第1話

ニフルハイム帝国は長きにわたり他国を制圧し領土を広げ続ける強国だった。そのためには手段を選ばず、絶大な軍事力の前に多くの国々が白旗を上げ属領となっていった。
唯一のクリスタルを所有するルシス王国でさえ、魔法障壁で守られている王都インソムニアを除く領土はほぼ制圧された状態だった。

そのような強大な軍事国家の政治を取り仕切る男の執務室で秘書を務める一人の女がいた。

ラークス・ディラシエラ

二年前から宰相であるアーデン・イズニアに仕え、元来の知性の高さから重宝され常にその傍らで手腕を振るってきた。
しかしラークスの正体は、ルシス王国の特殊諜報員、いわゆるエージェントである。スパイとしてニフルハイムに潜入し、その不穏な動きに対し常に目を光らせてきた。


アーデンが会議に出てから二時間、窓から差し込む暖かな光にまどろみ、ラークスは書類整理に追われる手を止めうとうととした。
かくんと頭が傾き、ハッと顔を上げる。

「…いけない…あの宰相がいつ戻ってくるか分からないんだから…」

そう呟いて自分の両頬をぱちんと軽く叩く。
居眠りをしているところを見られでもしたら、またどんな風にからかわれるか分かったものではない。
アーデンは宰相にふさわしく頭の切れる男だけれど、その実掴み所が無く飄々とし、何を考えているのか分かりにくい。
常に口元に笑みを張り付け、一見物腰は柔らかだが時折その発言は相手に有無を言わせない強い圧力を感じる。正直、ラークスはこの男が苦手だった。

はあと軽くため息をつき、ジャケットの内ポケットからラウンド型のロケットペンダントを取り出した。
蓋を開けると、ラークスの恋人が人懐っこい笑顔で微笑んでいる。

「…もう二年だよグラディオ…」

グラディオラスはラークスが王都警備隊隊員時代の後輩であり、また恋人でもある。けれどそれは、彼の数多くいるガールフレンドのうちの一人というだけのことだった。
配属が変わり、ラークスがニフルハイムへ送り込まれて以来連絡ひとつ取っていないのが現状だ。
きっとその間、彼を取り巻く女性たちもころころと入れ替わり、ひょっとしたら自分など顔すら忘れられているのではないかと考えていた。

この任務がいつまで続くのかもわからないまま、あっという間に二年が過ぎた。さして情勢に大きな動きのないまま、毎日いけ好かない宰相の隣で変わり映えのしない日々を送る事にもいい加減嫌気がさしてきた。
ペンダントをポケットにしまい、うんと大きく伸びをして小さく呟いた。

「あーあ、そろそろ帰りたい…」
「まだ昼過ぎたばっかりだよラークス」
「!!」

いつの間に戻ってきていたのか、アーデンは開いたドアに身体をもたれかけなにやら楽しげにラークスを見ている。
慌てて背筋を伸ばし、少しだけずれたメガネを真っ直ぐにかけ直した。

「…さ、宰相…戻ってきていらしたんですね…」
「うん。20秒くらい前にね」

そう言いながら帽子を脱ぎ、それをフックタイプのコートハンガーに向けて放り投げた。しかしそれは大きく外れ床に落ち、緩やかな弧を描いてラークスの座る椅子の足元まで転がって行った。

「あらら…ごめん拾っておいて。あとついでにコーヒーお願いね」
「…かしこまりました」

毎回投げては外すのだから、いい加減自分の手でかけたらよいのにとラークスは大きくため息をついて帽子を拾い上げる。
給湯室で湯を沸かしながら、近頃会議に出席する回数が減ったとラークスは思った。極めて重要な事例に関する話し合いの場には、政府首脳部の中でも限られた人間しか会議に出席することは許されておらず、当然各自秘書などを同行することはできない。
裏で何か大きな事が動き出している可能性も捨てきれず、それがルシスに関わるものならばどんな些細な事でも本国へ報告しなければならない。

