第18話

会場を飛び出したヴィーデは薄暗い廊下を走りレイヴスの姿を探した。高らかな笑い声が徐々に遠ざかり、迷路のように分かれた道を覗き込みながら息を切らす。
そのうち、真っ白な衣装に身を包んだその背中を見つけた。

「レイヴス将軍!」

その呼び声に足を止め、レイヴスはこちらを振り返った。ヴィーデも立ち止まり、表情のないその男の顔を睨みつける。

「…どうして…分かったんですか…私が……」
「……お前と黒チョコボに乗って初めてテネブラエまで行った時…帰り際にお前は歌を歌っていたな」
「……それが…?」
「あの歌は、はるか昔にフルーレ家の人間の間だけで歌われていたもので今はもう知る者さえほとんどいないはずだ。それを聞いたとき、お前の出自に疑問を持った」
「…………どうやって…調べたの?」

そう問われ、レイヴスは僅かに考えるような仕草を見せてから短く息を吐いて言った。

「お前の生まれ育った村へ行った。三日前、フムース基地から」
「…!?」
「フルーレ家の家系図には何代も前に一人だけ黒く塗りつぶされた者がいる…その者に関する情報はほとんどなかったが、ただ一つだけ…名もなき村に落ちたと」
「…………」
「名もなき村…それこそがその土地の名称そのものだ。オレはその地へ赴き、そしてお前の事を調べた」
「…村の人たちに…何をしたの!?」

ヴィーデがそう叫ぶと、レイヴスは何もしていないと答えた。

「快く迎え入れてくれたとオレは思っているが?」
「そんなはずない!あの人たちは帝国の軍人なんて嫌いなのよ!」
「帝国の軍人ならな…」
「…え…?」

レイヴスは強い瞳でヴィーデを見据え、右手の親指で胸元を差しながら言った。

「オレの正式な名を、まだ教えていなかったな。オレは、レイヴス・ノックス・フルーレ…現神凪、ルナフレーナ・ノックス・フルーレの実兄だ」
「……フルーレ……」
「彼らはオレの事を良く知っていたよ…フルーレ家の人間の来訪に喜んでいた。お前の住んでいた家に案内してもらい、これを見つけた」

そう言って白いタキシードの内側から取り出したのは、カウザの日記だった。
ヴィーデの一族以外の者の目には絶対に触れさせてはならない、門外不出の日記。
カウザ以降も複数の先祖たちが生きる苦しみを書き連ねた、それは云わば墓のようなものだった。
その墓を暴かれ、辱めを受けたような感覚に陥りヴィーデの怒りは頂点に達した。

「…なんで…!なんでそれを持ってるのよ!?」
「ここからお前の一族の歴史と真の目的を知った。フルーレ家と、そしてルシス王家への復讐…」
「返してよ…!!」

そう叫び、腰元の剣をレイヴスに向かって投げつけた。するとヴィーデの身体は瞬間的にレイヴスの元まで移動し鋭い刃がその喉元をかすめた。

「…っ…やはり本当なんだな…!」
「その日記は私たちしか見てはいけないものなの!フルーレ家の人間が触らないで!!」
「お前もフルーレ家の一族だ!」
「違うわ!あなたたちはカウザを捨てた!だから私たちはノックス・フルーレの名を捨てて生きてきたのよ!」

レイヴスは思わず腰の剣を引き抜き、左手で受け止めていたヴィーデの剣を強く弾いた。
距離を取り、ヴィーデは再び戦闘態勢に入る。レイヴスから教えられた技術の全てを使って、ヴィーデは師とも言える男と戦おうとしていた。
ヴィーデの長所は小柄故の動作の素早さにあった。そこを磨くよう常に指導し、そして今俊敏な動きでレイヴスの懐まで入ってくる。

「お前の生い立ちには同情する…!だがお前をルナフレーナに近づけるわけにはいかない!」
「同情なんかいらない!可哀そうだと思うなら、私に使命を果たさせて!」

レイヴスが本気を出せばヴィーデに深手を負わせてしまう。防御に徹するもヴィーデが時折繰り出すシフトブレイクはレイヴスの加減を狂わせた。
ドレスが裂け、その身体に傷がついても攻撃の手を止めてはくれない。

「ヴィーデ、聞け!!」
「日記を返して……!」
「………オレはお前との婚姻の提案を受けるぞ…!お前のような危険な女は、オレの一番近くに置いて監視する!」
「…誰があなたなんかと…!」

