第17話

日付が変わり、昼の時間が近くなった頃。
アーデンはリベルタの好物の野菜を持って魔導兵保管倉庫へ向かっていた。この時間帯はヴィーデが必ずと言っていいほどリベルタの側にいることを知っていた。
彼女の愛鳥に間に入ってもらい、ヴィーデと仲直りできたらと考えていたのだった。

しかし−

「…あれ…いない…?」

リベルタの寝床には、わずかな黒い羽毛を残してその姿が見当たらなかった。
外にでも連れ出したのだろうか。目的の人物に会えずに手持無沙汰になり、軽く頭を掻いた時。

「これは宰相殿…あの娘をお探しかな?」
「…カリゴ准将…」

両手を後ろ手に組んでこちらへ歩いてきたのはカリゴだった。口元の笑みがどうにも厭らしく感じるのはアーデンの偏見だろうか。

「ヴィーデならこちらにはおりませんよ」
「…へえ…一体どこへ?」
「あの娘は…本日からレイヴス将軍と共にフムース基地へ研修に出ておりますが…」
「それは、オレの耳に入ってきてないんだけど?」

もともとヴィーデは軍人としてニフルハイム帝国へ招聘されたわけではないので、当初の管理責任はアーデンにあった。
しかし途中から意向が変わり、ヴィーデをこの国から出さない目的として軍の責任ある立場に置くことが念頭に置かれるようになった。
そのため軍に関する権限をほとんど持たないアーデンの元へ、ヴィーデに関わる動向が前もって入ってくる事が少なくなりつつあった。
もちろんそれは目の前にいる男の画策であることは言うまでもない。

「ほう、あの娘から報告は行っておりませんか?」
「……………」
「…これは珍しい…仲睦まじいと噂が耳に入ってきておりましたが、痴話喧嘩でもされたか?」

良く喋る狸だと軽く舌打ちをする。

「まぁいいよ。で…いつ戻るのかな、明日?明後日?」
「さて、長ければひと月ほどか」
「……ひと月…」
「聞けばあの娘、近頃は手飼いの黒チョコボを乗りこなしニフルハイム上空を華麗に飛び回る姿が目撃されているとか。帝国民の間でもその雄姿は羨望の的となっているそうですな…。身軽に空中戦へ挑める存在になりうるとして、イドラ皇帝以下帝国軍部全体の期待を背負っている。この研修を終えた暁には、それなりのポジションが与えられるやもしれません」
「…そう…でもあの子はまだ軍人としての実戦はほとんどない。あまり、無茶をさせないでほしいな」
「さて、それはレイヴス将軍のお心ひとつかと…」

そう言って、口元の笑みをますます深める。
昨日の貴族の娘といいこのカリゴといい、周囲には自分をイラつかせる人間ばかりだとアーデンはつくづく思う。
胸の悪さはその顔から表情を奪い、眉間にしわを寄せカリゴを睨んだ。

「…あまり、余計なことはしてくれるなよ…カリゴ准将…ここでの肩書を捨てたくなかったら…ね」
「……っ…余計なことなど…私は何も?」

アーデンの圧に気おされて、カリゴは二、三歩後ろへ下がった。
男を一人残しその場を去ったアーデンは、そのままヴィーデの部屋へ向かい合鍵を使って室内へと入る。
よほど急かされて出て行ったと思われる形跡が、脱ぎ捨てられたナイトワンピースを見て取れる。
またブラシがリビングのテーブルの上に置いたままになり、クローゼットも開け放したまま。
ふと床を見ると、似たような模様の入った靴下が一つずつ落ちている。

「あーあ…ヴィーデ、左右違う靴下履いていったな」

それらを拾い上げ適所へ戻し、最後に淡いピンク色のナイトワンピースを手に取った。
ほんの僅か残った温もりが、つい先ほどまでそれをヴィーデが纏っていたことを語っている。
しばしその感触を手で味わい、アーデンは我に返る。

