砂糖をシュガーでコーティング

笑顔


「それってつまり、コイバナ?」

グラスをくるりと回して、ナマエがケタケタと笑った。歯並びは悪くないのに鋭利な歯はどこかポケモンじみている。ネズがナマエへした注文は「恋の話をしてください」という、所謂コイバナ。男二人のカウンター酒のつまみには些か甘過ぎるそれには、列記とした大義名分があった。

「ええ、新曲の参考に」

次の曲は、応援歌ではなく恋の歌だとナマエに伝えた。マリィのジムチャレンジも終わり、ネズは彼女にジムリーダーの座を譲った。本格的にアーティストとして仕事をしていくにあたり、活動の幅を広げるためのチョイスだ。

ぽや、と両頬に留まらず首まで真っ赤に染まっているナマエは、酒を飲むと饒舌になるタイプだ。けれどここから更に酒が進むと言葉が纏まらない事もあって、支離滅裂にとにかく喋りまくる壊れたラジカセと化す。その点今日は最低限の思考能力も残っているようなので、まさに絶好のタイミング。

ネズの中にはずっとナマエに対してのただならぬ思いがある。だからあわよくばナマエの好みのタイプでも聞き出して新曲だけでなく今後の参考にさせてもらおう、とかいう邪な思いでナマエを呼び出したのだった。そんなこと露ほども知らないナマエは呑気に酒を煽って、酒瓶を抱えてニコニコしている。

「じゃあ俺の現在進行系の恋の話をしてしんぜよう」

だなんて、へらへらと笑いながらまたグラスを傾けるのだ。現在進行系の恋、そんな言葉に密かに息を止めたネズの心情に気付かないまま。

「これはね、あ〜……初恋、なんだと思う」

そうご機嫌で話し出したナマエは、突然歯切れが悪くなった。「あ〜…」と髪をぐしゃぐしゃ掻き乱して、がくんと頭を垂れたナマエは、カウンターに両肘をついてグラスを両手で包んだ。前髪がグラスに入りそうで入らない。

「笑顔が、かわいくて、かわいいなって、思ってて、ずっと、でも、多分最初は、恋じゃなかった」

へへ、と口元が笑っているのが見える。熱でもあるのかと思うほど、ナマエは耳まで真っ赤になっていた。

「だからその、何か俺が言ったときに、何だったかな…いいや、なんかそのとき笑顔がかわいかったから、あーまた笑わねぇかなって」

笑顔がかわいい。ナマエは、笑顔がかわいいひとが好きなのか。それとも、そのひとが好きだから笑顔が可愛く見えたのか、なんて考えるだけ無駄で、もっと言えば野暮だとネズは唇を引き結んだ。壊れたラジカセはカセットテープの再生をやめない。

「こいつ、笑ってればいいのにな、ずっと、その方が絶対いいな、って思ったのよ、俺が、こんな俺が、初めて」

ぎゅ、と祈るようにナマエの指先に力が篭もる。よもやこの酔っ払いにグラスを握り潰すほどの握力が備わっているはずもないだろうが、ネズはその指先から目線を外すことができなかった。

「それでなんとかして笑わせてやろうって、今度はどうやって笑わせてやろうかって会うたび考えて」

そうやって、そのグラスのように、ナマエは現在進行系の初めての恋を、大切に掌の中に納めている。愛おしく、育んでいる。そんなに握ったら酒が温くなるだろう。

「考えてて、そんで、あーこれ恋だなって」

「もういい」

ネズの声がナマエの停止ボタンを押した。熱に浮かされたようなナマエの声を、冷たく短くぶつりと切る。ナマエが黙ったまま前髪の下からネズの顔を覗いた。

「もう、いいです、ありがとうございました、参考になります」

畳み掛けるようにネズが言う。けれど一応話してくれと頼んだ身だから、と黙殺するように笑顔を添えておいた。どうせナマエの好きな笑顔ではないだろうけれど。案の定目を細めたナマエは、ううん、と唸って首を傾げた。

「…違うなぁ」

だから分かっているから黙りやがれ、と口を滑らせ掛けたネズの頬に、ナマエの片手が伸びた。熱い。親指の腹が確かめるようにネズの頬骨をなぞって、掌が血色の悪い頬を揉むように動く。ぐぐ、と酔っぱらいの真剣な顔に眉間の皺が刻まれた。

「うーん、もっとこう、いつものさ…こないだの、エレズンの動画見てるときの顔がいい…目尻が下がって、ふにゃってするやつ、あれがいいんだよなぁ…マジで、かわいくてぇ…」

「は」

何を言われているのか、一瞬理解しかねた。ネズの頭の中でゆっくりと、一つ一つ処理されていくナマエの支離滅裂な発言たちが、まるでパズルのようにネズの形をとった。「は」ともう一度絶句したネズをよそに、ナマエはううんと深く考える素振りを見せる。

「なんだろなぁ、ネズはどうやったらもっと笑ってくれんだろうなぁ」

どう思う?と至極真面目にナマエが聞いてくる。その真剣さに寧ろ自分の考えが合っているのか不安すら覚えたネズが、依然頬に添えられたままのナマエの手に自らの手を重ねた。

恐らく最初からネズのことを言っていたんだろう。ナマエの初恋は他でもないネズで、笑顔が可愛いのもネズ。否、ネズは自分の笑顔が可愛いなんてこれっぽっちも思ったことがないので飽くまでも「ナマエから見て笑顔が可愛い」のがネズ、としておこう。

「…俺のこと…ですか…?」

「……うん?」

今までの話を聞いた印象では、恐らくそれで間違いないだろう。けれど何より不安なのがナマエが十分過ぎるほど酔っていること。ネズの答え合わせの問いにピンとこなかったらしいナマエは少しだけ眉間の皺を綻ばせた。

「俺のこと、好きなんですか、ナマエ」

ネズが確信に迫る。真剣味を帯びたナマエが、マメパトがポケマメ鉄砲を食らったような顔をして、それからじわ、と頬を赤く染めて情けなく眉を下げた。ネズの頬に触れていた手が怖気づいてグラスに戻ろうとしたので、逃がすものかとその手をきゅ、と握る。それに驚いたのか、ナマエの肩が 跳ねて、指先が震えた。

「え〜…………ちょっと待って、なんでバレてんの?」

「…お前ね…」

よもやあれでバレないと思っていた訳ではないだろう、と言いたいところだが、自分でなにを口走ったか理解していないような男だ。そのあたりも怪しい。ええ〜、と震える声を漏らしながら、ナマエが真っ赤な顔をなんとか空いた手で隠す。その様子がおかしくて、ネズは漸く本日初めて自然と目尻を下げて笑った。何にせよ、いい恋の歌が書けそうである。

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