第29話

太陽が地平線に沈み、辺りはすっかり暗くなった。
うっそうとした木々が生い茂る森は、ヴェスペル湖から流れ込む水によって足元が非常に悪い状態だった。
この周辺は雨天に見舞われることも多いらしく、ヴィーデが訪れたこの時間帯が晴れている事はせめてもの救いだった。

途中釣り場を見つけ思わず足を止めると、今日はダメだよとアーデンから注意を受けた。
しばらく歩いていくと朽ちた柱や門のようなものが見え始め、大きな古い建造物が目に入った。

「ここがスチリフの杜…どうして帝国軍の監視が必要なの?」
「ここでは希少価値の高いミスリル鉱石が採れるんだよ。それをやたらと取られると困るから軍の管理下に置かれてるわけ」
「でも、もともとルシスの領土でしょう?」
「今は実質的にニフルハイムが制圧した形になってるからねえ。価値あるものはしっかりと守らないと」
「…ふうん…アーデンはここに何の用があってきたの?」
「そのミスリル鉱石がちゃんとあるか確認しておきたかったんだ。どうやらルシスの王様が必要になるみたいだからね。だからさ、もし上から何か言われたらヴィーデが宰相に許可を出したってことにしておいて」
「……怒られたりしないかしら…」

准将というポジションにどこまで権限があるかがヴィーデにはさっぱり分からなかった。
何か問題が起きたらアーデンに脅されたことにしようと思った時、遺跡の出入り口がぼんやりと光り出した。

「わ…ひ、光ったよ!?」
「うん、ここはね、日が落ちてからじゃないと中には入れない様になってるんだ。さ、行こうか」
「ここもやっぱりシガイが出るの?」
「もちろん。けっこうやばいの出てくるから、ヴィーデがどれくらい強くなったか見せてね」
「……い…いつもレイヴスと一緒に戦ってたから自信ないよ」
「今日はレイヴス将軍はいないからねー」

少しだけ大きな声でそう言って、さっさと中に入って行ってしまった。どうやら機嫌を損ねたようだと分かり、置いて行かれないよう慌てて後を追いかけた。
長い長い階段をひたすら降り、たどり着いた所はまるで迷路の様な作りになっている。アーデンとはぐれたら二度と外へは出られないような気さえしてきた。
ライトを点けていなければ数メートル先も見えず、ヴィーデは前を行くアーデンに寄り添うようにして歩いた。

「ここね、いろんな所に仕掛けがあるみたいなんだ。足場が崩れたりするから気を付けてね」
「く、崩れたらどうなるの…?」
「んー、下に落ちるのかなあ。あと風化も進んでるから天井が崩れ落ちたりするかもしれない。とりあえずオレの側を離れない方がいいよ」
「……う、うん…」

ごくりと息を飲み、アーデンのコートの袖を指先で掴んでそろそろと忍び足で進んでいく。
小部屋から通路に出たところで、突然地面から骸骨のような姿をした化け物が現れた。

「ひっ!何アレ!!」
「スケルトンだ、後ろにリーパーもいるよ。ほら驚いてないで戦って」

そう言うと、アーデンは右手に大剣を取り出した。脚を大きく広げ体勢を低くして構え横から叩きつける様に振ると、不気味な敵の身体は一気に崩れ去った。
その勢いのまま大きく真上に振りかぶった剣を、今度はスケルトンの頭上から真下に向かって振り下ろす。
一度の攻撃で二体三体のシガイをあっという間に片付けて行く様は、レイヴスの強さを上回るものがあるかもしれないとヴィーデは思った。
口を開けてアーデンの戦う様子を見ていると、手伝いなさいと怒られた。

「ぼうっとしてないで、手ぇ動かしてよ!」
「あ…は、はい!」

シガイと戦うのは初めてではないけれど、その薄気味悪い見た目からどうしても近寄りがたく感じる。
ほぼアーデンによって倒し切った所で、剣をしまいコートの汚れを手で払うその背の高い男を眺めた。
戦いに関してはたしなむ程度ではない、と本人が言っていたが、そんなものではない。将軍として軍を率いてもいい程の実力がアーデンには備わっている。
この先ルシスの王と戦う事になるのだから強さには自信があるのかもしれないが、改めてアーデンは得体の知れない男だと思った。
その横顔をまじまじと見ていると、視線に気が付いたアーデンがヴィーデを振り返った。