「…やばいなぁ…オレこんなに変質的だったか…?」

長くても一か月、あの美しい黒髪の娘に会うことは出来ない。コートの内ポケットを探り、小型の盗聴用イヤホンを取り出す。
どうにも近頃、ヴィーデの動向が不明な時にはついこれを耳に差し込んでしまう。その様子を窺い知った所で、むしろやきもきとした思いを味わうこともあるのに、どうしても止められなかった。
自分はますます病的だとため息をつきながら、アーデンはイヤホンのスイッチをそっと押した。






それから二十日ほど過ぎたある日、アーデンは夜に上流貴族を招いての宮廷舞踏会が行われるための準備をしていた。
まったくもって憂鬱だったが、ただひとつ救いだったのが今日のこの日のためにフムース基地へ赴いていたヴィーデが早めに宮殿へ引き上げると言うことだった。
最後に顔を会わせたのがヴィーデとの約束を守れなかった日という最悪の別れ方をしたので、なんとか今日中に許しを請い、離れていた間に深まった溝を修復したいと思っていた。

下は18歳から上は37歳まで、アーデンにまとわりつく複数の貴族の娘がいるが、今日こそはそれらを交わし切らなければならない。
久しぶりにヴィーデの姿を見ることができるまであと一時間。アーデンはいつになく喉の渇きを感じていた。





真っ黒いシンプルなドレスを身に纏い、けれどその腰には剣を差すという不釣り合いな恰好でヴィーデは会場へと向かっていた。
相変わらず踵の高い靴を履くとどうにもまともな歩き方ができない。アーデン曰く、壊れた魔導兵のように見えるそうだ。

貴族をもてなす舞踏会など、本当は参加したくはなかった。
それでも護衛と言う形でその場に待機せざるを得ないということで、予定を切り上げて基地から早めに帰されたのだ。レイヴスはそれよりも三日ほど早く帰還したようでそれ以来顔を見ていない。
アーデンと離れている間、たくさんのことを経験し学んだ。話したいことがたくさんある、早くその顔を見たいという思いはあれど、一体どんな顔をして彼に会えばいいのかが分からなかった。
あの日、ドアの向こうで謝罪するアーデンを受け入れられなかった自分はやはりまだ未熟だったのかもしれないとヴィーデは思う。

会場まで着くと、そこは驚くほど多くの着飾った人々で溢れていた。前方に目を向けると、中央に置かれた椅子にイドラ皇帝が腰を下ろしている。
身体を真っ直ぐに立てているところを見ると、今日は幾分体調がいいようにも見える。そのすぐ背後には、正装したレイヴスの姿も見える。
そしてその右側に視線を移すと、赤い髪の男がイドラと同じように椅子に腰を下ろし、気だるげに肘掛に腕を置いて頬杖をついている。

「…アーデン…」

久しぶりに見るその顔は全く変わりがない。けれどいつも見る服装は着ておらず、サイドにえんじ色のアクセントが入った黒の上下に中には襟元を立てた白いシャツを着て、さらに足首まである白いマントを肩からかけている。まるで別人のようだと感じた。そしてその背後には、5、6人の貴族と思わしき着飾った女性たちがアーデンを囲むようにして立っている。
あの日感じた嫌な気持ちが胸の中に蘇ってしまった。こんな思いを抱いている時の自分がどうしようもなく嫌いだとヴィーデは感じた。

アーデンから目を逸らし、側にぶら下がる真っ赤なビロードのカーテンに身体を隠した。こんなことなら釣りでもしていた方がずっとマシだと思う。
短くため息をつくと、政府首脳部の要人たちのあいさつが始まり、小難しい話を始めた。ヴィーデは政治の話はさっぱりだった。
周囲の人間は相槌を打ちながら聞いているけれど、本当に理解しているのだろうかと疑わしくさえ思う。

そのうちカリゴが自己紹介をしたのち帝国軍についての報告を済ますと、ところで、とレイヴスに視線を向けて言った。

「私からご提案が一つ…我が帝国軍最高指導者であるレイヴス将軍と、この度めでたく少佐へと昇進した黒チョコボの騎士と名高いヴィーデとの、婚姻を提案いたします」

会場内がざわつく。突然の話に、カーテンの中のヴィーデは目を丸くした。一体どういう経緯でそんな提案が生まれたのかさっぱり分からない。

「将軍もいいお歳だ、そろそろ所帯をお持ちになられた方が良いでしょう。このところ、ヴィーデ少佐と共に黒チョコボで空を飛ぶなど仲睦まじいご様子だ。今回のフムース基地の研修で一層の絆を深めたようでもありますので…いかがかな…」

