第6話

アラケオル基地でアーデンと別れてから、随分と時間が過ぎた。ジャレッドが帝国兵に襲われ命を落とすと言う悲しい出来事が起きたことを知り、一時はイグニスらの帝国への印象は最悪なものになった。
フィオレ自身も悩み苦しんだが、そんな時はアーデンの、自分たちの間に国同士の問題はいらないという言葉を思い出し、そして彼からもらった懐中時計を開いて何度もメッセージを読んだ。

そしてまたイグニスにとってみれば、これまで多くの不安はあったものの取り立てて大きな問題もなく妹を育ててきたという自負がある。
それをあえて危険を冒してまで帝国へ送り出し治療を受けさせる必要があるのかと考えた。
しかし、シガイとなったフィオレはこの先老いる事はない。いつまでも若々しいままの妹に対し、自分は先に老いて死んでいくのだ。
周囲の者が次々と先立って行くのを、フィオレはどんな思いで眺めるのか。そう思うと、アーデンの言葉を信じて賭けてみるしかないのだろうかと思った。

覚悟を決めてから、イグニスはフィオレに料理を教えるようになった。
向こうへ行っても毎日美味しい食事がとれるように、そして何より、料理をするたびに自分を思い出してもらえるように。

ところがそれから幾日が過ぎても、肝心の宰相が一行の前に現れる事はなかった。せっかく固めた決意が揺らいでしまうとイグニスは憤る。
忘れられてしまったのだろうかとため息をつくフィオレを毎日見ている事は、イグニスにとっても辛いものだった。




オルティシエに向かう際に使用する船の整備にはミスリルが必要だと聞かされたノクト達は、それを入手するために古代遺跡であるスチリフの杜へと向かった。
用事があると言ってグラディオが抜けてしまったため、車内は随分と広く感じる。いつものメンバーが一人抜けただけで、今のフィオレの寂しさはより一層強くなる思いがした。

目的地が近づくにつれ、小雨が降りだし周囲には白い靄が立ち込めている。
最寄りのパーキングに車を停め、今度は徒歩で目的地まで向かう。折り畳みの傘を持ってくれば良かったとフィオレが呟いた。

うっそうとした木々が生い茂る中をしばらく歩いていくと、前方に見覚えのある車を見つけた。赤色のボディに白いライン。フィオレの心臓がどきんと跳ねた。

「…おじさまの車…!!」

そう叫んで思わず駆け寄る。
しかし車内にその姿はなく、ドリンクホルダーには飲み口の開いたエボニーコーヒーの缶が置いてある。
後ろから歩いてくるイグニスを振り返り、おじさまが来てると言った。

「奴の車だな…付近にいると言う事か」
「…どこにいるんだろう…」

辺りを見回しながらさらに奥へと進んでいくと、次第に足元がぬかるみ始めた。そこで前方を歩いていたノクトがいち早く、フィオレの目的の人物を見つけだした。

「やあ、この先に用事?」

軽い調子でそう言うアーデンに、思わずプロンプトは、現れたと呟いた。

「帝国軍がいるから、一緒に行こう」
「何?」
「大丈夫だよお兄さん、話通してあげるから。ね?フィオレも一緒に向こうまで行こう」

少しだけ離れたところからアーデンを見つめていたフィオレにそう声をかける。車を見つけた時からすでに心臓はうるさく鳴り響き、本当はすぐにでも側に駆け寄りたいほどだった。
けれど今は小さく頷くだけで精一杯だ。そんなフィオレに、プロンプトが小声で話しかける。

「ねえフィオレ、会いたかったんじゃないの?前に行って声をかけたらいいのに」
「…な、なんか…何を話したらいいのか…」
「どうして?以前はあの人の助手席で楽しそうに話してたじゃん」
「……そうだよね…どうしてだろう…自分でも変だと思う」
「ジャレッドさんがあんなことになったから…嫌いになったとか?」
「それは違うよ。だっておじさまがしたことじゃないもん…そうじゃなくて、会えたのは嬉しいんだけど、その…緊張してるみたい…」

想いは募れどそれを行動に移すことができない。先を行く兄たちと話をするアーデンの大きな背中がただ愛しかった。



遺跡の前までたどり着くと、厳めしい甲冑を身に着けた女と、その左右にそれぞれ黒と白のコートを着た男が二人立っている。
アーデンはそこで待っていろとノクトに告げると、真ん中に立つ女と何やら話を始めた。