もう一度武器を構えレイヴスの元に剣を投げつける。
しかしその時―。

「はーいストップ、二人ともそこまで」

二人の間に割って入り、ヴィーデの腕を掴み剣を止め、同時にレイヴスを制止させたのはアーデンだった。
短剣で止めていたレイヴスの剣を弾き、ヴィーデを放り投げる。

「ほらほら、同じ帝国軍人どうし仲良くしないと、ね?」

アーデンがそう宥めるも、すでにヴィーデの視界にはレイヴスの手に持たれた日記しか映ってはいない。
すぐに立ち上がって駆け寄り、レイヴスの手元めがけて剣を振り落とそうとした。

「ダメだよヴィーデ、聞き分けなさい…!」

ヴィーデの剣を受け止めそのまま弾き返すと、小さな身体は壁まで飛んで床に落ちた。

「まーったく…こんな所で大ゲンカやめなさいって。向こうまで聞こえちゃうよ?」

そう言って、打ち付けた左肩に手を添えながらゆっくりと身体を起こすヴィーデを見る。下を向いたまま両手を強く握りしめ、そのうち床にぽたりと雫が落ちた。
よろよろと立ち上がり、一度も顔を上げずに走り去って行った。

「あーあ…レイヴス将軍、あんまりあの子を苛めないでよ」
「…お前は、知っていたのか?」
「…何を?」
「………いや…」

レイヴスは剣を腰にしまうと、アーデンに手帳を手渡しそのまま歩いて行ってしまった。
やれやれとため息をついてそれをジャケットの内側にしまい、ヴィーデを探しにその場を離れた。




ヴィーデに何かあった時、必ず向かうであろう場所には心当たりがあった。
宮殿からやや離れた場所にあるそこへ向かうと、その扉は人一人が通れるほどの隙間が空いている。

中に入り、柔らかな羽毛に顔を埋めているヴィーデに声をかける。

「やっぱりここにいた」

顔を僅かに動かして、左目だけでアーデンを見る。涙のせいで、大きな瞳の縁は赤い色に染まっていた。
しゃがみこみ、丸まった背中を撫でてやる。

「ほらヴィーデ、リベルタがもう眠いってさ。電気消してやりなよ」

アーデンがそう言うと、ヴィーデはゆるりと背中を起こして俯いたままその場に座り込む。両の脇に手を入れて立たせ、行こうよと声をかけた。
それでも足元を見つめたまま歩こうとしないヴィーデの手を取り、引っ張る様にして保管倉庫を出る。

薄暗い廊下に、ヴィーデの素足がペタペタと音を立てた。
部屋の前にたどり着くと、アーデンはポケットを探りヴィーデの部屋の合鍵を取り出す。
室内に入り、電灯を点けようとしてその手を止めた。背後を見て、ドアの向こうに立ったままでいるヴィーデの背中に手を添えて中に招き入れる。

ヴィーデの腰に巻かれていたソードベルトを外しリビングのテーブルに置いて、風呂に入ってこいと言った。

「バスにお湯張っておいてもらったからさ、入ってきな。せっかくきれいなドレス着たのに、破けてるし泥だらけだよ。傷の手当てもしないといけないから良く洗って」
「…………」
「……入らないならオレが入れるよ、いいの?」

アーデンの声が聞こえているのかいないのか、それとも話したくないだけなのか。うんともすんとも言わない娘の手を引いて暗いままのバスルームへ入った。
流しの前に立たせ、壁にかけてある鏡越しにヴィーデを見る。表情が無く目は虚ろ、左の頬にはやや大きな傷がある。ドレスから出ている皮膚にも複数のあざや細かな切り傷が見て取れた。

「ドレス脱がしちゃうよ?いい?」

それでも返答はない。ふうと息を吐いて、背中のファスナーをゆっくりと腰まで下ろす。両方の肩口に手を差し込んで、腕に沿うようにして脱がせていった。
ぱさりと音を立ててドレスがヴィーデの足元に落ちる。まとめていた髪をほどきそのまま黒い下着も取り去れば、生まれたままの姿のヴィーデになった。

窓から差し込む月明かりに照らされたヴィーデの肌は極めて白く、その反面黒い髪は光を反射して鈍色に輝いていた。
フルーレ家の人間の特徴と、ルシス王家の特徴、それぞれをバランス良く持って生まれた美しい体だった。