隙を見て、アーデンの鍵のかかったデスクを探る必要がある。

そう思った時、突然耳のすぐ側で声がした。

「ラークスのメガネって、度は入ってないの?」
「きゃあ!」

驚いて手に持っていたコーヒーカップを落としてしまった。ラークスの足元で甲高い音を立てて割れ四方に散らばる。
反射的にその破片を拾おうと手を伸ばすと、鋭い痛みが右手の親指に走った。

「…っ痛…!」
「切った?」

アーデンはラークスの前にしゃがみその右手を掴むと、赤い血の滴る指をまじまじと見てからそこを口の中に含んだ。
一度強く吸い、ちゅうと音を立てながら取り出してもう一度見る。

「……宰相…」
「ダメだよ、こういうのは素手で触っちゃ。ちゃんとほうきと塵取り使わないとさ」
「宰相が急に耳元で声出すからですよ…」

抗議するように不機嫌な視線を向けると、血が止まらないなと小さな声で呟きラークスの腕を引いて執務室まで戻った。
書棚を覗き込み、視線を左右に動かす。

「あれ、この辺に救急箱なかったっけ」
「救急箱はさっきいた給湯室の食器棚の一番下です」
「……早く言ってよそれ」

来た道を戻ろうとするアーデンに、自分でやるからいいですとラークスは言った。その言葉を無視して再び給湯室に行き、目的のものを探し出すとそこから絆創膏を一枚取り出す。

「はい、手ぇ出して」
「宰相のお手を煩わせるわけにはいきませんから」

そう言ってアーデンの手から絆創膏を奪い、フィルムをはがしてくるりと指に巻き付けた。しかし利き手ではない左手で着けたものだから、創傷面から外れたうえに両端のテープが歪んだまま接着してしまった。

「……あれ…」
「だから言っただろう?そっちの手じゃやりにくいんだからさ。ほら貸して」
「……す、すみません…」
「ラークスってさぁ、頭いい割にそそっかしいっていうか…不器用な所あるよね。得意分野とそうじゃない所の差が激しいっていうかさ」

大きな手でラークスの親指に絆創膏を付けながら言う。

いつだったか、後輩として入って来たばかりのグラディオラスが傷を作ったラークスの手当てをしながら同じようなことを言っていた。
文句を言い返すと、そんな所が可愛いのだと生意気なことを付け加えてさらに怒ったものだった。
懐かしい思い出が頭をよぎった時、これで大丈夫だとアーデンが言う。

「ありがとうございます…」
「どういたしまして」

アーデンがデスクに戻ると、ほうきと塵取りを手にしてコーヒーカップの残骸の後始末をする。

今頃グラディオラスは何をしているのだろう。二年前よりもさらに身体が大きくなったかもしれない。腕が太くなるたびに自慢して、新しい傷が出来てはなぜか嬉しそうにしていた。
熱血漢で優しくて、気が多い男だった。

じゃらじゃらと音を立てて欠片をゴミ箱に捨て、コーヒーを所望した宰相のためにドリッパーへ湯を注ぐ。
立ち昇る白い湯気の向こうに視線を向けると、アーデンがコートの内側から茶封筒を取り出した。中からA4サイズの紙を数枚取り出ししばらく眺め、それを鍵のかかった引き出しへとしまった。

アーデンは普段、書類の類は無造作にデスクの上に積み重ねておく。鍵のかかった引き出しに入れるのは秘書にさえ見せる事の許されていないものだけなのだ。
これまで数回、ラークスはアーデンの留守の間にその秘密の場所を開け、大切に保管されている情報を盗み見たがいずれもルシスに関わるものはこの二年の間一度もなかった。
それでもここ最近急激に増えた会議の回数や政府要人が集まる頻度を考えると、楽観視できない事態であることは確かだった。

今日中に、あの書類を確かめなければ。
ラークスは琥珀色のコーヒーを注いだカップをトレーに乗せアーデンの元まで運んだ。

「どうぞ」
「ん、サンキュー」

アーデンは目の前に置かれたコーヒーに口を付ける。
この男は今日何時になったら帰るのだろう。そんな事を考えながら給湯室へ行こうとした時、アーデンに呼び止められた。

「ねえラークス、今度飯でも食いに行こうよ」
「……それは、仕事ですか?」
「いや、ラークスともっと仲良くなりたいなあって。コミュニケーションってやつ?」
「…宰相はお忙しい方なんですから、少しでも時間があるのでしたらお身体を休めてください」
「またそれ?この二年間ずっそればっかじゃない」

