まずは手をつなごう




おれがモアに会いに来るのを繰り返して、それが何年か続いた頃。おれは控え室で待っているよりもモアを探して歩いた方が暇潰しになると気がついた。最近はモアを見つけ次第身体の自由を奪って背後から抱き着いている。この時はいかに他の海兵に見つからないかということがミソだ。

海軍本部内をぶらぶらと歩いていると、廊下の影にようやく金色の髪をした男の後ろ姿を見つけた。身長、体型、髪型、全てをおいてどこからどう見てもモアだ。

「…フッフッ!」

今日は思ったよりも早く見つかった。そんな意味を込めて思わず息を弾ませて笑う。早く自分に気が付いてもらいたくてその若いながら洗練された背中に手を伸ばして操ろうとした、その瞬間。

「あらら、何してんの」

「…今この瞬間テメェをかき氷にしてやろうかと考えた所だ」

「なんだよおっかねぇな」

背後から掛けられた声に邪魔をされた。振り向かなくてもそれが氷の能力を持つ海軍三大戦力の一人だということが分かる。気配こそ感じていたもののどうせサボりの最中だろうから、絶対に声をかけてこないと踏んでいたが、どうやら相手は思った以上に愚かだったらしい。舌打ちをして振り向いてやればいつも通り気怠げにアイマスクを額に付けた男が半分閉じたような目でおれを見上げてきていた。そのふてぶてしい表情に意図せず口角が下がるのを感じる。

「邪魔すんじゃねぇよ」

「いやいや、完全に今うちの部下に手出そうとしてたよね?あれ?おれがおかしい?」

あれ?なんて態とらしく首を傾げるクザン。表情が変わらないところを見るとおれがモアを殺そうとしていたと誤解した訳でもなさそうだ。ならなぜ止めたのだろう。と言うか、そもそも一つ言いたい。

「あいつはサカズキの部下だろうが」

「んー、でもほら、広い意味で言ったら海軍だから…ほら、なんだ」

「テメェの部下だって言いてェのか?」

「あぁそう、そんな感じ」

適当か。顔を顰めて不快感を全面に出せば、あー、と頭を描くクザン。それから廊下の向こうのモアを指差して言った。

「ってか、あれはどう見てもお取り込み中でしょうや」

その指の先を追いかけてモアの方を振り向けば、その痩身の影に人影が見えた。どうやらおれが気が付かなかっただけで誰かと話していたらしい。二、三歩歩いて回り込んでその体の向こうを遠目から覗き込む。

「…」

そこには、確かスモーカーの部下だったはずの眼鏡を掛けた女海兵が、ふわりと柔らかい笑みを浮かべていた。恐らくモアも口元に手を当てているらしく、どうやら笑っているようだ。その雰囲気が余りに自然で、その二人の関係性の深さが感じられる。

「あぁやってみるとまぁなんつーか、お似合いに見えるよねぇ」

そのクザンの呑気な呟きをぼんやりと聞き流しながら、おれはその二人から目を離せずに一瞬立ち竦んだ。自分の顔から表情がそげ落ちるのが分かった。

恋人、ではないだろう。そんな話は本人からも周りからも聞いたことがなかったし、モアにはおれ以外の男の影など見えなかった。それどころか女の影も。だからきっとおれは油断していたのだ。今からモアにそんな相手が現れるなんて、露ほども思っていなかった。おれがこんなにアタックしているから他の、モアを思っている奴らへの牽制にもなっていたと思っていたのだが。

あぁ、ならばもっと目に見えた牽制をすればいいのか。

元々サングラスで色の着いていた視界が何故か真っ赤に染まった気がした。そうしたらもうクザンの申し訳程度の静止も耳に入らない。大股で廊下を闊歩しながらモアの背中に向かって手を伸ばす。モアを操ってこちらに歩いてこさせるか、いや、相手が海兵ならモアに攻撃させてもいい。見た所相手の女も刀を携えているし戦えない訳ではないだろう。あわよくば、事故か何かに見せ掛けて殺してしまうのも。やれやれ、と後ろでクザンが他人事のように呟いた。

その瞬間、モアの右手が女海兵の黒い髪に伸ばされ、ぽん、と優しくその頭に置かれた。頭の中に沸々と湧いていた怒りが水を掛けられたように掻き消えて、思わず立ち止まって目を見開く。モアが自分からその女に触れた。自分の意志で。女に操られている様子もない。自分から望んで女海兵に触れた。

いやだ、見たくない。見たくないのにその二人の姿に目が釘付けになる。足が、竦んだように動かない。今まで見ないふりをしてきた事に、今この瞬間ふと気が付いてしまった。

モアは、おれの能力に操られず自分の意志でおれに触れた事があっただろうか。

「……っ!」

モアを操ろうと前に出していた指が震える。この手で、能力であいつを操らないとあちらからは触れてもらえない。おれからいくら抱きつこうと抱きしめ返されることはない。手を握ろうと握り返されることはない。縋りつこうと、手が差し伸べられることはないのだ。それなのにあの女海兵はおれの目の前で、おれが欲しかったものをいとも容易く手に入れてみせた。おれの何がいけない?海賊だからか?男だから?それとも仕事相手だから?倍近く年が上だからか?それとも、図々しく、触れられることを望んだからか?

一瞬痛んだ頭に目を細める。ゆっくりと力無く伸ばした手を下ろして、おれはやけに遠く感じる愛しい男に背を向けた。





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