疑いは暗中の人影



 階段を下りてふと踊り場の奥に扉があることに気が付いた。
 壁と同じ色をしているそれは陰っていると全くその存在が分からない。
 目を凝らして初めて、あぁ扉かと認識できるものだった。
 ゼノに来て二日目の朝に伶に案内され各部屋について色々と説明を受けたが、この扉には一切触れられていない。
 掃除用具入れとかだろうか――?
 扉に近づき繁々と外観を見つめるが、どうもそういったものを仕舞うようには見えない。
 試しにとドアノブを捻ると驚くことに鍵がかかっていなかった。心臓が妙な期待で高鳴る。
 ゴクリと唾を飲みこみ、俺は静かに扉を開けた。

「ぇ……」

 そこには地下へと通ずる階段があった。
 先が真っ暗で見えない……。それはまるで深淵へと誘ってるかのように見えた。
 ――行きますか。やめますか。
 ゲームのような選択肢が脳内に浮かび上がる。
 行ってもどうせなんてことない物置部屋だと思うが、ここまで来て中を確かめないのはちょっと気持ち悪い。
 俺は深呼吸をして、怒られたらその時だと一歩踏み出した。





「うわ、暗ぇ……。てか埃っぽ」

 中は予想通り真っ暗だった。
 口元を軽く押さえ、空いた手でスイッチを探すとそれは階段を下りてすぐ脇にあった。
 スイッチを押して点いた蛍光灯が不規則な点滅を繰り返している。

「…………」

 地下室の不気味さがより際立った。
 見ると物が乱雑に置かれている。予想通りここは物置のようだ。

「ひえー。こんなに汚くしちゃって……。ん? 何だこれ……?」

 文庫も新書も雑然と並べられている本棚から一冊の雑誌を取り出す。綺麗な女優さんが表紙を飾っているそれは芸能や社会ニュースを載せている所謂週刊誌というもので、色あせた表紙からは随分昔のものだと窺えた。
 これは……朝永さんが読んだのだろうか。に、似合わない……。
 週刊誌を真顔で読む朝永さんを想像して、しかしすぐに打ち消した。
 テレビもラジオも、新聞さえも取っていないこの生活の中で、朝永さんが俗世間に興味があるとは思えなかった。何度「仙人になる気か!」とツッコミそうになったことか。

 苦笑いを浮かべ、手にしてる週刊誌を何気なく捲った。
 やはりというべきか芸能人の話が主だ。興味のないそれに自然と捲るスピードが速くなる。
 しかしふと、ある記事が目に入って指が止まった。

「『官僚身内失踪事件』……?」

 ところどころ字が滲んでいて見えないが、そう書いてあった。
 チカチカと点滅する蛍光灯に顔をしかめながらも記事を目で追い、そして息を呑んだ。

「これって……!」

 その時、フッと地下室の灯りが消えた。
 驚いてビクッと体を竦ませるが、なんてことはない、蛍光灯の寿命か停電だろう。
 部屋までは瞬間移動で帰ればいいかと鼻から息を漏らすと、ふと違和感を感じた。
 ――真っ暗闇の中で、何かが俺の足首を掴んでいる……。
 ギギギと恐怖で固まる首をなんとか動かし、ゆっくりと視線を落とした。
 何も見えない。ゴクリと唾を飲みこんだ時、パッと再び地下室が明るくなった。
 眩しさに一度目を細め、そして見開いた。
 俺の足首を掴んでいたのは……。
 
「タす、ケ、テ……」
「……、うわぁあああああああああ!! 骨ぇえええええええええ!!」





「翔斗!!」

 体を強く揺さぶられ、カッと目を開ける。
 伶が俺の顔を覗きこんでホッと眉を下げた。
 その様子をボーっと見つめて、何度か瞬きをする。
 ――あれは、夢だったのか……?

「れい……?」
「そうだよ。大丈夫? いつもの時間になっても起きてこないから心配して起こしに来たんだ」
「おれ……」
「魘されてたよ。よっぽど怖い夢を見たんだな。どんな夢見たか聞いていい?」

 肩に手を添えて俺が起きやすいように気を遣ってくれた伶が小首を傾げて言った。
 お陰で体を楽に起こせた。安堵のため息をついていた俺は伶の顔を見て苦笑する。
 カーテンの隙間から陽の光を浴び、起きて冷静になれば先程の夢など全く怖くない。
 あんなので魘されていた自分が少し恥ずかしくなった。

「骸骨に足首掴まれる夢。ハァ、こんなんで魘されてたとか恥ずかしい……。心配かけてごめん。もう大丈夫」
「そっか。ならご飯食べに行こう。灯里ちゃんが待ってるよ」
「マジか。ヤベェじゃん。すぐ行くから先行ってて! てか先食べてて!」

 焦りながら寝間着を脱ぎだす俺を見て、伶は「はいはい、分かった分かった。ゆっくり来ていいからね」と笑みを浮かべて部屋を出て行った。
 伶が出て行った扉を見つめて数秒。ハッとして急いで着替えを再開した。
 とりあえずベッドから降りるかと床に足を置きグッと踏み出すと、何かを放置していたのか見事にそれに足を取られ引っくり返りそうになった。
 ゲッ、どっか打つ――!
 反射的に俺は瞬間移動でベッドの真上に移動し、ボスンッと再びベッドの上に沈み込んだ。

「あ、っぶねー」

 早鐘を打つ心臓をどうにか落ち着かせて、一体俺は何を踏んだんだとベッドの上からそこを覗き見た。
 あったのは踏まれたことによって多少ひしゃげた一冊の雑誌。
 どこかで見たことがあるその週刊誌は、俺が夢で見たものと全く同じものだった。
 驚きで目を見開きながら震える指でそれを掴み取る。
 そしてページを荒々しく捲った。目的の記事がどうかないようにと願いながら。
 しかしその願いは無残にも打ち砕かれる。

『<官僚身内失踪事件の黒い真相!>失踪者は以下四名。新垣勉、長男・新垣慎也(23)。菱丘邦宏、長男・菱丘昌宏(25)。白石泰造、長女・白石莉子(22)。高坂重雄、次女・高坂しおり(21)。家出の可能性が低いことからこの四人は誘拐されたのではと捜査が進められている。この四人の共通点は官僚である父親が国家機密のとある計画に関わっていたということ。その計画の重要人物がこの失踪事件の数年前に計画から逃亡している。誘拐犯はその人物なのではと警察は四人の捜索と共にその人物も追っている。警察は今後――』

「国家機密の、とある計画……」

 記事の一文を口に出し、あることを思い出した。

『国が放って置かないんだ。中種以下の超能力犯罪ならどうにかなる。だが個々の能力値が高い多重能力者が犯罪に手を染めれば並みの超能力者じゃ歯が立たない』
『一生国に監視され飼い殺されることになるだろう。現に俺はそうだった。……遠い昔の話だがな』

「嘘、だろ……。朝永さんが誘拐犯……?」

 まだ、そうと決まった訳じゃない。しかし同姓同名が一人ならまだしも四人だ。偶然の一致と呼ぶにはお粗末すぎる。
 夢なら良かった。夢なら笑って受け流せるから。
 悪夢より質の悪い現実に俺は項垂れることしか出来なかった。