呆れ顔で背を向けるラークスに、アーデンはつまらなさそうにそう言う。

「…私みたいな地味な女じゃなくて、もっと一緒にいて楽しめる女性とお食事された方が有意義だと思いますよ」
「誰といて楽しいかはオレが決めるよ。それとも、彼氏いたりする?」
「………いいえ…」

無表情で手元のパソコンを打ち始めたラークスに、だったらいいじゃないかと宰相は言う。これまで何度か食事に誘われたことはあったが、ラークスはいずれも辞退し続けてきた。
この男が苦手だと言う事以外に、帝国の人間と慣れ合う気などさらさらなかったからだ。自分はいずれルシス王国へと帰る。
パーソナルな部分に取り入った所で頭の切れるこの宰相から情報を引き出せるなどと考えてはいなかったし、ましてや女を使って任務を遂行するなどガラじゃない。

感情に左右されやすい女はエージェントに向かないと誰かが言っているのを聞いた。
完全にそれを否定することができないからこそ、ラークスはニフルハイムへ潜入して以来他人との関わりを最低限に保ってきたのだ。

目立たないよう、化粧も最低限に服装も極めて地味に。
母国への想いを分厚いガラスメガネに隠し、グラディオラスに会えない寂しさを嘆くのは夜寝る前だけと心に決めていた。
つまらない女を装ってきたおかげで、ここ二年間浮いた話の一つもなく仕事に集中することができた。

しかしメンタルが鋼のようなアーデンは、時折こうしてラークスを食事に誘っては袖にされる状況を長い事続けている。
物好きな男なのだとラークスは思っていた。

伏せていた顔を少しだけ上げてその特異な男を見ると、壁の時計に視線を向けてから残ったコーヒーを煽り立ち上がった。

「ん…ラークス、オレちょっと出かけるわ。今日はそのまま戻らないからさ、君も適当な時間で帰っていいからね」
「…はい、分かりました」

アーデンが帽子とコートを手にして出ていく姿を見送り、チャンス到来とばかりに彼が今まで座っていた場所へ視線を向ける。
けれど今すぐには動かない。出て行ったばかりの人間は、時々忘れ物を取りに突然戻ってくることがあるからだ。
この宰相は特にそう言ったことが多く、鍵のかかった引き出しを盗み見るときには最低でも一時間は開ける事にしていた。

「…あー…眠い…」

アーデンのデスクの上に置きっぱなしのコーヒーカップを手に取り給湯室へ向かう。もう一度湯を沸かし、今度は自分のために濃い目のコーヒーを入れた。
それを持って窓辺に立ち、眼下に広がる景色を見た。似たような巨大ビルが立ち並ぶ、どこか無機質なこの街をどうしても好きになることは出来なかった。

先の見えない今の仕事に漠然とした不安を抱えながら日々を過ごす事にそろそろ嫌気がさしてきた。
何を成し遂げれば国に帰れるのか、それとも成果を上げずにいたら任を解いてもらえるのか。

ラークスは大きなあくびを一つして、コーヒーをテーブルに置いてソファに座り少しだけ身体を横にした。

「30分だけ寝よう…」

そう小さく呟いて、メガネをかけたまま静かに目を閉じた。





それから3時間ほどが過ぎた頃、ラークスは目を開け勢いよく身体を起こした。疲れが取れすっきりとした頭の状態から、確実に寝すぎたのだとすぐに分かった。

「…やばい…早く済ませなきゃ…」

立ち上がり、部屋のドアを開けて周囲を見回す。人影がないのを確認してからそのままアーデンのデスクまで行き、前髪を留めていたヘアピンを外しそれをまっすぐに伸ばした。
先端の形を歪ませてから、そっと引き出しの鍵穴に差し込む。デスク上の書類を整理するフリしながら、指先だけの感覚を頼りに探っていく。
10秒ほどで手ごたえを感じたところでかちりと音がした。

