第28話

早朝の訪問者を気にせずにゆっくりと朝を過ごせるのはいつぶりだろうかとヴィーデは考えていた。
朝食を済ませた後寝間着のままのんびりと紅茶を飲み、身支度を整えてから時間に余裕を持って部屋を出る。
こんな当たり前のことがここしばらく出来なくなっていたけれど、その元凶の姿が見えなくなってからと言うもの実に穏やかな日々だった。

しかしもちろんそれを手放しで喜べるほどヴィーデは冷酷ではなく、最後にアーデンの執務室で見たベネーヌの満足げな顔はきっとこの先忘れる事などできないだろうと思う。

アラネアは、アーデンを恐ろしい人だと言っていた。
自分にとって邪魔でしかなかったベネーヌを抱くことでその強力な寄生虫を体内に流し込み、果てはシガイ化させると言う手段で彼女を実質的に消したのだからその言葉通りなのだろう。

心に傷を負ったヴィーデがレイヴスによって身体ごと慰められた事を知ったアーデンの、静かで激しい怒りはやはり今思い出しても少しだけぞっとする。
彼の愛情は重く熱く、そしてとても甘いものだった。

「…いけない、もう時間だ…」

カップに残った紅茶を一気に喉に流し込み立ち上がる。
今日の予定はルシスにあるスチリフの杜という古代遺跡とその周辺の監視作業だったはずだ。なぜ遺跡を監視する必要があるのか理由は分からないけれど、その神秘的な言葉に少しだけ胸がわくわくとする。

以前ルシス王国の地図を見た時、リード、ダスカ、クレイン地方それぞれに複数の遺跡が点在することは知っていた。
そのうちのいくつかの最奥にはルシス王家にまつわる重要な何かが眠っているらしいが、危険な場所にひっそりと隠すほどなのだからよほど価値のあるものなのだろう。

少年の様に胸をときめかせながら部屋を出ようとした時、聞きなれたリズムで部屋のドアがノックされた。

「グッドモーニング」
「…おはようアーデン」

機嫌の良さそうな顔をした宰相は、ヴィーデの部屋に一歩入り込んだ所でいつもの様に一度抱きしめてから朝のキスをした。

「実に穏やかな朝だね。一日の始まりはこうでなきゃ」
「…そ、そうね…ごめんアーデン、遅れそうだから行かないと」

ヴィーデの腰に腕を回すアーデンの胸を軽く押し返すと、その手を掴んで甲に唇を落として言った。

「これからルシスのスチリフの杜に行くんだろ?オレが同行するから」
「アーデンと、レイヴスと三人で?」
「いや、レイヴス将軍にはオレと君の二人で行くから来なくていいよーって言っといた」
「……え?」

目を丸くするヴィーデの背中を軽く押して部屋から出ると、合鍵を使って施錠した。行くよと言って歩き出すアーデンを小走りで追いかけ、どういう事かと訳を問う。

「オレもあそこに用事があってさ。遺跡の中に入る必要があるんだけど…軍の管理下にあるから、オレが勝手に手出しできないんだ。レイヴス将軍と一緒に行くと簡単に入れないだろうから、一応軍人の君に許可を得たっていう体裁で入ろうと思ってね」
「そういうことだったのね…レイヴスは、すぐに了承してくれたの?」
「……んー、まあね。特に問題はなかったよ」
「…何も言ってなかった?」
「どんな言葉を期待してたのかな?」

横目でヴィーデを見ながら少しだけ意地悪く言う。
本当はアーデンが話を付けに行った時レイヴスは中々首を縦には振らなかった。それどころか先日の宰相室でアーデンがヴィーデに放った言葉を責め、それまでの行いを罵倒した挙句彼女から離れるよう言ってきた。
仲直りしたから心配無用だと告げるとさらに鋭い目線で噛み付こうとしてきたため、ヴィーデは今後単独で基地を任されることになると伝えた。

「そうだ…この先君はカリゴ准将に代わってヴォラレ基地を統括することになると思うからそのつもりでいてね」
「カリゴ准将に代わってって…どうして?私が基地の統括なんて…」
「…彼、殉職したんだ。ロキ准将と一緒にね」
「……え…!?」
「ヴィーデのお友達のノクティス王子達…彼らがフムース基地に乗り込んできてね。迎え撃とうとしたようだけど、まあ力及ばず…って所かな。実に残念だよ」
「…………」

つい先日まで当たり前の様に見かけた顔が、今日になって二度と会うことはない人になったと知る。
こうも簡単に人は死んでいくものなのだろうか。当然軍人なのだから常に危険の中に身を置き、また当人たちもそれを覚悟の上で任務に就いていた事は疑うべくもない。
特にカリゴに関して言えばヴィーデにとって良い印象などは一つもなく、あの狸に似た顔を思い出すといまだに身の毛がよだつ。
それでもやはり、結局一度も口を聞く機会のなかったロキ准将共々死んでよかったなどとは思えなかった。