「…?…どうしたのヴィーデ、オレの顔に何かついてる?」
「…アーデンってどうして宰相なの?すごく強いんだから将軍になればよかったのに」
「ニフルハイムを利用する必要があったからね。国と国とのやり取りは将軍にはできないし、命令されて軍を動かして働く場所は戦場だけだろ?」
「そうだけど…なんかもったいない。こんなに強いのに…みんなアーデンがこれほど実力があるって知らないなんて」
「面倒だからいいんだよ。なに、少しは惚れ直してくれた?」

笑いながらそう言うアーデンに、ヴィーデは真顔で頷いた。

「すごくかっこいいからびっくりした」
「…そう…?」
「アーデンが強いって事をみんなに知ってほしいけど…でもそうしたらきっとますます貴族の女の子たちが放っておかないから、やっぱり内緒にしておいた方がいいわね」
「…………」

ヴィーデは人を褒める時には遠慮せず本心をそのまま口にする。最初は冗談半分なのかと思っていたけれどどうやらそうではなく。決して大げさな表現はしないので、歯の浮くようなセリフでも彼女にとってはストレートな気持ちなのだ。
思いもよらなかった評価に、アーデンはそれだけで今日ここへヴィーデを連れてきて良かったとつくづく思う。
憧れと羨望の混じった瞳で見つめるヴィーデの頭を撫でて、その額にキスをした。

「オレの強さはヴィーデのものでもあるよ。何度も言うけど、他の女なんてどうでもいいんだから。君が知っててくれたらそれでいい」
「…私も頑張らなきゃ…」

アーデンにしてもレイヴスにしても、目の前で絶大な力を見せつけられるたびに奮い立つ思いがする。
それを持たずに生きてきたこれまでの自分を叱咤するように、両頬をぱちんと叩いて気合を入れ直した。




しばらく進んでいくととても大きな扉の前に出た。そこから先に出ると、目を疑うような光景が飛び込んできた。

「…わあ…アーデン…!これ、どうなってるの…?」

頭上一面が水の層で覆われ魚まで泳いでいるのだ。自分は今水中にいるのだろうかと考えたけれど、問題なく呼吸が出来ているあたりそうではないようだ。
差し込む光が非常に幻想的で、まるで絵本の世界の中にいるようだった。古代の人たちはどのようにしてこの建造物を建てたのだろうか。

「…不思議…でもなんて綺麗なんだろう」
「これってすごい技術だよねえ。仕組みは分からないけど」
「ここ、入場料を取って観光地にしたら儲かりそうね」
「……ヴィーデの口からそういう言葉が出るとは思ってなかったよ」

そんな話をしながらさらに奥へと進むと、足場の悪い場所に出た。床に大きな亀裂が入り、今にも崩れ落ちそうだ。
ここを通っても大丈夫だろうか、そう口に出そうとした時、がらがらと大きな音を立ててヴィーデの足元が下の階に落ちた。

「きゃあ!!」

地面に思い切り尻もちをつき、しばらくうずくまってからようやく身体を起こして上を見上げる。
アーデンがヴィーデを見下ろし、大丈夫かと声をかけた。

「怪我は!?」
「ない…けどお尻ぶつけたー!」
「そりゃ大変だ。後で見てあげるから」

そう言いながら下へと飛び降りた。辺りを見回し、先へ行く道を探した。

「来る途中、マンホールみたいな仕掛けが地面にあるの気が付いた?」
「ああ…あれが仕掛けだったの?」
「多分ね。足で踏みながら来たんだけど…それで先に進めるようにはなってると思うんだよ」

もう何度も同じ道を行ったり来たりしているような気がしてきた。今日中にこの遺跡を出られるのだろうかと不安を感じ始めた時、二人の目の前に巨大なシガイが現れた。
ヴィーデの身体よりもはるかに大きな武器を持ったそれは、左手を大きく頭上に掲げて思い切り床を叩きつけた。