ごくりと喉を鳴らし、静かに引き出しを開ける。

「…え?何これ…」

そこに入っていたのは白い封筒がたった一つだけ。アーデンが先ほどしまった茶封筒がどこにも見当たらない。

「嘘でしょ…?確かにここに入れてたはずなのに…」

困惑しながらその小ぶりな封筒を手に取り裏返すと、宛名部分に『ラークス・ディラシエラ様』と明記されていた。
何これ、ともう一度呟いた時―。

「あーあ、見つかっちゃった。隠しておいたのに」
「!!!」

びくりと肩を揺らして声の方に視線を向けると、ソファの向こう側にアーデンが立っていた。つい先ほど起きた時には、確かに室内にはラークス一人しかいなかった。
鍵を開けている最中も視線はドアの方へと向けられ、部屋への侵入者はいなかったはずだ。一気に嫌な汗が噴き出し、今から自分が取るべき行動を考えた。

「……さ…宰相…いつからそこに…?」
「ついさっきだよ。君が探してるのは、これかなあ?」

そう言いながら掲げた左手にはラークスの探していた茶封筒があった。
一度引き出しに入れたそれをいつ取り出したのか。いずれにしても、一部始終を見られたからにはただでは済まない。

ゆっくりと太ももに手を伸ばし、レッグホルスターから小型の銃を取ってアーデンに向けた。

「おっと、そんな危ないものしまおうよ」
「……………」

ここで目の前の男に向けて撃ったとしても、音を聞きつけた帝国人がすぐに駆けつけて自分は捕らわれてしまうだろうと思った。
任務をしくじった場合、エージェントとしてラークスが真っ先にやるべきことは一つ。
速やかに自らの命を絶つことだった。

アーデンに向けていた銃口を、今度は自分のこめかみに当てた。

「おいおい、なにしようっての?ダメだって、命は大事にしないと。君には自殺なんてできないよ、ね?」

両手を顔の横まで上げながらアーデンが言う。
ラークスは震える手で引き金にかけた指に少しずつ力を入れていった。せめてもう一度だけ、グラディオラスと会って話がしたかった。

さよならと小さな声で呟いて目を閉じ、最後に思い切りトリガーを引くとガチンとハンマーが音を立てた。
しかし銃口から弾丸が発射されることはなく、ラークスは手にしていた銃を不思議そうに眺めた。

「………なんで?」
「だからさ、自殺なんてできないって言ったでしょ?これ、抜いておいたから」

そう言ってコートのポケットの中から五発の銃弾を取り出してラークスに見せた。慌てて銃のシリンダーを確認すると、装弾していたはずの弾が全て抜き取られている。

「…ちょっと…どうして!?私、ここでは肌身離さず…いつのまに…」
「ラークス・ディラシエラ…ルシス王国王都警備隊出身の特殊諜報員。二年前にニフルハイム帝国へ入り、宰相付きの秘書として働きながら帝国の対ルシス関連の情報を探っていた…ここまではオーケー?」
「………いつから…」
「ん?いつから君の正体を知ってたかって?ラークスがオレの秘書になって、ひと月くらいした頃かな」
「そ…そんなに前からどうやって…それに、分かっていたのにどうして捕まえなかったの!?」

狼狽えるラークスを楽しそうに眺めながら、アーデンはゆっくりと歩き距離を縮める。

「いやあ、好きな女の事はちゃんと把握しておかないとね。それに君は仕事も良くできるし、惜しいなあって」
「バ…バカにしてるの!?」

ラークスを壁際まで追い詰めると、右腕を軽く捻って背中に張り付け背後から羽交い絞めにするように抱きしめた。
そしてラークスの尻に手を這わせながら囁くようにその耳元で言う。

「なかなか尻尾出さなかったよね。大したもんだよ、二年だもん」
「っちょ…と…!」
「ね、探してたのはこれだろう?君の想像通り、この中にはルシス関連の重大な計画が書かれた紙が入ってるわけだけど…」

