主人公にはなれない


 2年B組、教卓の前に後藤悟志の席はあった。
 昼休みに入り、早々に自席で弁当を食べ終わった後藤は、周りの喧騒を気にせず一人静かに読書に勤しんでいた。一度集中してしまえばこっちのものだ。
 ページを捲り、探偵が真犯人を言い当てる重要な場面で、ふと集中が途切れた。誰かが後藤の机の隅に缶ジュースを置いたのだ。

「よっ、後藤。また本読んでんのか?」

 顔を上げるとそこにはクラスメートの鳴神アキラがいた。彼は喧嘩が強く、確か他校の不良から「番長」と呼ばれていた気がする。
 そんな野蛮な人間に話しかけられたのか。厄介だな。と、後藤は思った。

「本ばっか読んでても背は伸びねーぞっ! 頭は良くなるけどな! だははっ!」

 ――うぜえ……。
 後藤は苛立つ心を落ち着かせようと小さく息を吐き、眼鏡をかけ直した。
 大して親しくもないただのクラスメート相手に何故こうも親しげに話しかけられるのか。――友達がいない後藤には理解できなかった。
 返事をするのが億劫で、早くどこかに行ってくれないかと置かれたままの缶ジュースをじっと見つめた。

「ん? ああ、これ。後藤にやるよ」
「――は?」

 飲み物を置くなら教卓に置けよ。人の机を我が物顔で使用すんじゃねえ、という意味で見てたのだ。決して欲しかったからではない。

「自販機で飲み物買ったら当たったみたいでさ。おれ二つもいらねーからやるよ。――じゃーな」

 そう言って後藤の額を軽く叩いた鳴神は、友人が待つ自席へと歩いて行った。
 叩かれた額に手をやり、小さくため息をついた後藤は、中断していた読書を再開するために手元の本に目を落とした。
 ――だが、周りの喧騒に負けてしまい、内容がいまいち頭に入ってこない。
 後藤は軽く目を閉じ、一つ、深呼吸をした。

「……ッ!」


 ――その瞬間、“繋がって”しまった。


 勢いよく目を開けた後藤は、内心で舌打ちをした。
 さっき触られたときか……。くそっ、最悪だ。
 本をグッと握り、顔をしかめた後藤の脳内に、繋がった鳴神の心情が流れ込んできた。

(――へへっ。さっきのおれ、かっこよかったな!)

 アホか。かっこよくねーよ。

(後藤喜んでくれてるかな? チラッ)

 おいこっち見んなやめろ。背中にお前の視線が突き刺さってんだよ。あとチラッて自分で言うな。

(まだ口付けてねーか……。でも、これで結構仲良くなれた気がす――あ、委員長の話聞いてなかった。よし、テキトーに相槌打っとこう)

 何を思って仲良くなれたと思ってんだ。アホか。てかお前、オレと仲良くなりたいのか。ありがとう、心の底から嬉しくない。あと委員長の話聞いてやれよ友達なんだろ。テキトーに相槌打つな。

 ――と、鳴神に聞こえないのをいいことに後藤は心の中で好き勝手に言った。
 ……なにやってんだ、オレ。
 本を閉じて集中するのをやめた。
 集中するから聞こえてくるのだ。人の心情など知りたくもない。最悪だ。
 早く繋がりを切ろうと、親指と人差し指で丸を作り、交差させて、勢いよく引き抜こうとした。

(――当たったってウソ、バレないよな?)

 不意に鳴神の言葉が脳内に響いた。

「えっ……」

 どういうことだ。缶ジュースは当たったからくれたんだろ? 今の言葉では、まるで――。
 手元を見ると、輪っかを引き抜いていた。引き抜いたら繋がりは消えるので、先程の言葉は確かめようがない。集中しても、聞こえなかった。

 “リレイト”。
 後藤は相手の考えていること、思っていることを一方的に感じ取れる――触れた相手と一心同体になれる――特殊能力を持っていた。
 普段はコントロールしているので、触れても繋がることはそうそうないのだが、今回のように後藤の意志に反して繋がってしまう時があるのだ。
 後藤は机の隅に置かれた缶ジュースを数秒見つめて、それを手に取った。
 プルタブを開け、一口飲む。……美味しい。
 やけに視線を感じるので振り返ると、こちらを見ている鳴神と目が合った。
 鳴神が嬉しそうな顔をして手を振ってくる。ので、後藤は無視して席を立ち、本と缶ジュースを持って騒がしい教室を後にした。
 目指すは一人静かに本が読める場所。
 廊下に出て、窓から注ぐ温かい陽の光に目を細めた。
 窓に自分の姿が反射して見える。
 人の心を覗き見れる、化け物の姿が。
 それを教えず、誰かと仲良くなろうなんて――。

『さとしくん、最低だよ。ぼくの……人の考えてることがわかるなんて――気持ち悪い。……ばけもの』

「ばけもの、か……」

 目を伏せ、遠い記憶に蓋をした。
 賑やかなはずの廊下が、後藤には冷たく静かに感じた。