「やだもう!!やっと上にのぼったのにー!!」

アーデンは再び落下するヴィーデを素早く抱きかかえ階下へ着地すると、すぐに下ろして大剣を構えた。

「ほら来るよ、嘆くのは後!」
「ちょ…ちょっと大きすぎじゃない!?なにあれ!!」
「鉄巨人!気を付けてね、あれすごく強力だよ」

言われなくても見ればわかる。身体が大きいので攻撃のリーチが非常に広く、距離を取っていても剣を振るう風圧が激しい。
間合いが取りにくく近づくことが出来ないでいた。

「ねえアーデン、あれもやっぱり聖属性に弱いんでしょう!?」
「ああ、あとはオレが今使ってる大剣も有効かな」
「…使えるかな…久しぶりだけど」

ヴィーデは右手を握って胸に当て、ふうと深く息を吐いた。そのうちその手がぼんやりと光り始めると、ヴィーデはすばやく鉄巨人の背後に回った。

「効き目があるといいけど…!」
「…ん?…おい、ちょっと待ってヴィーデ!!」

光りの正体を知ったアーデンが慌ててその場から離れる。ヴィーデが眩い光を纏った掌をぽんとその巨体に叩きつけると、鉄巨人は一瞬で真っ白い灰になってしまった。

「良かった!効いたわ!!」
「……あぶな…ヴィーデ、君ホーリーが使えるの…?」
「うん、魔法は一通り使えるよ。ねえ凄いでしょアーデン、あんな大きいの倒せたよ!」
「凄すぎだよ。っていうか、オレがいるときにその魔法は禁止!」

なぜか怒っているアーデンに、どうしたのとヴィーデは首をかしげた。

「忘れてない?オレもシガイなんだけど…」
「………あ……忘れてた…」
「さすがにオレでもアレは嫌いなんだよ。まったく酷いね」
「ご…ごめんアーデン…!あなたってすごく人間臭いからすっかり忘れてたのよ!」
「…それ褒めてないだろう」

光りの欠片が触れた頬がちりちりと痛む。そこを袖で強く擦り、ふうとため息をついた。

「それにしても、ホーリーを使える人間初めて見たよ。ルシスの王様ですら、光耀の指輪を使わないと打てないはずだよ。さすが、フルーレ家との混血は強いね…」
「でも、私の母は魔法使えなかったのよ、たぶんね。何代も前のおばあちゃんはできたみたい」
「ああ、きっとそれも含めて特殊能力を持った子供が生まれるのは数世代に一度ってことなんだろうね。でも頼むから、オレがいるときはやめてね」 
「…うーん」
「…なにニヤニヤしてるの…?」
「アーデンの弱点見つけたなあって。今度悪い事したら…ね…」

その顔を見ているととても冗談で言っているとは思えなかった。
ここへ来てどんどんと立場の強くなっていくヴィーデに末恐ろしささえ感じる。悪い事なんてしないよと言って笑い額の汗をぬぐった。

この遺跡へ入ってからどれくらいの時間が過ぎたのか、尽きる事のないシガイをひたすら倒し、下りては上りを繰り返しながらとうとう開けた場所に出た。

「うん、ここが最下層だな。地下4階…かな」
「アーデン、ここに来るまでにそのミスリルってあった?」
「うーん、無かったなあ…どうしたもんか」

足元をきょろきょろと見ていると、ふと頭上に影が落ちた。視線を上にあげた時目に入った巨大なモンスターにヴィーデは腰を抜かしてしまった。

「…ア…アーデン…!!」
「おー、こりゃまた立派だねえ」

大きな翼を持ったそれは鳥ともドラゴンとも言えるような容姿で、轟音のような雄たけびを上げると羽ばたきながら地面に降りてきた。

「あれ、倒すの!?」
「いや、あれは王様に取っておいてあげようかなぁ…ん?ねえヴィーデ、あそこ、何か光ってない?」
「…あ…何か落ちてるよ!」
「うん、ミスリルかもね」
「ちょっと、危ないよアーデン!」