左手に持った封筒をラークスの前で軽く振って見せる。
そしておもむろに右手をその胸元へ滑り込ませ、ジャケットの内ポケットを探りロケットペンダントを取り出した。
蓋を開けグラディオラスの写真を見て、これ彼氏?と尋ねる。

「……あなたには関係ないでしょう!?」
「いいよねえ、ラークスにこんな風に想われて…二年間も会えないの、寂しくない?」
「だから…!関係ない事よ!!」
「そろそろ帰りたいでしょ?そこでさ、提案なんだけど…取引しない?」
「取引って……何言ってるの?」

アーデンは腕の力を抜いてラークスを一度解放し、今度は正面から腰を抱き寄せて言った。

「合計五日間、オレにちょうだい。そうしたら、この計画書を君に見せてあげる。ついでに、ルシスまで送って行ってあげるよ。その情報を持って帰れば、きっと褒めてもらえると思うよ?」
「五日間を、あなたにって…」
「分かるだろう?子供じゃないんだからさ」
「…………」

アーデンの歪んだ口元を見てようやく察した。
要するに、五回この身体を敵国の宰相にくれてやるということだ。虫唾が走るような話に、ラークスは鋭い視線でアーデンを睨みつけた。

「こんな国で死にたくはないだろう?オレだって君との事はいい思い出にしたいし…どう?」
「何がいい思い出なの…!?」
「こういうの、Win-Winっていうんじゃないかな?オレは君と楽しめて、君は大きなお土産を持って国へ帰れる」
「………それ、本当にルシスと関わりのある話なんでしょうね?」
「もちろん。オレは嘘は嫌いだからね」

そう言って、かぶっていた帽子をコートハンガーへと投げた。
どうせ外すのに、と思って見ていたが、それは一番上のフックに引っかかり二、三回くるくると回転して止まった。
少しだけ目を見開いてアーデンの顔を見ると、嬉しそうににっこりと笑顔を見せた。

「どうせまた外すだろうって思った?残念。オレさ、君に帽子を拾ってほしくてわざと外してたんだよねぇ」
「…わざと外して…毎回私の足元に転がって来てたって言うの…?」
「そうだよ、そういうふうに投げていたからね」
「…………馬鹿な事して…」

そう言えば、アーデンの投げた帽子は必ず同じ軌道をたどりラークスの靴にぶつかっていた。
一度でフックに引っかけるよりもよほど難しい事だと今さらながら思う。

「拾ってくれる時さ、ラークス前かがみになるだろ?ブラウスの胸元がすごくセクシーだなあっていつも思ってたんだ」
「……くだらない…」
「はっはっは!男なんてそんなもんだよ。ささやかな楽しみってやつ。で…どうする?」

口元の笑みはそのままに、少しだけ目元を引き締めて言った。
何一つ成果を上げられず、このままこの国で死ぬか。それとも、重要な情報を持って国へ帰り諜報員としての任務を終えるか。

ラークスの頭に、グラディオラスの顔が浮かんだ。
成長したであろう彼の姿が見たい。逞しい腕に抱きしめられたい。もう一度、優しく自分の名を呼ぶ声が聴きたい。
例え彼にとって数多くいる女の一人だったとしても、ラークスの愛情は変わらずグラディオラスに注がれていた。

こんな所で死んでいる場合じゃないと、強く思った。

顔を上にあげ、アーデンの瞳を真っ直ぐに見つめて言う。

「いいわ。あなたの好きにすればいい。その代り、情報が嘘だった時は死んでちょうだい」
「…いいねえその顔…たまらないよ。じゃあ、交渉成立ってことで」

そう言うとアーデンはラークスの唇にキスをした。
咄嗟にその肩を押し返し、何をするんだと睨みつけた。

「そんな嫌そうな顔しないでよ。契約書のサイン替わり」
「…ホント馬鹿な人…!」

楽しそうに笑う宰相から目を逸らして呆れたようにため息をついた。
五日間を乗り切れさえすれば、ラークスは晴れて母国へと帰れる。グラディオラスに会えるであろうその近い日だけを希望に、今はただ目をつむって耐える他なかった。





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