ヴィーデの両肩に手を添えて鏡の中の瞳を見つめ、静かな声でアーデンが言う。

「…ねえヴィーデ、オレ今平静を装ってるけどさ…嫉妬で気が狂いそうだよ…いつの間に、レイヴス将軍と仲良くなったの?嫌いなんじゃなかった?」

レイヴスの名を出すと、ヴィーデがわずかに目を細めた。

「……まさか、彼にこんな姿を見せてはいないだろうね……」
「………」

相変わらず無反応のヴィーデの髪を手でかき上げて、露わになった首筋に唇を落とす。
濡れないように袖を肘までまくり、自分で歩こうとしないヴィーデを抱え上げて静かに浴槽へと入れてやる。寝かせるように横たえて、長い髪を湯の中で広げゆっくりと洗っていく。
静まり返ったバスルームで、ただ水の音だけが響いた。

傷だらけのヴィーデを見て、相変わらずレイヴスは手加減が下手だとアーデンは思った。骨の上の皮膚に付けられた切り傷は治りが遅い上に痕に残りやすい。
陶磁器のような身体に傷でも残ったらどうしてくれるのか。そもそもアーデンは今でもヴィーデが軍人としての任務に就くことを快く思っていない。
自分の知らぬところで危険な目に合い、そして成長していく。これほど空しいことはない。

今回の様に、長期の地方任務で二人の間に距離ができている隙にレイヴスとの結婚話など持ち上がるのだからたまったものではない。
あのカリゴが思いの外ヴィーデに執着し粘るものだから策を講じる必要がある。

ヴィーデを見下ろすと、アーデンの思いなど素知らぬ風で目を閉じている。

「よし…体を拭こうか」

濡れたヴィーデを大きなタオルで包み込み水気を拭き取って行く。ハンガーにかけておいた純白のナイトワンピースを手に取り頭からかぶせ、生乾きの髪を頭のてっぺんで大雑把に結わく。
切り傷にガーゼを張り付けて手当てをし、温かくなった手を引いてリビングまで戻るとヴィーデお気に入りの蓄音機にレコードを置いた。

「オレとも踊ってよ。レイヴス将軍とだけダンスなんてずるいだろ…」

そう言って、ヴィーデをチークダンスに誘う。
互いに体をぴったりとくっつけると、小柄なヴィーデの顔はアーデンの胸元までしか届かない。チークダンスの由来でもある頬を寄せることは出来ないけれど、今はこれだけで十分だった。
ゆらゆらと左右に揺れるだけの簡単なリズムは、身体中に棘を生やしたような状態のヴィーデを少しずつ癒していった。

「…どうするの?彼と……結婚しちゃうの?」
「…………」
「レイヴス将軍は、君との婚姻話に前向きみたいだけど…」
「…………」
「ヴィーデ…」
「神話の…話を聞いたの…」

ようやく口を開いたヴィーデはアーデンの問いには答えず、先ほどレイヴスから聞いた話を始めた。

「…神話…レイヴス将軍から?」
「真の王に選ばれた者は、その命を捧げて星を救うんだって…だから、ルシス王家に手を出すなって言われたわ…そのうち死ぬから…」
「……彼は君の正体を知っちゃったってことね」
「アーデンは、このこと知ってた…?ルシスの王の使命を…」

ヴィーデが顔を上げて、アーデンの瞳を見つめた。泣き腫らした目元はいまだにほんのりと赤い。

「…知ってたよ。オレ、神話に詳しいんだ」
「……何で…言ってくれなかったの…?私、どうすればいいのか分からなくなった…これまで私の一族が続けてきたことの意味って…」
「君の先祖であるカウザがその事を知らなかったとは考えられない。神凪の一族だからね。その上で誓った復讐なんだとオレは思うよ」
「………何をすれば正しいの…?」

そう言って再び俯こうとするヴィーデの頬に手を添えて、少しだけ熱を持った瞼にそっと触れる。

「…ああ…可哀相だねヴィーデ…君の憎しみはね、空っぽなんだよ…」
「…空っぽ…」
「カウザは自身の恨みを晴らすため、復讐と言う箱にたっぷりと憎しみを詰め込んで次の世代にそれを受け渡したんだ。けれど代々引き継がれるうちに中身が薄れて、今ヴィーデが持ってるその箱はもう空っぽ…」
「…………」
「だってそうだろう?君自身は、ルシス王家から直接何かをされたわけじゃない。カウザは何も知らない世代に、ルシスに対する憎しみだけを植え付けたんだよ。中身のない、建前だけの復讐心なんて脆いもんだ」
「……アーデンは…」
「オレはね、違うよ。オレは自分の受けた苦痛を自分の手で晴らすために二千年以上待ち続けたんだ」

ヴィーデとは年季が違うと少しだけ笑った。

「ルシス王家に真の王が現れて、そしてそいつをオレの手で打つ。それこそが本当の復讐だ」
「…………」

アーデンの強く揺るがない執念と自分自身を比べて、ヴィーデは深くため息をついた。

「本当は……逃げたかったのかもしれない…ただ自由になりたかっただけなのかも…」
「…大丈夫だよヴィーデ。君が挫けても、オレは絶対にブレないから。君の一族の思いも一緒に、オレが終わらせてやる」