「何するつもりなんだろう」
「わかんね」

プロンプトの問いにノクトがそっけなく答える。アーデンの思考や行動が読めないノクトは、すでに男についてあれこれと考えるのを止めてしまったようだ。

「いいってさ、どうぞ。ここ、軍の管理下でさ。自由行動は厳しいみたいなんだよね。なんで、あの人と一緒に行ってくれる?うまいこと話しといたから」

そう言って、先ほど話をしていた女の方をちらりと見る。
監視ついでに手伝ってやると言うその女は、見たところ帝国の軍人のようだとフィオレは思った。

「で、フィオレとお兄さん。どうするか決めたかな?答えを出したなら、オレがこのままフィオレを連れて行くよ。どうせここから先の遺跡には、彼女を連れて行くことは出来ないだろうからね」
「……ああ…フィオレ、もう一度最後にお前の口から聞かせてくれ」

イグニスはフィオレと向かい合い、両肩に手を乗せて言った。

「本当に、帝国で治療をするんだな?」
「うん」
「危険が一切ないとは言い切れないぞ。その時オレは側に居ない。再びルシスに戻れるのがいつになるのかも分からないが、いいんだな?」

フィオレの瞳を真っ直ぐ見てそう言った。
イグニスは王の護衛として常に帝国を相手に戦う身だ。これまで以上に激しい争いの中に飛びこんで行くことになるかもしれない。
自分の知らぬところで兄の身に何か起きること、そして下手をすれば、これが最後の別れになる可能性もある事を思いフィオレは俯いてしまった。

あれだけ恋焦がれたアーデンを目の前にして尚、その心に迷いが生じた。しばらく考え込んだ後、ようやくフィオレが口を開く。

「…兄さん……私……」
「大丈夫だよお兄さん。万が一危険があっても、オレが側に居るから。ね?」

フィオレの言葉を遮る様にアーデンが割って入る。

「……おじさま」
「君たちは安心して旅を続けて。この先フィオレを連れて歩くのも、きっと同じくらい危険だよ?でも少なくとも向こうにいる間は、この子は帝国の客人になるわけだから」

アーデンの言葉に、自分は兄たちの旅の足枷になっているのだとフィオレは改めて思った。イグニスの顔を再び見つめ直し、その手を強く握って言う。

「私行ってくる。身体を治したら、すぐにルシスに帰るから。兄さんは、自分の役目をしっかり果たしてね」
「……フィオレ…いいんだな?」
「全部終わったら、王都を元通りにして…また、一緒に暮らせるよ…」

そんな前向きな言葉とは裏腹に、フィオレの瞳にはみるみるうちに涙が溜まって行く。イグニスは兄の務めとして、笑顔で妹を送り出さなければと思った。

「フィオレ、だったら泣くな。お前がそんな泣き虫だと、心配で行かせられないぞ」
「…うん…」

イグニスは指先で妹の涙を拭い、側に立つアーデンを見た。

「妹を頼む。何か起きたら、すぐに連絡をくれ」
「ああ、もちろん。君の大事な妹さんだもんねぇ」
「…いいか?治療のために行かせるんだ。フィオレの心を傷付けるような事をしたら、ただじゃおかない」

イグニスのメガネの奥の瞳が細く光る。アーデンはわざとらしく両手を広げて、オレがそんなことすると思うかと言った。

「…まあいい…疑い出したらキリがない。フィオレ、くれぐれも身体には気を付けるんだぞ」
「うん…グラディオによろしく言っておいて。あんまり無茶しないでねって。あと…お手紙書くからね」
「ああ分かった、返事を出すよ」

離れがたそうにする二人に、アーデンがそろそろ行こうかと声をかける。放っておいたらあと一時間は話していそうな雰囲気だ。

「じゃ、仲良くやって。アラネア准将、よろしくね」

スチリフ杜の中へと消えて行く兄を見送るその姿は、カーテスの大皿で見た寂しそうなそれとまるで同じだった。
相変わらず兄に対する強い依存があるとアーデンは思う。先ほども、イグニスから帝国へ渡る覚悟を問われた際には迷う素振りを見せた。
あのままアーデンが何も言わずにいたら、フィオレは帝国行きを止めていたかもしれない。

当初の予想以上に、この兄と妹を引き離すのは骨が折れたと思う。

「よし、オレたちも行こうフィオレ。すぐそこに車止めてあるからさ、それで近くの基地まで行ってそこから帝国へ戻るから」

促され、アーデンの車まで戻りそれに乗り込む。揚陸艇を停めてあるアラケオル基地までの道中、フィオレの口数は少なかった。
しかしそれは兄と別れた寂しさからくるだけのものとは違い、久しぶりに自分と顔を会わせた事への戸惑いが含まれている様だとアーデンは思った。
今は無理に会話を引き出す必要はない。ドリンクホルダーから飲みかけの缶コーヒーを手に取り、それをフィオレに差し出す。

