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「好きな人がいる」なら、こんなにもショックじゃなかった。
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ロー兄は、おれの幼馴染だ。有名な大病院の天才外科医で高収入。クールなイケメン高身長で聡明、出身校も日本屈指の難関と名高い大学で学生時代もとても優秀だったという高学歴。梅干しとパンが嫌いでモフモフ好きなギャップ萌え属性、白い犬のベポと同居中。でも独身二十六歳。

「わっかんないなぁ、なんでロー兄って独身なの?デリも言ってたし」

「そりゃ相手が居ねぇからだな」

「え、就職の時と同じで引く手数多じゃない?ロー兄がモテない訳ないし」

「まぁモテるっつうのは否定しない」

「っげぇー!ハイ出たこの人言動からイケメンの余裕が滲み出てまーす!」

「誰に言ってんだ誰に」

うひー!と奇声を発しながらロー兄とおれの分の白飯を運ぶ。今日は焼き鮭に具沢山の煮物、豚の角煮だ。ロー兄はパンが嫌いなのでどちらかといえば和食を好む節がある。ただあまり自炊をする方ではないのでペット可の綺麗な高層マンションにおれがお邪魔して晩飯を作る事が週に何度か程度ある。お洒落なクロスの引かれたテーブルに二人分の食事を並べれば、礼を言われて微笑まれる。どうしてこの人は彼女が出来ないんだろうと本当に不思議だ。

「ハァイベポちゃんご飯ですよ〜」

「きゃんきゃん!」

餌の黄色い皿の前に座れば、白い小さい犬のベポが一度返事をしながらとてとてと駆けてくる。からんからん、とドッグフードが音を立てるとベポは短い尻尾を千切れんばかりに振ってお座りをしていた。よく躾けられた頭のいい子だ。

「あーもうめっちゃかわいいわー、よし!」

「お前に彼女が出来ない訳が分かるな」

「おれはベポとロー兄の世話で忙しいだけですぅ」

「はいはいそれはどうも」

おれは高校一年の男子という立場でありながら青春とはかけ離れた生活を送っている。家が裕福だからバイトする必要もないし、部活動にも所属していない。彼女なんて影も形もない。理由を上げるとすれば双子の兄、デリンジャーが女子よりも女子力が高いからか、父親、ドンキホーテ・ドフラミンゴの周りの女性に魅力的な人が多いからなのかなんなのか知らないが、なぜだか理想だけが天よりも高くそびえ立っている状況に落ち着いているからに他ならない。因みに初恋の人はモネさんという親父の秘書だ。

それに加えてかなりの割合で放課後をロー兄の家で過ごしているので友達と遊ぶ時間が取りにくいのも問題だ。友達と遊ぶ時には予定を合わせて出動するのだが、友達が女の子も誘ったという時は極力ロー兄の家に遊びに来ている。そこも予定合わせて行けよ、と思うだろう?確かに友達は大事だ。ただ女の子が来ているとなると話は別。何故かって、おれにはいっちょ前に好きな人がいるからだ。

ガツガツとドッグフードに喰らいつくベポをロー兄が微笑みながら見守っている。おれはそのロー兄の後頭部をカウンター越しに見ながら手を洗った。手の泡を洗い流して肌触りの良いタオルで拭く。そのまま自然な所作でロー兄の正面の椅子を引いた。

「お待たせ」

「食うか」

頂きます、ロー兄が手を合わせる。召し上がれ、と答えてからおれも箸に手を伸ばした。結構な頻度で使われるおれ専用の箸だ。その他にもおれ専用の歯ブラシやおれ専用のスウェット、いろいろなおれ専用がロー兄の部屋には溢れている。

おれの好きな人というのは、ロー兄の事だ。

ロー兄を褒めちぎるのはおれの本心だ。ロー兄はおれから見たらとても魅力的である。完成された大人のように見えることもあれば、放っておくには危うい子供のように見えることもある。意図しない多面性を持つロー兄は、人の注意を引く存在のくせにその注意を惹きつけたままにする魅力を持つ人間だ。おれはその魅力に自ら望んで捕らえられて、そうして逃げられなくなった可哀想な男だった。

ロー兄が頬袋を膨らませて豚の角煮と白飯を頬張っている。よくそんなに口に入るなぁ、なんて呑気にその様子を見ているおれの顔はきっと、さっきベポの食事風景を眺めていたロー兄の顔と同じくらい緩んでいるに違いなかった。

「そういえば、ナマエ」

「ん?なぁにロー兄」

「最近ここに来る頻度が高いが…友達はいいのか?」

ロー兄が口の中の食べ物を飲み下して言う。ちゃんと噛んだのかな、なんて思いながら煮物に箸を伸ばした。

「ちゃんと遊んでるよ?最近は皆彼女作って勝手に遊んでるの、おれの出番はそいつらが振られた時笑い飛ばしてやるくらいかな」

「お前えげつないな…いつかやり返されかねねェぞ」

「彼女いないからご心配には及びませーん」

フフ、と笑えばロー兄は複雑そうな顔をした。彼女がいないおれのことを哀れんでいるらしい。

「お前顔と人間性は良いのに何で彼女作らねぇんだよ」

思わず答えに詰まる。だがそこは自然に手を止めないで白飯を口に運んで誤魔化した。少し考えて口の中のものを飲み込んで、努めて何事も内容に口を開いた。

「好きな人ならいるよ」

それからもしゃ、と煮物を口に入れる。伺うようにロー兄に視線を向ければ、なんとも言えない表情をしていた。無理やり言葉にするなら悲壮、驚愕…だとか、その辺だろうか。何故悲しそうな顔をするのだろう。何故。そんなこと、いつものロー兄の態度を見ていれば分かることだ。