「だからね、カリゴ准将が抜けた穴をヴィーデに埋めてもらう必要があるから、晴れて君は准将に……って、どうしたのヴィーデ?」

俯き隣を歩くヴィーデの顔を覗き込むと、その目元には今にも零れ落ちそうな大粒の涙が溜まっている。
アーデンは立ち止まり、右手の指先でそれを拭った。

「…そんなに悲しいの?」
「違うの…カリゴ准将なんて嫌いだったしロキ准将の事は全然知らないし…でもなんていうか…こんな簡単に人が…」
「優しいねヴィーデは……やっぱり君にはルシスの王様やルナフレーナ様を殺すことなんてできやしなかったんだよね」
「…………」
「でもいいんだよそれで、ヴィーデはそれでいいの」

一度ヴィーデの頭を胸に抱き寄せて、再び腰を押して歩き出した。
目障りなだけだったカリゴだが、最後にヴィーデへポジションを受け渡して死んでくれたおかげで常に行動を共にしてきたレイヴスと切り離すことができた。
ここへきてとんとん拍子に邪魔者を排除する流れとなり、アーデンの悩みの種が減ることは願ってもない事だった。

「そうだ、今日はリベルタはお留守番だからね」
「どうして…?」
「揚陸艇にオレの車を積んでいくから、スチリフの杜までドライブで移動」
「そういえばアーデンって車持ってるんだったね。私自動車って初めて乗るわ」
「…ほんとに?いままでの移動手段って何?」
「えっと…馬車か徒歩…」
「……いいね、嫌いじゃないよ」







初めて見るアーデンの車は、えんじ色の車体に白のラインが一本だけ入ったデザインだった。もっと暗い色を想像していただけに、この派手なカラーに少しだけ驚いた。
アラケオル基地で揚陸艇を降り、そこからアーデンの愛車で目的の遺跡まで移動となった。

「初めての車、乗り心地どう?」
「意外と静かなのねー。馬車みたいに揺れないし馬を休ませなくていいし便利だわ」
「気に入ってもらえて良かったよ」
「ベネーヌさんは何度も乗ったんでしょ?」
「……今そんな話するの…?」
「…私思ったんだけど…アーデンだって彼女と寝たのにどうして私だけがあんなに怒られなきゃいけなかったのかしら…なんだか少し腹が立つわ」

あの時はアーデンの鬼気迫る雰囲気に押されてひたすら許しを請い耐えたけれど、よくよく考えてみればお互いにしたことは同じなのだとヴィーデは思う。
数日前から腹の底にたまっていたモヤモヤとしたものが、今さらになって湧き出てきた。

「…いや…オレはほら、彼女を黙らせる必要があったからね…」
「結果は同じです」
「…あーもう…!何で蒸し返すわけ?終わった話だろう?」

結局アーデンはあの宰相室での発言もベネーヌとの事もヴィーデには謝罪一つしていない。
勝手に自分の中で解決してしまった隣の男に対するイライラはピークに達した。

「…まあ別にいいけど。アーデンのおかげでレイヴスの優しさを身を持って知れたから!」
「…あのさ、オレがベネーヌに全く興味ないの知ってるだろ?彼女を抱くのがどれだけ拷問に近いかわかる?何回もいろんなものが折れかけたよ」
「そう。私はすごく良かったからラッキーだわ」

そっぽを向きながらヴィーデが言ったその一言にアーデンは左の眉をピクリと上げ車を急停車させた。
がくんと身体が前のめりになり小さく悲鳴を上げる。

「っちょ…急に止まらないでよアーデン」
「…ねえヴィーデ、今日はこのままレスタルムで休もうか」
「え?ここからスチリフの杜までそんなに遠くないでしょう?」
「オレはさ、彼と張り合う気なんてこれっぽっちもないけど…ヴィーデの身体がどうしてもレイヴスを忘れられないならオレも努力するしかないじゃない?」

口元に笑みを浮かべてはいるが目は全く笑っていない。
少しだけ恐いけれど、これまでのようにこちらから引いてはいけないのだとヴィーデは思いアーデンの顔を睨み返した。

「そんなんじゃ誤魔化されないから。いいから早く出発して」
「全然よくないよ。さっきのセリフは聞き捨てならな」
「もう!」

ヴィーデはシートベルトを外すと助手席を降りて運転席へと回りそこをどけと言った。

「は?ヴィーデ運転なんかできないだろ!?」
「チョコボに乗れるんだから車なんて簡単でしょ。はやく代わって!」
「お、おいちょっとヴィーデ!」

強引に運転席に身体をねじ込みアーデンを助手席へと追いやると、ハンドルを両手で握って足元のアクセルを思いきり踏み込んだ。
しかし車は一向に動く気配はない。首をかしげるヴィーデを見て思い切り溜息をついたアーデンは、それはブレーキだと言った。

「アクセルは逆。それとシフトレバーがPになってるからDに変えて」
「シフトレバーってなに?」
「それ、下の方にあるレバーだよ。PとかRとかNとか書いてあるだろ?それをDにするの。ドライブのD」
「ああ、これね」