「ありがとう…」

そう言って口に含み喉に流し込む。ふうと一息ついて、離れつつあるスチリフの杜を振り返った。

「心配ないよフィオレ。同行したのはうちの准将でね、すごく強い人だから。きっと、目的の物も見つかるんじゃないかな」
「……そっか…私がいても役に立たないもんね。強い人が手伝ってくれてよかった」
「…………あー…そうだ、向こうでさ、フィオレのマンションを用意したから。これからはそこで生活してね」
「え、研究所のあの部屋じゃないの?」
「あんな所嫌だろう?一通り必要な物は揃えたけど、家具なんかはフィオレの好きなものを買っていいよ。落ち着いたら一緒に街で買い物しよう」
「私一人暮らし初めて…!」

そこでようやくフィオレは笑顔を見せてくれた。アーデンはホッと胸を撫で下ろす。

「研究所からも近い所にあるから、何かあったらオレがすぐに行けるよ」
「じゃあ、おじさまがいつ来てもいいように綺麗にしておかなきゃ。ずーっと兄さんと暮らしてたから、飲み終わったペットボトルを出したままにしておくといつも怒られてたの」
「ああ、彼、几帳面そうだからね」
「そう…洗濯物取り込んだらすぐに畳めとか、トイレの蓋は必ず閉めろとかうるさくて……もう、そんな風に言ってくれる人がいないんだなぁ…」
「…………」

あらゆる会話が裏目に出る。今のフィオレはどうしても意識が兄に向ってしまうようだ。結局それから基地に到着するまで、アーデンとフィオレの間に会話はなかった。






アラケオル基地に着くと、アーデンは車ごと揚陸艇に乗り込んだ。運転席を降り、助手席のドアを開けてフィオレに降りるよう促す。

「…もうしばらくは、ルシスに戻ってこられないんだね」

アーデンは寂しげにそう言うフィオレの背中に右手を添え、ゆっくりと力を入れて自分の胸元まで抱き寄せた。懐かしい温もりに思わず目を閉じる。

「おじさま…」
「やっと二人になれたね。会いたかったんだ、ずーっと」
「…でも、おじさま来るの遅かった…私の事忘れちゃったのかと思ったよ」
「フィオレを忘れられるなら楽なもんだよ。毎日考えてたんだからさ。時計、気に入ってくれた?」
「うん、いつの間に入れてたの?びっくりした」
「お兄さんたちの分しか買ってなかっただろ?メッセージ、気が付いた?」
「嬉しかった。でも、なんだかすごくキザだよね」

フィオレが顔を上げて笑う。本心だからねとアーデンが言うと、恥ずかしそうに顔をぺったりと腹にくっつけてきた。
黒い髪を何度か撫でて、そのまま手を頬まで持っていき顔を上向きにさせ、白い額にキスをした。

「フィオレ、来てくれて嬉しいよ。やっぱり行かないって言われたらどうしようかと思ってた。治療、がんばろうね」
「おじさまが側に居てくれるなら頑張れるよ…」
「お兄さんがいない寂しさはオレが埋めてあげるから大丈夫」

そう言って細い背中に両腕を回して強く抱きしめる。恍惚とした表情のフィオレの唇にそのままキスをしてしまいたかったけれど、まだ時期尚早と堪える。
驚かせないようにゆっくりと、しかし飽きさせないよう着実に、フィオレが兄を思い出すことのなくなる程に甘い愛をくれてやろうとアーデンは思った。






帝国へ到着すると、アーデンはそのままフィオレを用意したマンションへと連れて行った。広く豪華な作りのそれにたいそう喜び、明日の午後家具を揃えに行こうと約束した。

フィオレにこの部屋を与えたのは他でもない、自分の目の届かない所でヴァーサタイルが彼女に勝手な実験を施すことを避けるためだった。
前回の検査終了後も尚フィオレへの執着を見せた科学者の存在は少しだけ危険なものだった。優秀な男だが、目的のためには手段は選ばず時としてアーデンの助言すら届かなくなることさえある。
手元に残ったフィオレのデータを勝手に分析し、その目でどうにか変異後の姿を拝んでやろうと考えている事はすぐに分かった。
アーデンはシガイとしての姿と人としての姿両方を自在にコントロールできるが、これまでただの一度も容貌を変異させたことのないフィオレがそうなった場合確実に元に戻れるという保証がないのだ。
アーデンはあくまでも、フィオレを今の美しい姿のまま側に置いておきたいと考えていた。