そんな事を言った。
それを側で聞いていたアーデンはカリゴの目論見を理解した。ヴィーデを完全に軍の管理下に置き、アーデンから切り離すつもりでいるのだ。そして隙あらば、いまだに永遠の命などという絵空事のような力をヴィーデからもらってやろうという魂胆だろう。

「…狸め……させるかよ…」

小さな声で呟いて、抑えることのできない不機嫌な顔を隠すために右手で目元に影を作った。
対してイドラ皇帝はその提案に対し賛成の意図を見せた。将軍の妻ともなれば、否応にもこの国から出ることなど叶わなくなる。
若い似合いの二人だと笑顔まで見せた。

「ところで、肝心のヴィーデ少佐はどこかな?恥ずかしくて出てこられんか?」

カリゴがそう言うと、会場から笑いが起こる。頼むから放っておいてくれと、カーテンの中で息を潜める。結婚なんて冗談じゃない。
基地での研修でも毎日のようにレイヴスに怒られていたのに、あれのどこが仲睦まじく見えたのか。
そもそも今日は貴族の護衛として呼ばれたはずなのに、このような注目を受けるようなはめになるとは思ってもみなかった。

「…ああもう…最悪…逃げたい…」

ヴィーデがそう呟いたとき、目の前のカーテンが勢いよく取り払われ、そこにはレイヴスが立っている。
ヴィーデの手首を掴み、顔くらい出せと言ってずるずると引きずって行く。

「っちょ…待ってください将軍…!私…」
「タグをしまえ」
「え?タグ?」

きょとんとした顔でヴィーデが言うと、ドレスのタグだと言って首の後ろから飛び出たままになっていたタグを内側にしまいこんだ。

「…あ…タグ…」
「…まったく…子供じゃあるまいし…」

また小言を言われた。近頃こんな調子で怒られてばかりなのに、結婚などヴィーデはもちろんレイヴスさえ考えてはいないだろうにと思う。
大勢の前に立たされて注目を浴び、居心地の悪い事この上ない。このような話を、アーデンは知っていたのだろうかとヴィーデは思った。
なんとなく恐くて、その顔を見ることができない。

その後イドラ皇帝から二人へ向けて、前向きに検討するようにとの言葉が贈られ解放された。




疲れ切ったヴィーデは大きな窓の縁に腰を下ろし盛大にため息をついた。まだ一時間も経過していないのにこの疲れようは何だろうか。
ちらとアーデンの方を見ると、いまだに美しい女性たちに囲まれ楽しそうに会話をしている。
見なければよかったと視線を逸らす。早く部屋に戻って風呂に入りたい、そしてワインでも飲んで寝てしまいたい。
そう思った時、会場内に軽快なワルツが聞こえてきた。少しだけ顔を上げると、周囲の人々は自然と手に手を取って音楽に合わせ踊り始めた。

「みんな踊れるんだ…さすが貴族様…」

そう言って再び顔を下げようとした時、目の前で誰かが立ち止まるのが見えた。白いタキシードに白い靴。
顔を上げるとその髪も顔色も白い。

「…レイヴス将軍…」

レイヴスがヴィーデに向かって一礼し、手を差し出した。固まっていると、顎を僅かに上へ向ける。
応じろ、ということだろうか。おずおずと右手を差し出すとそっと握られ、会場の中央までリードされる。