シフトチェンジをし、今度こそとぐっとアクセルを踏み込む。すると急発進したせいで二人の後頭部は勢いよくヘッドレストにぶつかった。

「…ヴィーデ!車の発進はゆっくりとしないと今みたいになるから!アクセルは踏み込んだらダメだよ」
「今ので走れるようになるのね。なんだ、やっぱり簡単じゃない」
「簡単って…ねえそろそろアクセル踏む力弱めて。どんどんスピード上がってるよ!」
「もう、アーデンって男のくせに怖がりね。一応ちゃんと走れてるじゃない」
「ちゃんと走れてないだろ、車線逆だって!対向車来てるからさ!…ってかそこ右だよ!」

あーと声を出して、曲がるべき場所を振り返った。このままでは本当にレスタルムへ着いてしまう。
やれやれと頭を乱雑に掻きヴィーデの方に視線を向けると、随分と楽しげに車を走らせている。機嫌が直ったのならいいかと少しだけ笑った。

「まあいいや。このままぐるっと回れば遺跡につくから安全運転で頼むよ。この先二か所パーキングが見えてくるから、そこを全部右に曲がってね」
「了解」

先の出来事はとても喜べたものではないけれど、レイヴスにだけ向けられていたヴィーデの本音がアーデンに対しても出る様になってきたようだった。
本来の気の強さや頑固な一面が垣間見え、アーデンに対する遠慮がだいぶなくなっている。
感じた憤りや苛立ちをきちんとぶつけてくれれば、レイヴスに慰めを求めるようなことも無くなってくるかもしれないとアーデンは思う。



しばらく道なりに進み、ふとヴィーデはこれまで疑問に思っていたことをアーデンに尋ねた。

「ねえ、どうしてルシス王国は首都のインソムニアだけが帝国からの支配を免れていたの?」
「んー、先代の国王が魔法障壁で守り続けてきたからね。それを崩すのは帝国の化学兵器をもってしてもなかなか難しかったんだよ。でもね、どんな大国でも内側から崩れていくのは止められないもんだよ」
「…内側って…ルシス国内の裏切りって事?」
「…まあ、あんまりよその国の悪口は言いたくないけど…これには王の剣と呼ばれる部隊が深く関わってる。レギス国王の命で作られた移民の部隊で、激しい前線で戦う連中なんだよ。常日頃こき使われてきた彼らの中には不満を抱えていた者も少なくなかったわけ」

その上、レギスは停戦協定を受け入れインソムニアを除く全ての領土を帝国に制圧されることをやむなしとの決断を下した。
当然故郷を見捨てられた王の剣の隊員たちの怒りは爆発し、結果として帝国との裏取引に利用された者による裏切りや離反も手伝いインソムニアは壊滅したと言ってもいいだろう。
この時すでに、レギス国王への信頼は十分に揺らいでいたのだ。

「しかも、我が子を守るために民を犠牲にするんだ。そんなこと、当然納得できる話じゃないよな」
「……大きな使命を持った子供だから?世界を救うためにって……その世界の中に、犠牲になっていった人たちは含まれていなかったってことね…」
「そういうことだね。帝国も敵は多いけど、ルシスのやり方に反発を持っている者だっているんだよ。そして神凪ルナフレーナはそれを全て承知でレギスから指輪を預かりノクティス王子に渡そうとしてるわけだ」
「…守るべき人をふるいにかけてる…そう思うと、あの人のしている事が白々しく感じるわ…そうやってかつてのフルーレ家はカウザを斬り捨てたんでしょうね」

神々がなぜクリスタルをルシス王家に託したのか、ヴィーデには分からなかった。
あんなものがあるせいでそれを奪い合い戦争が起こるのなら、最初からなければよかったのに。

「世界なんて漠然とした言葉で飾ったところで、人一人の人生よりも大切なものなんてどれくらいあるんだろうね…」
「私は…小さな小さな世界で生きてきたもの。それしか知らずに…レギス国王やルナフレーナが言うそれの大きさなんて分からない」
「それが普通だよ。だからこそルシスの国王は飼い犬に手を噛まれたんだからね。大きなものに目を向けるあまり、今手元にあるものの事を優先しなかったんだ。もちろん簡単な決断じゃなかったとは思うけど…」

王様って大変だね、とアーデンは言う。

「ほーんと。私は今自由だから気が楽だわ」
「…そうだね。ところでさヴィーデ」
「なに?」
「どこに向かってるの?オレ、パーキング見えたら右って言ったよね」

アーデンにそう言われ、ヴィーデはああと大きな声を出した。
果たして今日中にスチリフの杜にたどり着くことが出来るのだろうか、アーデンは頭を軽く振り大きくため息をついた。



このあとヴィーデが道を間違えラバティオ火山まで行き、ようやく目的地である古代遺跡へ到着したのは日が暮れかけた頃だった。






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