窮鼠猫を噛む



「い、つ……?」
「いつ、とは? ――そんなもの誘拐してすぐに決まっているだろう。無駄に生かしておく必要はない。ついでに言っておくが、貴様が会っていたあの四人は俺が催眠(ヒュプノシス)で見せた幻覚だ。貴様の警戒心を解くためと仲間意識を持たせるためにな」

 煙を吐き出し、心底可笑しそうに唇を歪める朝永さんはもう、俺の知っている朝永さんではなかった。

「伶も倉本も、俺が催眠で見せていることは知っているがそれだけだ。あいつらには貴様が見えていた人物は見えていない。出来て、口裏を合わせるぐらいだな。――つまりあの四人と会話したという事実は一切なく、全て貴様一人で喋っていたということだ。……あの食堂でもな」

 そう言われてハッとした。あの深夜の食堂。暗闇の中で俯いていた四人。
 催眠。幻覚。だから電気を点け俺がはっきりとその姿を確認するまで四人は動かなかったのか。
 話していたのに。笑い合っていたのに。実際は俺しかいなかったんだ。

 朝永さんが俺にしか話しかけなかったこと。
 みんなで騒いでいたのに、響いてたのは俺の声だけだったこと。
 何故あの時気付けなかったと眉間に皺を寄せ拳を固く握った。

「――復讐ですか……?」

 静かな水面に石を落とすようにポツリとそう零した。その言葉に片眉を上げた朝永さんがフンッと鼻で笑う。
 記事に書かれていた国家機密のとある計画――それが朝永さんの言っていた“多重能力者飼い殺し”のことだったら……。その計画に参加した人物を恨み、復讐するのは不思議なことじゃない。でも、何故その対象が本人ではなくその身内なのか。いくら頭を捻らせても分からなかった。

「なんで新垣さんたちなんですか。復讐なら官僚の父親でいいでしょう。朝永さんに酷いことをしたのはその人たちだ。なのに――なのにどうして殺したんですか!?」

 そう叫ぶと同時に雷鳴が轟いた。周りを木々で囲まれているここは雷と相性が悪い。
 どこかに落ちて火事にならなければいいが……と他を気にかける余裕が自分にあることに驚いた。
 慌てて思考を戻し、朝永さんを見つめる。しかし朝永さんは何も気にせず、いつも通り灰皿で煙草を揉み消していた。余裕すら感じるその仏頂面に逆にこちらが焦りを感じる。
 次いで朝永さんは二本目を取り出した。
 さっきも吸ったというのに、ふう、と満足気なため息が煙と共に吐き出される。
 そして無感情に俺を見つめたかと思うとフッと口元を歪め、「ハーメルンの笛吹き男と同じだ」と一言零した。

「――は?」

 一拍置いて間の抜けた声が出た。
 ハーメルンの笛吹き男? ――確かグリム童話の一つだったと思う。
 大量のネズミによる被害に悩まされていたハーメルンの人々が笛吹き男にネズミ退治を依頼して、報酬をくれるならと男は笛を吹きネズミ退治をしたが、人々からは約束の報酬が支払われず、怒った笛吹き男が笛を吹いて町中の子供を攫う、という話だ。
 それとどう同じだというのか。訝しげに朝永さんを見つめると、彼は灰皿に煙草の灰をトントンと落として言った。

「俺が国に監視される生活を甘んじて受けていたのは、そうすることで世間の超能力者に対する恐怖心や懐疑心を失くせると思ったからだ。政府は俺に対し、所有する超能力の研究と警察が捕えられなかった超能力犯罪者の身柄の拘束を要求してきた。その見返りとして俺は超能力者が犯罪者予備軍ではなく、一人の人間として生きやすいよう国に改善を求めた。日本は他の先進国に比べ、そういう対応や理解が遅いからな」

 朝永さんがやや俯き気味で言った。

「しかし俺への見返りはついに果たされなかった。――いや、もとより果たすつもりもなかったんだろう。やつらは俺の超能力を研究し、超能重種の恐ろしさに気付いてしまった。超能力犯罪者の身柄をいとも容易く拘束する俺を見て、野放しにしてはおけないと思ったんだろう。俺を人間兵器と呼び、超能力が使えないよう拘束具をつけ、地下に幽閉した」

 朝永さんの口から想像を絶するような話を聞き、俺は何を言えばいいのか、視線を落とすしかなかった。

「これを聞いてもまだ、どうして殺したなどと宣うか?」

 俺を真正面から射抜くその視線に、お前も同じ目に遭えば間違いなく俺と同じことをするだろうと言われてる気がした。

「人のやることに明確な正しさや間違いなど存在しないのだ」
「違う……」
「やつらが俺を閉じ込めたのも正しい。だが俺がやつらの子供を殺したこともまた、間違いではないのだ」
「違う……ッ!」

 歪み、人とは思えない言葉を口走る朝永さんは狂っていた。彼の過去がそうさせたと思うのは、俺がまだ朝永さんのことを――根から悪い人なのではないと――信じているからだろうか。
 朝永さんは顔を悲痛に歪める俺を見て鼻で笑った。

「なら貴様は己のちっぽけな物差しで、正義感から超能力犯罪者を殺している伶や倉本のことも間違っていると否定するのか」
「ぇ……」

 思わぬ言葉に目の前が真っ暗になった気がした。
 あの優しい人たちが人殺し……?
 どうやって秘密裏に処理しているんだろうとは思っていたが、まさか殺していたなんて……。
 想像もしていなかったことに足がガクガクと震え始める。
 それを気にすることなく朝永さんは淡々と俺に話し始めた。

「あいつらは親や大切な人を超能力犯罪で失くしている。だが、仕事で超能力犯罪者を殺すのは復讐や敵討ちからではない。誰かが自分と同じような悲しい思いをするのが嫌だったからだ」
「それは……」
「翔斗。如何なる理由でも殺人は良くないと綺麗事を吐くか? ――貴様が言っているのはそういうことだ」

 灰皿に煙草を押し付けた朝永さんが俺を静かに見つめた。
 俺だって、綺麗事ばかりじゃ生きていけないって分かってる。
 死刑制度は良くないとか犯罪者は法の下で裁きを受けるべきだとか、そんな綺麗事を言うつもりはない。
 でも……。

「でも朝永さんたちは間違ってる……! 超能力は人を傷つけるためのものじゃない! 超能力は――力なき人を守るためのものだ!」

 とりあえず瞬間移動で逃げよう――そう思った。