「…将軍…わ、私ダンスなんて…」
「男が女を迎え入れるんだ。オレの前まで来い」

そう言われ、一歩レイヴスに近づくとふわりとその身体を包まれた。

「左手をオレの肩へ、顔は左側から遠い二階席を見るように。足元はオレについてくればそれでいい」
「…は…はあ…」

流れるような動きでレイヴスが踊りだす。足元を見ようとしたら、顔を上げろと注意された。

「でも…顔を上げてたら将軍の足の動きが分からないわ…」
「オレの靴の先にお前の足を軽くくっつけていればいい。お前なら、僅かな動きでオレの動作が読めるだろう?」

無理難題だと思った。けれど言われたようにステップを踏んでいると、動き自体は単調で、基本その繰り返しだけで踊れるのだということが分かった。
慣れてくると、周囲の様子も少しだけ窺い知ることができた。機嫌の良さそうな皇帝と、そして大層機嫌の悪そうな宰相の顔。
一瞬目が合ったような気がするのはきっと気のせいだろう。

局も中盤に差し掛かったとき、レイヴスは突然ヴィーデの頬に唇を寄せた。キスでもされるのかと目を丸くした時、

「ヴィーデ、ルシス王家に手を出すのはやめろ」

と言った。
一瞬ヴィーデの時が止まり、周囲の音が一切聞こえなくなった。
王家に手を出すな、レイヴスは確かにそう言った。なぜそんなセリフをレイヴスがヴィーデに言うのか、その答えはただ一つ。
ヴィーデの正体が、帝国の将軍にバレたということだった。

「…なっ…何を…言って…」

思わずレイヴスの身体から離れようとするも、背中に添えられた手がそれを阻む。
唇が頬に触れそうなくらいの距離を保ちながら尚もレイヴスが続ける。

「神話を知っているか?」
「…神話?」
「剣神がテネブラエの地に降り立ち、そしてひとりの女を選び星の力と逆鉾を授けた。授かった力と知恵を惜しみなく人々に分け与え、神と人をつなぐものー神凪と呼ばれるようになった…」
「………」
「眠りについた六神は、最後にひとつの指輪を残した。人々は神から授かったその指輪を、もっとも優れた者がもつべきだと考えた。かくして指輪は、人間の王たる証となったのだ」
「何が言いたいの…?」
「邪悪なるもの瘴気を招き、空を淀ませ大地を蝕む。勇敢なる王と騎士、剣を携え神と共に戦闇を振り払う。久年の平和を祈り、神は人の王に光耀を授ける。魂を継ぎ、聖石を護り、いずれ来る災厄に備えよと」

聖石、つまりはクリスタルのことだ。それを護るのはルシスの王。神話の知識などほとんどないが、邪悪なるものを打ち払うのがルシス王家ということだろうかとヴィーデは思った。

「だから…何だというの?それと私の何が…」
「……真の王に選ばれた者は、星を救うためにその命をささげなければならない…若きルシスの王は、その運命を受け入れ死への旅路を始めている」
「…………」
「お前が手を出さずとも、ルシス王家の血筋は途絶える…近いうちに」
「!」

その言葉は、いずれルシス王は死ぬのだから復讐など止めておけ、そのように受け取れた。
数百年前から受け継いできた王家への憎しみを晴らすのを諦め、ただ相手が勝手に滅んでくれるのを待てと言うのか。
復讐とは、己の手で遂行してこそ成しえるものではないのか。

周囲に流れる優雅な曲とは裏腹にヴィーデの頭は混乱していた。
なによりもまず、なぜレイヴスがヴィーデの正体と目的を知ったのかが最大の謎だった。このことは、ニフルハイム帝国内ではアーデンしか知りえないはずだったというのに。

(アーデンがレイヴスに伝えたの…?ちがう、アーデンは私と同じように王家を憎んでいる…私の能力を必要としているアーデンがそんなことをしてもメリットはないはず…)

何故、どのようにしてヴィーデの正体を知ったのか、それを問おうと口を開いたときちょうどワルツが終焉を迎えた。
とたんにレイヴスの身体がヴィーデから離れ、優雅な動きで一礼し会場から去って行った。

曲が終わり、ダンスに興じていた者たちがホールの中央から捌けてもなお、ヴィーデはレイヴスの消えた方向を見つめていた。
心臓の鼓動が早く、気分が悪くなるほどだった。レイヴスはヴィーデの正体を帝国中に知らせるだろうか。

ともかく追いかけなければ―。

ヴィーデは履きなれないハイヒールをその場に脱ぎ捨てレイヴスの後を追うためその場を後にした。









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