それから数週間にわたり、フィオレの身体のデータを取りつつ治療と称して点滴や投薬を行った。
もちろんこれは特別な療法でもなんでもなく、ただのビタミン剤やブドウ糖を投与するだけだった。
形だけでも治療と言う形式を取り、本人に疑問を持たせることなく帝国へつなぎとめておく必要があるのだ。

しかしある日、フィオレの部屋へ行くと少しだけ落ち込んだ様子を見せている。ソファーに座り、紅茶を淹れる彼女にどうしたのかと尋ねる。

「おじさま…兄さんから手紙の返事がちっとも来ないの…今まで何度もおじさまに出してもらってるでしょ?」
「……ああ、そうだね。ここの住所はちゃんと書いてるよね?」
「うん…どうしたんだろう。無事でいるのかなあ…」
「もちろん無事だと思うよ?ホラ、お兄さんたちも忙しいからねえ。きっともうすぐ、オルティシエに行く頃だろうから」
「…私の事…忘れちゃったのかな…」
「そんな風に物事を悪い方に考えない方がいいよ?おいで」

手招きし、自分の太ももを軽く叩いてここへ座れと促す。躾けられた犬の様に従順に、フィオレは言われた通り腰を下ろした。

「また手紙を書いたの…おじさま、出しておいてくれる?」
「ああ、いいよ…」

フィオレの手から淡い水色の封筒を受け取りコートの内ポケットにしまう。溜息をつくフィオレの頭を胸に抱き寄せて、そんなに落ち込むなと言った。

「兄さん達が無事かどうかだけでも知りたいの…」
「大丈夫、君の兄さんはそんなに弱い男じゃないだろう?」
「分かってるけど…でも…」
「フィオレ」

嘆きを遮るようにして、アーデンはフィオレの額にキスをする。そして今日はそのまま顔を傾けて、今度は唇に優しく触れた。
驚いたように大きく開かれた両目を頭に添えていた右手で覆い隠しその耳元で囁く。

「少しだけ、お兄さんの事を考えるの止めて…ね?少しだけでいいから」

大人しくなったところでもう一度音を立てて口づける。
何度も何度も繰り返し、フィオレの身体から力が抜けるまでアーデンはキスを止めなかった。



その日の夜、自室へ戻ったアーデンはデスクの前に座り引き出しから煙草を取り出した。一本咥えて火を点け肺を煙で満たし、先ほどフィオレから預かった兄宛の手紙を取り出す。
それを灰皿の上に掲げ、ライターで炙るとあっという間に炎に包まれた。半分ほど燃えたところで手を放し下に落とす。
それが白い灰になるのを眺めながら、恐らくあちらでも妹から手紙が来ない事を憂いているだろうとアーデンは思った。

この先旅を続けていくにつれ、彼らは真の王としての本当の役割を知ることになるだろう。そしてこの世界から闇を払う事になれば、それはすなわち全てのシガイを排除することを意味する。
それを知った時の、あの生真面目な兄がどんな顔をするか想像しただけで笑いが込み上げてくる。

妹を取るのか世界を取るのか。どちらを選んだ所で彼には地獄が待っている事だろう。

「フィオレ…オレの念願が叶い、真の王を倒しルシス王家を滅ぼせたならずっと二人で生きて行こう。けどもしもオレが破れたら、こんな世界からは一緒に消えてなくなろうよ…」

生きるにしても死ぬにしても、どのみちアーデンとフィオレはその運命を共にすることになる。
ルシス王家が残してくれた唯一の贈り物に、アーデンは心から感謝した。






オルティシエへの出発を明日に控え、ノクトら一行はカエムの岬の家で身体を休めていた。

他のメンバーが一階で談笑する中イグニスは一人部屋にこもり、スチリフの杜で別れたフィオレの事を考えていた。出すと言っていた手紙が一向に届かず、治療が順調なのか、元気でいるのかさえ要として知れない。
ただひたすら漠然とした不安だけがイグニスの心を苦しめた。

「フィオレ……今どうしてる…?」

妹からプレゼントされた懐中時計を取り出し蓋を開く。あの日から何度も眺めたメッセージを、今日も目に焼き付ける。

『I am proud to be your sister. from Fiore Scientia』

指先でその文字を妹の代わりに何度も撫でる。どんな思いでフィオレがこのメッセージを贈ってくれたのかをイグニスは考えた。

いつでもどんな時も、フィオレが誇れる兄でいよう。
この先どのような困難に見舞われても、どれほど大きな選択を迫られても、常に自分らしくあろうと心に決めた。

近いうちまたフィオレに会えた時、彼女の最高の笑顔が見られるように―。








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