モンスターの横を通り過ぎて、アーデンが奥へと走って行った。
地面にしゃがみ込み、光る物を手に取るとそれは確かにミスリル鉱石だ。これがあるのなら問題はないとアーデンは思った。
元の場所に戻し、不安げな顔のヴィーデに大きな声であったよと叫んだ。

「戻ってきて!!早く!攻撃してくるよ!」
「よしそろそろ帰ろうかね」

そう言うと、地面に前脚を付けて力をためるケツァルコアトルに向かってブリザドを放った。
一瞬ひるんだ隙に駆け抜け、ヴィーデの腕を引いて元来た道を戻って行く。

「もういいの!?用事は終わった?」
「ああ、急いで出よう。すごく怒ってるから、追いかけてくるかもしれない」

際限なく湧き出るシガイを無視し、アーデンとヴィーデは数時間ぶりに地上へと出ることが出来た。







「………疲れたー…身体中べたべた…今何時なの?」
「今ね、深夜の一時」
「…七時間はあの遺跡の中にいたってこと?」

ああと声を出して車のシートにぐったりともたれる。安全な場所に出たとたんヴィーデの腹の虫がぐうと鳴いた。

「お腹空いた?」
「うん…あと喉がカラカラ」
「レスタルムで宿を取ろうか。さすがにオレも今日は何もしたくないわ」
「私もう運転はしないよ?」
「……させないよ…」

ヴィーデに運転させたら夜が明けてしまうとアーデンは思った。
レスタルムのリウエイホテルにチェックインすると、ヴィーデはベッドにダイブするように倒れこんだ。

「あー、気持ちいい!もうこのまま寝たい」
「シャワーくらい浴びなよ」
「浴びる…浴びるけど…寝そう……ねえアーデン、なんでツインにしなかったの?部屋空いてたのに。ダブルじゃ狭くない?」

顔を枕に押し付けながらもごもごと話すヴィーデの側に腰を下ろし、広い必要はないとアーデンが言う。

「どうせくっついて寝るんだからいいだろ?」
「……今日は無理だよ」
「えー…」
「アーデンも疲れてるでしょ?」
「疲れてるからこそしたいんだよ」

そう言ってヴィーデを仰向けにし軽くキスをした。

「ねえアーデン、今日さ、私と二人で遺跡に来たのって本当にミスリル鉱石を見つけるためだったの?」
「…なんで?」
「なんとなく。理由はそれだけなのかなあって」

垂れ下がった優しげな瞳でヴィーデが言う。その目じりを親指の先でそっと撫でて長い黒髪を梳いた。

「そうだな…君はいつもレイヴス将軍と任務に出るだろ?つまり仕事のパートナーは彼ってこと」
「まあ、そうなるわね」
「仕事をしてるヴィーデを、オレはほとんど見たことないんだよね。どんなふうに戦うのか、どれくらい成長したのか。それを常に側で見てるのは彼じゃないか」
「…………」
「見てみたかったんだ。レイヴス将軍の代わりに君をサポートしたり…そういうことをしたかった」

いつだったか、貴族の茶会の場にモンスターが現れた時に見せつけられたヴィーデとレイヴスの息の合った様に嫉妬を覚えたものだった。
そう正直に話すと、ヴィーデは口元をゆるませて言った。

「アーデン、けっこう可愛い所あるよね。嫉妬深いけど」
「オレは嫉妬深いよ?しつこいし諦めが悪いんだ」
「うん、それは思い知った」

なにしろルシス王家への復讐心をゆうに二千年保ち続けた男なのだ。普通はどこかで挫けてしまうものだろうに。
アーデンの赤い髪を静かに撫でながら、ヴィーデは眠そうにあくびをした。

「ヴィーデ、腹減ってるんじゃないの?」
「……ん……」

口に笑みを浮かべながらゆっくりと瞬きをして、そのうちぴったりと目をつむって静かになった。
ヴィーデの頬に付いた泥汚れを指で拭い取り、赤味を帯びた唇に満足ゆくまで何度もキスをした。






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