる人間にそこまでさせるわけにはいかない。

「宰相…!私がやるから座っててください!」
「いいよ、ごちそうになったお礼。ラークスの食器も持ってきて」
「…で、でも…」
「食後のコーヒーでも淹れててよ。コーヒーは君が出してくれた方が美味しいから」
「…わ…分かった…」

コーヒー豆をミルに入れてがりがりと挽きながら、アーデンの背中を見る。鼻歌を歌いながら皿を洗うこんな宰相の姿を見る機会など二度とないだろう。
少しだけ笑い、聞き覚えのあるそのメロディーを一緒に口ずさみながら漂ってくるかぐわしい香りに目を細めた。








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