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1.


中途採用で入って来る社員の話を聞いたのはつい先日だったと思う。
中途採用で入るというのが自分の部署の話では無かったから、その社員は男性なのだという以外は適当に流して聞いていた。どこからか詳しく話を聞きつけて来たらしい一部の女子社員が、イケメンで仕事が出来る人なんだって、と噂話に花を咲かせている。彼女らの話に聞き耳を立てながら、そんなイケメンで仕事の出来る人間が何でわざわざうちみたいな会社を受けるのかね、なんてぼんやり考えてはみる。それでも自分に関係のない話だったから、すぐに頭の片隅においやってしまった。
そんな話をしていた事もすっかり忘れていたとある週末の仕事終わり。署内の社員がそれぞれ帰り支度をしていて、自分以外に誰も残らないんだな、と横目で確認する。この後は特に用事もないから少し残って調べ物でもしようかと考えて、一息つくついでに飲み物でも買いに行こうと席を立った。普段から甘くないコーヒーだとかお茶以外の物は飲まないのに、この時はどうしても甘いミルクティーが飲みたくなって休憩室の自販機へと向かう。

「あれ、まだ残ってんの?早く帰れよ」
「はーい、お疲れ様です」

忘れ物を取りに帰って来たらしい同僚と出くわして、そそくさと帰っていく背中を見送りながら自販機に小銭を入れた。買うものは決まっているのに変わりばえのしないラインナップを一通り見ながら、お目当のミルクティのボタンを押す。ボトルを自販機から取り出そうとした時に背後から誰かの気配を感じた。

(私以外にも残ってる人がいたのか)

後ろの誰かも自販機で何か飲み物を買うのかと、後ろを振り返って譲ろうとした時だった。

「どうぞ…?」

黒い靴先がまず目に入って、視線をそこにいる誰かに向けて顔を上げた。返事も会釈もせずに私を見下ろしたままのその男を、私は社内で会った事があっただろうかと記憶を探ってみる。
思いの外背が高いようで無遠慮に見上げる形になったその男は、黒々とした目で私を見つめていた。オールバックで纏めた髪型に均整の取れた顔立ち、男のわりに綺麗な肌をしてるのに変な髭を生やしているな、なんて思う。私は多分この男に会ったことはない筈だと思い始めてようやく、もしかしたらこの男が噂の中途採用のイケメンかと合点がいった。名前は聞き流していたから思い出せないし、向こうは社員証を首から下げてはいなかった。

適当に言葉を交わしてこの場を去っても良かったのだけど、その男は私の社員証と私の顔を交互に見たかと思えば急にニヤッと口角を上げた。突然の表情の変化に男の目を見た私は思わず、あっと声が出てしまう。人の記憶はひょんなきっかけで忘れていた事をありありと思い出す。特に忘れていた事なんて、思い出したくもない事がほとんどで。

「久しぶりだな」

なんて口先だけで笑みを作ってみせたこの男の声を聞いた瞬間に、子供の頃の記憶がわっと頭の中を駆け巡った。




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