そう言われ、たまらずヴィーデは泣き出した。たった一人で背負った誰にも言えなかった使命を、目の前の男はヴィーデから丸ごと受け取ってくれたのだった。

「だからねヴィーデ、できるだけオレの側にいて?遠くに行っちゃったら守れないよ」
「……うん…」
「…あー…そうだ、あと一つ……」
「?」
「こないだの…ごめん…って言いたかったんだ、ずっと…」
「…あ…」

ヴィーデの鼻腔にあの香水の匂いが蘇る。今日もベネーヌというその女は、アーデンの一番近くを陣取っていた。

「約束破ったのは本当に悪かった…。うちの研究機関は基本資金難でね、複数の貴族から援助を受けることで成り立ってるんだ。だから、ああいうのを無碍にはできないって言う現状があってね」
「………うん…分かってる。私がどうこう言えることじゃないわ…」
「…………」

アーデンは足を止め、下を向いたヴィーデの頬を両手で覆って真上を向かせた。

「でも腹立ててたんだろう?だったらふざけるなって言ってオレの顔ひっぱたいてくれた方がまだマシだよ。そうやってオレが何をしても気にしないふりして黙っていられると余計キツいって」
「……そんなこと…私にはできないよ…お嫁さん候補じゃ仕方ないじゃない…」
「あれも…勝手に向こうが言ってるだけだ。けどそれを利用すれば、ギリギリまで金を搾り取れるだろ…」
「…お金…」
「卑怯だと思う?けど彼女たちだって、宰相の妻っていうポジションが欲しいだけだからね」

つまりは彼女らに対する情愛など一切なく、すべては貴族の財布が目当てだということだった。
分からなくもないけれど、それでもやはり先日受けたドタキャンに対する怒りが完全に消えたわけではない。

「そうね…それはよく分かるわ…」
「ホント?許してくれる?」
「…ええもちろん…なら私も、レイヴス将軍との結婚を前向きに考えてみるわ」
「…え…?何で…」
「だってそうすれば…レイヴス・ノックス・フルーレの寝首をかけるかもしれないじゃない。卑怯だと思う?」

アーデンの顔を見つめて、少しだけ首をかしげてそう言った。

「寝首って…その最中の隙にってこと…?本気で言ってるの…?」
「………ふふふっ。嘘よ!」
「あ?」
「お返し。怒ってくれた方がいいってさっきアーデンが言ったじゃない」

そう言って笑顔を見せた。悪戯っぽく笑うその様子に、アーデンは深く息を吐いて髪を掻いた。

「…ヴィーデ…!」
「アーデンの顔、目が真ん丸になってたわ。おかしい!」

ヴィーデが楽しそうに声を出して笑う。つられてアーデンも少しだけ笑い、離れかけたその身体を引き寄せてきつく抱きしめた。

「やられたねこりゃ」
「これでおあいこってことにするわ」

雨降って地固まるとはこの事だとアーデンは思った。トラブルが一つ起きてもそれを乗り越えればさらに絆は深まる。
結果としてそれに一役買ってくれたレイヴスと、ついでにあの貴族の娘には少しだけ感謝した。



ヴィーデの部屋のドアを出て、自室へ戻ろうとしたアーデンがふと思い出したように内ポケットから手帳を出した。

「これ、レイヴス将軍から預かったよ」
「………アーデンは、それ読まなくていいの?」
「いいよ、興味ないから」
「…そうなの?」
「その日記には君の一族の事が書いてあるんだろう?オレにとって重要なのは今のヴィーデの事だから、そいつを読んでも得るものは何もないよ」
「…アーデン…」
「ほら、今度こそ大事にしまっておきな」
「うん、ありがとう…」

日記をヴィーデに手渡し、おやすみと言ってからしばしその顔を見つめる。
少しだけ赤くなった鼻の頭を見ていると、どうにも離れがたくてもう一度だけ、と腕を引いて抱きしめた。

「今度こそおやすみ…」

そう言って、名残惜しい気持ちを押し殺してアーデンはその場を去った。




ヴィーデの部屋のドアが閉められ鍵のかかった音が小さく響くと、突き当りの廊下の右側からこちらを覗き込む姿がある。

「…やっぱりあの女…アーデン様を狙ってるんじゃない…軍人風情が許さないわ…」

毒を持った果実のようなベネーヌが、恨めし気にその白い歯を見せていた。





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