ロー兄はおれが訪ねてくると本当に嬉しそうな顔をする。前にデリと一緒に来た時はデリに向かって「お前もいたのか」と白白しく嫌味を言っていたし、ベビ姉ときた時は睨みつけて泣かせていた。コラさんと来たときは喜んではいたもののそれはやはり親子に近いものだったように思えるし、父さんと来た時は父さんだけ締め出されてた。ただ、おれが来ると花が綻ぶように笑って「寒かっただろ」なんて気遣って部屋に入れてくれる。あとインターホンからドアを開けてくれるまでの時間がとても短い。

きっと、おれに好きな人がいる事に驚いているんだろう。息子や弟のように可愛がっているおれに、いや、もしかしたら。

ロー兄も、おれのことが好きなのかもしれない。そんな訳ねぇけど。あぁそうさ、そんなことを考えるなんておれはまだガキだよ。ぼりぼり、と根菜を咀嚼してロー兄の様子を窺う。ロー兄はもう食事を再開していた。

「…そう、だよな、お前ももう高校生だし」

「うん」

「あー、じゃあ余計にこんなところに来ないでデートとか」

「してるよ」

「してる、のか」

畳み掛けるように答える。きっとロー兄はおれを時間の使い方がうまい子供だとか思っただろうが、そうではない。現に今一緒にいるからだ。それでも今までは好きな人がいるなんて気配お首にも出さずにロー兄の好感度上げに徹してきた。少なからず弟のような存在が離れて寂しい位には思ってくれているだろうか。そんな考えが頭を過って思わず苦笑した。もしそんな可能性があるのなら、万が一でも億が一でもあるのなら最大の揺さぶりを、掛けてもいいだろうか。

「ロー兄」

「ん?…どうした?」

「の、事だよ」

「…なにが」

「おれの、好きな」

「ナマエ」

カラン、と軽い音を立てて、ロー兄の手から箸が転がった。おれはそれを目で追って、思わず口を噤む。ロー兄の声は珍しく震えていた。

「ナマエ、駄目だ、それ以上は」

「…もしかして、バレてた?」

「………憶測、だった」

「はは、そっかぁ…」

あぁ、そっか、知っていたんだ。

そりゃそうだろう、おれは青春の殆どをロー兄のために費やしている。幾ら居心地が良いからって、幾ら放っておけないからって、別々に暮らしてる年頃の男が男の世話の為に甲斐甲斐しく出向くなんて、おかしいとも思うだろう。そうか。最初から、ロー兄は、何もかも知らないふりをして。

「ロー兄は、優しいな」

おれは、転がった箸から目が離せない。ロー兄の顔を見れないままでそう呟けば、刺青だらけの手が目元を覆い隠す気配がした。

ロー兄は優しい。優しいんだ。だっておれの気持ちに気付いていたのに知らないふりをしていてくれた。おれだってロー兄と一緒にいるだけで良かったし思いを伝えて会えなくなるより秘密にして一緒にいられたほうが良かった。違う、違うんだとロー兄が繰り返す。それでもおれはロー兄は優しいと思う。

おれはどう足掻いたって男だ。ロー兄を既婚者にしてあげることは出来ないし、もしごり押しで付き合ったとしても世間の目もあるだろう。年下で頼りない。できることといえば今までしてきたような家事炊事、それとくだらない話をするくらい。ロー兄を何かから守ってあげることも出来ない。

「ガキで男で、ロー兄の事が好きなのに、軽蔑しないでいてくれる、やっぱりロー兄は優…」

「違う!」

泣き叫ぶようにロー兄が声を張り上げた。驚いて顔を上げれば、ロー兄の酷く傷ついたような目と視線がかち合う。どうしてそんな顔をするのだろう。気圧されて黙ると、ロー兄がその表情でぽつり、と話し始めた。

「お前がもしかしたら、おれのことを好きなんじゃないかって、思ってた、ナマエはよくここを訪ねておれの世話をしてくれるし昔からよく懐いてくれて…もしそうだったらって何度も考えた、お前がおれのことを好きだったらって」

ロー兄は、最後には俯いてしまって、くしゃ、と自分の髪を掴んだ。懺悔のような独白は、残り一言だけ続いた。

「そう考えると、すごく幸せだった」

ぽつり、と零されたそれに、目を見開いた。でも、ロー兄のその声色に、上がらない顔に、おれはそれだけではないことを悟った。だってそう、ロー兄は優しいから。優しくて、とても。

「でもおれは、お前の未来を奪えない…」

とても、弱い人だから。

「お前から向けられる気持ちが嬉しいのに、おれはその気持ちを受け入れる勇気がねェ」

「…うん」

俯いて、そう返事をするのが精一杯だった、仕方ない、おれはどうしても子供だ。悔しい。悔しいな。おれがロー兄と同い年の大人だったら、ロー兄と自分の確固たる未来を両方取ることができたのだろうか。おれが大人だったらロー兄を何者からでも守ることができたのだろうか。ロー兄に勇気なんてなくても、おれがその手を引ける人間だったら。おれの顔を見られないロー兄と、ロー兄の顔を見られないおれ。互いを受け止められない人間同士で寄り添ったってきっと未来は明るくない。

ロー兄がおれを受け止められないように、おれにはロー兄を支えられないのかもしれない。

「…うん、ありがとう」

それでも、最後までおれを気遣った言葉じゃなくて、偽りでも絶望くらいさせてくれれば良かったのに。切り捨ててくれれば良かったのに。ロー兄は優しいけど酷い。だからこそおれは、この人を好きになったんだけれど。




「好きな人がいる」なら、こんなにもショックじゃなかった。


TITLE BY 「確かに恋だった」







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